パリにおける高さ制限の歴史

フランスのパリは厳格な高さ制限が実施されていることで知られるが、市の外周道路の拠点地域で高さ制限の緩和が検討されているという。

そこで、パリにおける高さ制限の歴史の概略とともに、今回の緩和の動きについて紹介する。

■19世紀以前における高さ制限(衛生環境の確保)

 パリといえば石造りの重厚な街並みを想起する人が多いだろう。だが、17世紀以前は木造建築物が主であった。

 しかし、木造建物は燃えやすいため、密度の高い大都市では大火の要因ともなっていた(1657(明暦3)年の明暦の大火、1666年のロンドンの大火などが知られる)。

 そこで、パリでは防火を目的として、1607年の勅令で街路沿いの木骨壁の建設が禁止され建物の構造が木骨造から石造、煉瓦造へと転換していった。5階建てであったアパートの高さも、時代を経るにつれて高くなり、19世紀前半のパリでは6、7階建てが標準的で、7階建て(屋根裏階含む)が最も多かったという。

建物の構造の変化は、都市部への人口集中とあいまって建物の高層化をもたらした。

ところが、住宅の高層化は日照、採光、通風を妨げ、衛生環境を損なうことから、1783年にはパリで、1825年にはリヨンで高さ制限が実施された。

■19世紀のパリ大改造に伴う高さ制限(美観の形成)

現在のパリの街並みの骨格をつくったのが、19世紀におけるパリの大改造である。

当時のセーヌ県知事のオスマンは、パリの大改造にあたり、交通、衛生、治安、人口分散等の目的に加えて美観も重視した。

街路を「移動のための手段」としてだけではなく、「歩く人が見て楽しむ存在」につくり変えたのである。

その結果、1859年に改定された高さ制限では、美観、日照、防災等の観点から街路幅員に応じて軒高11.7m、14.6m、17.55m、20mの4種類に制限された(表1)。

大改造前の1784年から街路幅員の大きさに応じた高さ制限は既に実施されていたが、このときは、主に日照や防災が目的であった。

表1 18~19世紀におけるパリの高さ制限の変遷

幅員

1667年

1784年

1848年

1859年

1884年

7.8m未満

15.59m以下

11.69m以下

11.70m以下

11.70m以下

12m以下

7.8m以上9.75m未満

14.60m以下

14.62m以下

14.60m以下

15m以下

9.75m以上

17.55m以下

17.55m以下

17.55m以下

18m以下

20m以上

20.00m以下

20m以下

出典:鈴木(2005)を元に作成。高さは軒高。

■1960・70年代における規制緩和と強化

その後、高さ制限によりオスマン期の街並みが保全されていったが、1967年に規制緩和されたことで、高層建築物が建設可能となる。

当時、十分な空地を確保し、光と緑をもたらす高層ビルこそが、新しい都市像を提示する建築形式として、超高層ビル先進国のアメリカのみならずヨーロッパにおいても受け入れられつつあった。

しかし、1972年に高さ210m、59階建てのモンパルナスタワーが建設されると、高層ビルはパリの伝統的な都市景観が損なうとして、一転規制強化へと転じていく。

1977年の改正により、パリ中心部は最大でも37m(再開発区域)に制限され、歴史的な地区ではより厳しい規制がかけられることになった(表2)。

写真1 モンパルナスタワー(1972年竣工)

表2 1967年(緩和時)と1977年(強化時)の高さ制限の内容

1967年

1977年

都心地域

31m

              31m

歴史的に貴重な地区15m、18m、25m

周辺地域

37m

              31m

再開発事業の計画・施行区域

               37m

      

■現在のパリにおける高さ制限

現在のパリにおける高さ制限は、①ゾーニングによる高さ制限、②街路幅員に応じた高さ制限(外枠線規制)、③眺望保全のための高さ制限(景観保護紡錘線規制。特定の視点場からの眺望保全)の3種類があり、前述のように最大でも高さ37mに制限されてきた。

その結果、高層ビルの建設は、1980年代にミッテラン大統領により推進されたデファンス地区の開発のように、郊外部(パリ市外)に限定されることになった。

■高さ制限の緩和の動き

2008年7月、パリのドラノエ市長が、市の外周道路沿いの6ヶ所に、高さ150mから200mの商業施設と高さ50mの住宅を建設する構想を示し、市議会の承認を経た。

そのうち、市南西部のポルト・ド・ヴェルサイユには、180mに及ぶ全面ガラス張りのピラミッド型オフィスビルが2012年に完成する予定であるという。

この規制緩和の背景には、都心部での高層建築物の建設が進んでいるロンドン等の大都市との都市間競争があると思われる。

また、ドラノエ市長とサルコジ大統領の主導権争いが存在しており、首都圏の構想に対して積極的に発言をしているサルコジ大統領への対抗心から、現市長が今回の規制緩和策を打ち出したとも言われている。

しかし、この規制緩和は高層ビルの建設が進んだ70年代に逆戻りするとして批判の声も多く、2004年の調査では、市民の6割が高層化に反対しているとのことである。

<追記:2012年7月24日>

今春、パリ市都市計画局にヒアリングしたところ、上記のアンケート調査は、一般論としてパリ市における高さ制限の緩和の是非を尋ねたもので、具体的なプロジェクトや場所を示したものではなかったために、反対が多くなったのではないかとのことである。

また、パリの規制緩和の背景には、市内の慢性的なオフィス不足等から、市外・国外への企業流出が深刻化してきたことが挙げられる(有名なデファンス再開発地区もパリ市内ではなく、市外に位置する)。

オフィス不足から、都心部のアパートがオフィスとして使用されることが増えたために、結果として住宅不足も問題となってきた。

そこで、オフィス・住宅不足を解消し、パリの国際競争力を高めるためには、質の高いオフィスを供給する必要があるとして規制緩和に踏み切ったわけである。

例えば、現在進行中のプロジェクトの一つである“Triangle(トリアングル)”では、市南西部のポルト・ドゥ・ベルサイユの見本市会場に、ヘルツォーク&ド・ムーロン設計による高さ約180m、ガラス張りの三角形状の高層ビルが計画されている。

オフィス床面積は88,400㎡。就業者数は5,000人を見込んでおり、既に市の都市計画(PLU:plan local d’urbanisme)に位置付けられている。

○Triangle(トリアングル) プロジェクトの概要

http://www.paris.fr/pratique/Portal.lut?page_id=9742&document_type_id=4&document_id=102469&portlet_id=24214

その他の地区でも、外周道路沿いの鉄道用地等(100haから200ha)を中心に計画が進んでおり、レンゾ・ピアノが設計を担当する地区もあるという。

ただし、いずれのプロジェクトも開発区域がシャンゼリゼのような都心ではなく、市縁辺部の外周道路沿い(主に鉄道用地等)である点に注意する必要がある。

また、パリは毎年2900万人の観光客が訪れる世界一の観光都市であるため、高層建築物がもたらすダイナミズムは観光に対しても良い影響を与えるだろうと市は判断しているようである。

とはいえ、開発区域内に何本も高層ビルを建設することは想定していない(複数の超高層ビルが建ってしまっては、モニュメントがモニュメントたり得ないというわけだ)。

つまり、パリでは守るべき場所は厳格に規制しつつも、時代の要請に応じて、歴史的景観への影響が少ない地区での大規模開発を許容しているのである。

再開発を行うためには、都市計画(PLU)を見直す必要があるが、市議会での議論の末、このプロジェクトには公益性が認められるとして、2009年に超高層ビルを許容する都市計画に書き換えられている(緑の党以外は、全て賛成)。

再開発を行うにしても、しかるべき議論、手続きを経て行われていると言えるだろう(賛否両論があるにせよ)。

一連の再開発の話を聞いて、パリのような歴史的景観を大事にしている都市でも大々的に規制緩和に舵を切ったのかと感じる人がいるかもしれない。

しかし、決してそうではなく、守るべきところは依然として厳しい制限を継続していることに留意しなければならない。

日本においては、なし崩し的にどこでも規制緩和が進められているが、持続可能な都市づくりを進めるためには、パリのように保全と開発のメリハリをつけた都市戦略が求められるのではないだろうか。

[参考文献]

鈴木隆(2005)『パリの中庭型家屋と都市空間 : 19世紀の市街地形成』中央公論美術出版

松井道昭(1997)『フランス第二帝政下のパリ都市改造』日本経済評論社

早福千鶴(1991)「フランスにおける景観保護行政」荒秀編『景観:基本計画づくりから実際例まで』ぎょうせい

和田幸信(2007)『フランスの景観を読む:保存と規制の現代都市計画』鹿島出版会

朝日新聞2008年7月9日記事「パリに高層ビル林立?高さ規制解除へ 市民は反対多数」

西日本新聞2008年9月27日記事「パリに巨大ピラミッド? パリ市が高層ビル計画」

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