高さ制限の系譜に見る「景観保全・形成」の考え方

絶対高さ制限の実施にあたって、「歴史的景観保全」や「街並み景観の保全・形成」を目的に掲げる自治体が少なくない。

しかし、景観保全を意図した絶対高さ制限の動きが主流となってきたのは、ここ最近の傾向である。

そこで今回は、我が国における高さ制限の系譜を整理した上で、「景観保全・形成」の考え方がどのように位置づけられてきたかを概観してみたい。

 

■戦前における高さ制限

我が国における高さ制限手法は、市街地建築物法を嚆矢とし、交通、衛生、保安を目的として、用途地域における絶対高さ制限(住居地域65尺・20m、その他の地域100尺・31m)、構造による高さ制限、道路幅員に応じた高さ制限の3つを基本として実施されていた。

上記3つの手法は景観保全・形成を目的としたものではなかったが、美観地区や高度地区といった制度が景観(美観)保全の手法として用意されていた。

美観地区は、美観保持を目的として高さに限らず建築物等の規制を行う制度であるが、宮城(現在の皇居)、伊勢神宮周辺など特定の場所が中心であり、その後の活用はあまり進まなかった。

一方、高度地区は高さの最低限度と最高限度を定める制度であるが、戦前においては大都市の駅前等の高度利用の促進を目的とした指定が多く、建築物の高さを抑える手法として活用されていたわけではなかった。

これは当時、木造の低層家屋で構成されていた都市の高層化と不燃化を図り、良好なストックを生み出すことこそが景観形成に寄与するとの考えによる。つまり、「高度利用・不燃化=美観形成」と認識されていたわけである。

■高度成長期(1960年代~70年代)における高さ制限

高度成長期に入ると、床需要の増大や構造技術の進歩等から、31m制限等の絶対高さ制限の合理性が問題視されるようになる。

その結果、1961(昭和36)年の特定街区制度創設、1963(昭和38)年の容積地区制度創設を経て、1970年には第一種住居専用地域(現在の低層住居専用地域)を除いて絶対高さ制限が撤廃され、容積率制限へと全面移行した。

一方、1960年代半ばから1970年代にかけて、日照紛争が社会問題化していたこともあり、高度地区や用途地域による北側斜線制限が行われるようになる。

つまり、高度成長期以降、容積率規制による容量コントロールと斜線制限による形態規制が中心となり、選択制となった絶対高さ制限は一部の都市(横浜市、京都市等)を除いてあまり活用されなくなる。

70年以降絶対高さ制限が利用されなかった理由は、①選択事項であったこと、②都心部等では高層化が求められたこと、③当時問題となっていた日照確保のためには、絶対高さではなく、北側斜線制限や日影規制で対応可能であったこと、④大半の地域ではそもそも大きな建物があまり建たなかったことなど、絶対高さ制限を用いる必要性が醸成されていなかったためと思われる。

この時期に景観保全を目的とした条例制定による高さ制限実施の動きも見られるが、金沢市、倉敷市、高山市、京都市など歴史的な景観を有する都市が中心であった。

■00年代以降の高さ制限

90年代半ば以降の景気対策としての各種規制緩和の流れの中で、低層の住宅地などにおいても高層建築物を巡る建築紛争が増加した。そこで、多くの自治体が景観条例等により独自の規制・誘導を行っていくことになる。

しかし、法的拘束力のない「お願い」条例であるものが多く、実効性が確保できないことから、高度地区等による絶対高さ制限の実施が進む。

90年代以降、絶対高さ制限が再評価された背景には、建築紛争において景観が焦点となっていったことが挙げられる(国立市、名古屋市白壁等)。

街並み景観や眺望景観を保全するためには、どうしても建物の高さを一定程度に抑える必要がある。

そのため、容積率規制や斜線制限だけでは対応が難しいとの共通認識が生まれ、絶対高さ制限が行われるようになってきたわけである。

■景観の位置づけの変遷

以上からわかるように、戦前から1960年代くらいまでにおいては、都市部であっても木造の低層家屋が中心であったことから、高層不燃化こそが景観形成の必要条件であると認識されていた。

つまり、「高さを抑える」のではなく、「高度利用を図る」ことが求められたわけである。

一方、高さを抑えることによる景観形成は、皇居、伊勢神宮などのいわば「国家レベルの重要な美観」のみに限られていた。

当時はそもそも高いものがほとんど建たなかったために、皇居や伊勢神宮などのエリアを除くと、景観保全・形成のために高さを抑える必要性が薄かったとも言えるだろう。

しかし、高度成長期に入ると、全国的に進められた国土開発の反動として、歴史的景観保全のための高さ制限の動きが見られるようになる。

そして、80年代に入り、歴史的な都市に限らず一般的な市街地においても景観条例による取り組みが進み、90年代後半以降になると、建築紛争においても景観保全が焦点となることが多くなった。

以上の戦前から現在までの流れをまとめると、高度利用(高層不燃化)による景観形成から、高さの抑制による景観保全・形成へと変化してきたことがわかる。

さらには、「景観保全」の概念も、国家レベルの特別なものから、歴史的な街並みにも用いられるようになり、その後、生活に密着した一般的な市街地における景観へ広がりをみせてきたと言えるだろう。