GINZA SIXがもたらした新たな眺め ~「屋根」がつくる景観~

 

■GINZA SIXの屋上庭園

2017年4月20日、銀座松坂屋の跡地に新たな複合商業施設「GINZA SIX(ギンザシックス)」が誕生した。
高さは56m。超高層ビルラッシュの東京の中では、控え目な高さである。

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写真1 GINZA SIX

当初、この開発は高さ190mの超高層ビルでの建替えが予定されていた。

ところが「銀座に超高層ビルはいらない」と地元が反発。いわゆる「銀座ルール」の上限である高さ56mで建設された 1)。超高層ビルを必要としないまちづくりこそが、銀座の価値を高めると地元は判断したわけだ。

こうしてGINZA SIXは、超高層ビルに頼らない銀座の景観に色を添えることになる。

「銀ブラ」の言葉に代表されるように、銀座の景観は、歩道から見た街並みを指すことが多い。だが、GINZA SIXは新たな視点を銀座にもたらした。

それは、高所から見下ろす屋根(屋上)の景観である。

もちろんこれまでにも、高所から眺められる場所はあったかもしれない。しかし、銀座通りだけでなく、銀座の全方位にわたって周囲のビルの屋根の眺めを意識させたのは、GINZA SIXが最初ではないか。

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写真2 GINZA SIXの屋上庭園

■屋根の景観

では、銀座の屋根の景観とは何か?

GINZA SIXの屋上庭園は、誰でも入れる広場となっている 2)。屋上を一周する展望廻廊からは、ビルの周囲を360度眺めることができる。

西に面する銀座通りを見下ろせば、買い物を楽しむ人の多さに眼を奪われる。北に目を向ければ東京スカイツリー、南に東京タワーと、東京の二大ランドマークを遠望できる。

しかし、この廻廊をぐるっと回ってみて気になったことは、銀座通りでもスカイツリーでもない。

眼下に広がるビルの屋上だ。

銀座ルールによって、近隣にGINZA SIXより高い建物はない。周りのビルの屋上には、空調の室外機や看板の鉄骨などが、むき出しのままさらされている。

墓石のように、所狭しと屋上に並ぶ室外機の数には圧倒される。

これがGINZA SIXの屋上庭園から見える屋根の景観である。

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写真3 周囲のビルの屋上

■屋根の景観が目立つ理由

ビルの屋上への眺めといわれても、周囲のビルの所有者は困惑するだけだろう。

そもそもビルの屋根・屋上は、見られることを前提としていない。ビルの屋上は無意識の景観ともいえる。

であるがゆえに、その無防備な風景を目の当たりにすると、見てはいけないものを見てしまったような罪悪感を覚えてしまう(だらしない格好のまま外出している知人を偶然目の当たりにしてしまったような気まずさ?)。

超高層ビルや東京スカイツリー等の展望台であれば、眼下の建物ははるか下。個別の建物をあまり意識することはない。

だが、GINZA SIXの屋上はとりわけ高いわけではなく、周囲のビルとの距離が近い(高低差が小さい)ために、ことさら屋上が目についてしまうのだろう。

■屋根の景観をどう考えるか?

銀座の屋根の景観をどうするのか。GINZA SIXは新たな問題提起をしたのではないか。

東京らしい混沌とした風景として楽しむことも一興だろう。もしかすると外国人観光客の受けはいいのかもしれない。

とはいえ、銀座としてそれでよいのだろうかとも思ってしまう。屋上の設備を集約化し、空いた部分に緑を植えることで、銀座全体を空中庭園のようにしつらえてもよいだろう。

いずれにせよ、屋上広告・工作物も含めて、屋根のあり方を検討する余地があるのではないか(何事も動きの早い銀座のことだから、既に考えているのかもしれないが)。

【注】
1)GINZA SIXの開発経緯と銀座ルールについては、竹沢えり子「銀座にはなぜ超高層ビルがないのか: まちがつくった地域のルール 」(平凡社新書、2013年)に詳しい。銀座のまちづくりの全貌を理解できる良書。
2)GINZA SIXは、都市再生特別地区(都市計画法、都市再生特別措置法)の指定によって容積率の緩和を受けているが、屋上庭園を一般に公開することが容積割増の要件の一つとなっている。

世界遺産サンクト・ペテルブルクにおける超高層ビル論争 ~国家的プロジェクトと景観問題~

今回は、ロシアの古都サンクト・ペテルブルクで起きた超高層ビル論争を紹介したい。

サンクト・ペテルブルクは世界遺産に登録された歴史都市である。

その近接地に高さ396mの超高層ビルが計画され、歴史的景観にそぐわないとして問題となった。

この超高層ビルは、プーチンやメドベージェフといった新旧大統領が大きく関わる政府系企業・ガスプロムネフチの本社ビルとして計画された。いわば「国家プロジェクト」としての超高層ビル開発だった。

■サンクト・ペテルブルクの歴史地区と世界遺産登録

サンクト・ペテルブルクは18世紀初頭から1917年のロシア革命まで、ロシア帝国の首都であった。
ソ連時代にレニングラードと改称されたが、ソ連崩壊後の1991年に元の名前に戻された。

市中心部の歴史地区には、ピョートル大帝(位1682~1725年)がイタリアなどの建築家を招いてつくった宮殿や教会等の壮麗な建築物群が残されている。

その歴史的な価値が認められ、1990年には世界遺産に登録された。

地区内の景観を保全するため、地区内の建物は、世界三大美術館の一つ、エルミタージュ美術館(冬の宮殿)の高さを超えないように規制されている。

その結果、歴史地区では整然とした街並みが保たれているのである。

■政府系企業による高さ396mの超高層ビル開発

2006年、その歴史地区の景観を大きく揺るがす超高層ビルの計画が明らかとなった。

ロシアの政府系天然ガス企業「ガスプロム」がサンクト・ペテルブルク市と共同で高さ396mの「ガスプロム・シティ」の建設を発表したのである。

当時、ガスプロムは、世界的な石油・天然ガス価格の高騰によって業績を拡大させていた。

このビルは、その傘下企業、ガスプロムネフチの本社機能ビルとして計画されたものだった。

サンクト・ペテルブルクは、ウラジミール・プーチン大統領の出身地である。そのため、このビルは「プーチン・タワー」とも揶揄されることとなる。

市の全額負担による建設への反発

建設計画が明らかになると、建設費用の捻出方法が問題視された。

サンクト・ペテルブルク市が建設費用を全額拠出し、完成後、ガスプロムネフチの所有になると発表されたため、世論の不評を買った。

市としてみれば、国内有数の企業を受け入れることで、税収の増加や再開発による経済効果を見込んだのだろう。

しかし、市の財源を一企業のために利用することへの反発は大きかった。

そこで、2007年6月、市の全額出資ではなく、ガスプロムネフチが51%、市が49%と変更された。

さらに、プロジェクトの名称も、一企業を名に冠するのではなく、「ガスプロム・シティ」から開発予定地の地区名である「オフタ・センター」へと変更されることとなった。

高層ビルが与える歴史的景観への影響

だが、問題はそれだけにとどまらなかった。

計画区域が世界遺産の歴史地区に隣接しており、高層ビルが歴史的景観に与える影響が懸念されたのである。

市内の高い建物といえば、ペトル・パウェル大聖堂(122.5m)や聖イサク聖堂(101.5m)などの歴史的建造物のほか、ソ連時代の1966年に建設されたサンクト・ペテルブルク・テレビ塔(高さ310m)くらいしかなかった。

このことからも、396mのオフタ・センターの大きさがわかるだろう。

ビルの高さだけでなく、場所も問題視された。

オフタ・センターは中心部からは約5キロ離れているものの、ネヴァ川を挟んで歴史地区に接している。

しかも、ロシア革命時に武装蜂起の作戦本部が設置された「スモーリヌイ」の対岸に位置していた。

象徴的な場所に隣接していたことが、反発をより助長したのである。

■ユネスコによる警告と高さ制限の強化

世界遺産登録を行ったユネスコは、高層ビル計画が歴史地区に隣接していることを懸念した。

そこで、2007年にバルボサ・ユネスコ事務局次長が、オフタ・センターの計画を進めるのであれば危機遺産リストへの登録も辞さないと警告した。

また、2009年3月には市議会が建設予定地周辺に高さ100mの高さ制限をかけた。

この数値は、歴史地区のシンボルの一つである聖イサク大聖堂(高さ101.5m)の高さを超える建物を認めないことを意味する。

■一転、建築許可へ:プーチン、メドヴェージェフの庇護を受けた「国家プロジェクト」

ところが、同年9月、市の土地利用・建設委員会が、例外的に高さ403mまで認める決定を行い、翌10月にはマトビエンコ市長が建築を許可した。

当初の高さは396mであったことから、最終的に高さが17m上乗せされたことになる。

許可にあたって市側は、タワーは市中心部から離れた世界遺産区域外であるために景観上の影響は少なく、市の発展に必要な開発であると主張した。

なお、計画を許可したマトビエンコ市長はプーチンのKGB人脈に連なる人物である。

2008年に大統領に就任したドミートリー・メドヴェージェフも、プーチン同様にサンクト・ペテルブルク出身で、さらにプーチン大統領時代(一期目)にガスプロムの会長を務めたこともあった。

つまり、オフタ・センターはプーチン、メドベージェフといった強力な権力者の庇護のもとで推進されていた国家的プロジェクトだったのである。

■世論の反発とユネスコの勧告

しかし、世論を無視して高さ制限の緩和が強引に進められたことが一層の批判を呼ぶことになる。

まず、ロシアのアレクサンドル・アヴデーエフ文化相が、市長の建築許可を違法としたロシア文化財保護監督局の決定をサンクト・ペテルブルク検察に送付した。

同じ頃、建設に反対する市民約3000人が抗議デモを行い、世論調査でも建設反対が66%と全体の3分の2を占めた(賛成は20%)。

また、ユネスコもオフタ・センターの建設中断と代替地の検討を勧告する決議を行った。

■オフタ・センター開発地の移転決定、高さが463mへ

こうした反発を受け、開発の動きに変化が生まれる。

2010年10月、当時のメドヴェージェフ大統領が「スモーリヌイの隣に建てる必要はあるのか」と開発場所に疑問を呈し、さらに、ユネスコとの協議が完了してから建設を開始すべきとの見解を示した。

この発言が影響したのか、12月には、マトビエンコ市長がオフタ・センターの建設地を移転させることでガスプロムと合意したと発表した。

この計画変更については、市民や国際社会との対話協調路線を志向するネドベージェフが大統領になったからこそ実現したとの見方がある一方、2012年の大統領選に向けたパフォーマンスと捉える意見も少なくなかった。

その後、建設予定地が、市西部のフィランド湾沿いに面したプリモルスカヤ地区ラフタ(14ha)に変更、2012年8月に市当局によって建設の許可が下ろされた(同年5月にプーチンが大統領に就任(二期目))。

移転地はサンクト・ペテルブルクの中心部から約9キロ離れているが、移転に併せて高さが60m上積みされて463mとなった。

この計画地の移転や高さの変更に関して議論が尽くされていないことへの批判も見られ、景観論争は未だくすぶったままとなっている。

このサンクト・ペテルブルクの景観論争は、世界遺産に登録されたからといって、国がその歴史的環境を守ってくれるとは限らないことを示している。

その意味で、このケースは、神宮外苑の風致地区における新国立競技場の建設問題と類似しているかもしれない。

<参考資料>

オフタセンター公式ホームページ  http://www.ohta-center.ru/en/

服部倫卓(2011)「ガスプロムとペテルブルグの特殊な関係」『ロシアNIS調査月報56(4)』

毎日新聞東京朝刊2007年6月12日「古都に「ガスプロム」巨大タワー計画 揺れる世界遺産の街」

読売新聞2008年10月28日「[明日へ]世界遺産を守る(6)再開発と歴史の調和を」(東京夕刊)

朝日新聞 2009年10月12日 「400メートルのビル計画、世界遺産のロシア古都大揺れ」

共同通信 2009年10月10日「超高層ビル承認で論争、ロシア 世界遺産のサンクト市」

時事通信 2009年10月11日「高層ビル計画に抗議デモ=世界遺産が危機-サンクトペテルブルク」

東京新聞 2009年12月27日「 『プーチン・タワー』計画 揺れる古都 市民反発 市は強硬姿勢」

時事通信 2010年12月10日「摩天楼建設場所の変更決定=景観に懸念-サンクトペテルブルク」

読売新聞2010年12月14日「超高層ビル「やっぱりダメ」 サンクトペテルブルク市長」(東京朝刊)

御堂筋「摩天楼」計画(毎日新聞)

※毎日新聞2013年07月19日大阪朝刊の「論ステーション」に掲載されたインタビューを以下に再掲します。

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毎日新聞2013年07月19日大阪朝刊<オピニオン opinion>

大阪の「顔」とも言われる御堂筋沿いのビルの高さ規制を大幅に緩和する手続きが進められている。老朽化したビルの建て替えを促し、街の活性化を図る狙いだが、風格のある景観が乱れ、魅力が薄らぐと心配する声も強い。都市景観の研究者と、地元で街づくりの提言を続けてきたNPO代表に話を聞いた。

◇比類なき美、100年の計で−−東京工業大助教・大澤昭彦さん(景観・都市計画)

御堂筋の景観は70年以上かけて築き上げられてきた。1937年の道路完成以来、幅44メートルの道路に4列のイチョウ並木、沿道に建ち並ぶ100尺(31メートル)のビル群が、風格ある御堂筋の基調となる景観を成してきた。95年に31メートルの高さ規制が緩和されたものの超高層ビルは御堂筋にふさわしくないとして50メートルに落ち着いた。高度成長期やバブル期にもあえて超高層化を認めなかったのは、道幅と高さのバランスが取れた景観に固有の価値があるとの考えからだ。御堂筋の景観は大阪市と民間の不断の努力によって築かれてきた公共財であり、大阪の歴史的、文化的な厚みを象徴する存在だ。

それが今、超高層化へかじを切ろうとしている。しかし、この緩和路線は、御堂筋が培ってきた歴史的、文化的蓄積を放棄し、大阪の「顔」を失うことにつながるのではないかと強く懸念している。現在の大阪の経済力から見ると、超高層に建て替わるのは、経済的条件の整った数棟にとどまり、結果的に分断されたスカイライン(空に接する輪郭)だけが残ることになりかねない。そうなれば、どこにでもある奥行きも深みもない都心の一つに成り下がってしまう。

現在のスカイラインは50メートルにそろっていないから景観保全の体をなしていないという意見もあるが、これは95年の規制変更のためで、31メートルと50メートルのラインが混在しているのはむしろ当然だ。街づくりは50年、100年かけて行うものであり、20年足らずでそろうのは無理な話だ。御堂筋は道路の幅員と壁面後退の幅を足すと52メートル。沿道の建物の高さを50メートルに整えると、道幅と高さのバランスが取れて美しい。年月をかけて50メートルのラインをつくることに意味がある。

比較的広い道路で、高さに制限を加えた沿道建物が一体となった街路景観といえば、東京の表参道や銀座がある。御堂筋はこうした通りと比べても風格があり、全国的に見ても非常に価値のある街路景観と言えるだろう。

世界一の観光客数を誇るパリの美しい街並みは19世紀の大改造でその骨格が完成した。1960年代の規制緩和により、一部区域で超高層を認めた結果、73年に210メートルのモンパルナスタワーが完成した。これが街の景観を損なったと市民の反発を招き、一転して高さ規制が強化され、市内の再開発は最大37メートルに制限された。近年、再び規制緩和されたが、あくまで中心部の景観への影響が少ない市外周部の一部に限定している。

大阪では大阪駅や天王寺周辺で超高層ビル開発が活発だ。このため、相対的に御堂筋の価値が下がっているように見えるのかもしれない。だが、御堂筋は御堂筋らしさを強調することが他地区との差別化につながる。オフィス需要が限られる中、高層化を図る場所と高さを抑える場所のメリハリを持たせる方が、大阪全体の持続的な発展に寄与するだろう。

フランスの作家、ビクトル・ユゴーはこんな言葉を残している。「一つの建物には二つの要件がある。建物の効用と、建物の美しさである。効用は建物の所有者に帰属するが、建物の美しさはすべての人に帰属する」。先人が築き上げてきた歴史をいかに継承するかという方向で議論が進むことを期待したい。【聞き手 論説委員・藤田悟】

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◆御堂筋沿道の高さ規制

御堂筋(大阪市北区−中央区、約4キロ)は1937(昭和12)年、幅44メートルへの拡張工事が完成し、ほぼ現在の姿になった。沿道の建物の高さは法律で100尺(31メートル)に規制され、69年の法改正で高さ規制が撤廃されて容積制に変わった後も、大阪市は淀屋橋−本町間について景観保全を目的に行政指導で31メートル規制を続けた。95年には歩道に面した部分は高さ50メートルに、上層部分を歩道から10メートル以上後退させた場合は高さ60メートルまで緩和した。街の活性化を掲げる橋下徹市長が検討を指示したのを受け、市都市計画審議会の専門部会は今年3月、60メートル規制を撤廃し、上層部分の後退幅に応じて最高140メートルまで可能となる規制緩和の最終案をまとめた。2013年度中に市要綱や条例の改正手続きに入る。

<関連ページ>

○御堂筋沿道 高さ制限緩和への疑義

https://aosawa.wordpress.com/2013/03/25/

○御堂筋における高さ制限の変遷(季刊土地総合研究2012年春号)

http://www.lij.jp/html/jli/jli_2012/2012spring_p030.pdf

御堂筋沿道 高さ制限緩和への疑義

2013(平成25)年3月、大阪市都市計画審議会専門部会が、御堂筋沿道で実施されている高さ50m(最大で60m)の緩和を認めることを決定した。

今後、市は緩和に向けた手続きを進め、2013年度中に改正を予定しているという。

現在示された案では、最大で60mに抑えられていた高さ制限を緩和し、最大で140mまで建設可能とすることが検討されている(朝日新聞2013年3月20日付。「御堂筋沿い、高さ規制撤廃 大阪市、13年度に条例改正」)

http://www.asahi.com/business/update/0320/OSK201303190191.html

この動きは、2012年1月に橋下市長が高さ制限の撤廃に言及したことに端を発するものだが、1年の時を経て、高さ制限の緩和の具体案が出てきたわけである。

私は、御堂筋における高さ制限の歴史的経緯や現在の大阪のオフィス需要などから見ても、高さ制限緩和には反対である。

なにより、今回の緩和には全くの理念もビジョンも感じられない。

理念なき都市政策が経済性のみに立脚せざるを得ないのは必然である。

「規制緩和による活性化」は理念ではなく、都市政策の放棄にすぎない。

以下では、高さ制限緩和賛成論に対する私なりの反論を記したいと思う。

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□「既に沿道のスカイラインはバラバラではないか」との意見に対する反論

1995(平成7)年に高さ制限を31mから50mに緩和したために、確かに31mと50mのラインが混在している。

しかし、現在の姿は、50mのスカイラインの創出に向けた過渡期であるのだからバラバラであるのはむしろ当然である。

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言うまでもないことだが、街は一朝一夕につくられるものではない。

50mのラインで整えようと市が決断したのは、わずか18年前のことである。

現在スカイラインは揃っていないものの、着実に新たなスカイラインの形成に向けて進んでいる。

そのさなかに緩和をしてしまっては、18年前の大きな決断を無駄にすることになるのではないか。

現在の案では中層部の50mのラインは守ると言っているが、高層部が突出してくれば現在の空が遮られることは避けられない。

都心でこれほど広くまとまりのある空を見ることができるのは御堂筋くらいのものである。

今回の案の策定に際して、どれほど景観への影響を検証したのかも疑問だ。

淀屋橋odonaがつくられる際には、70mまでであれば景観への影響が少ない、と市は都市計画審議会の中で説明をしていたが、それが140mになれば、その影響は推して知るべしである。

□「既に60mを超える高層ビルも立っているではないか」との意見に対する反論

確かに、淀屋橋で最高高さ70m、本町には140mの高層ビルが建っている。

この二つの再開発は、いずれも小泉政権下の都市再生の動きが背景にあり、都市再生特別措置法に基づく都市再生特別地区を活用したものである。

しかし、御堂筋全体で都市再生特区の活用を容認したわけではなかった。

2006(平成18)年に、新しい時代の御堂筋協議会が「御堂筋活性化アクションプラン中間とりまとめ」を作成した。

その中で、淀屋橋や本町の交差点付近を「賑わい拠点ゾーン」に位置付け、そのエリアのみについて高さを緩和するとの方針を示されたのである。

その結果として建設されたのが、淀屋橋odonaであり、本町ガーデンシティ(セントレジスホテル大阪)だ。

つまり、拠点以外の場所では従来のルール(軒高50mが、最高60m)が継続されることとなったわけである。

そもそもこの方針自体、望ましいことだったのかは議論の余地はあるだろう。

ただ、少なくとも、拠点エリアとそれ以外での仕分けをし、メリハリのある規制によって保全と開発のバランスを図ろうという意図は理解できなくはない。

しかし、今回の緩和は、そうしたメリハリも一切無視した「なし崩し的な緩和」と捉えられても仕方がないのではないか。

厳格な高さ制限で知られるパリにおいても、近年、地価の高騰やオフィス・住宅不足を背景に高さ制限が部分的に緩和された。

とはいえ、緩和されたのは、市縁辺部で景観への影響が少ない場所(全6か所)に限定されており、しかも、超高層はそれぞれの地区一つのみである。

守るべき場所と開発する場所のメリハリを図るのは、成熟した都市であればもはや当然の都市戦略であるはずだが、橋下市政にはそうしたものが感じられないのである。

<参考>

○パリにおける高さ制限の歴史

https://aosawa.wordpress.com/2010/04/16/

□「指定容積率が消化できないために建替えが進まない」との意見に対する反論

容積率を全て使い切ることができないために高さ制限の撤廃が必要との意見が見られる。

しかし、そもそも1995年に31mから50mに緩和したときの議論を思い出してほしい。

当時、31mでは容積率を消化しきれないから、50m(セットバックすれば+10m)になったのである。

現状でも1000%容積率の消化は十分可能であるにも関わらず、高さ制限の撤廃を要求するのは、更なる容積緩和を求めるための方便に過ぎないのではないか。

実際に、容積率を1300%に上げることも視野に入れているらしいが、それほどの容積を与えたところでどれほどの需要があるのだろう。

大阪におけるオフィスの空室率は、大規模ビルが9.6%、中型ビルでは12.8%に及ぶ(2013年2月末時点。出典:http://www.websanko.com/officeinfo/report/pdf/market2013-03-Osaka.pdf)。

一方、東京の都心五区の空室率は、大規模ビル6.23%、中型ビル10.9%であることから、大阪のオフィス床が特に余っている状況がうかがえる(2013年3月時点。http://www.websanko.com/officeinfo/research/pdf/2013/03-tokyo_23.pdf)。

空室率が高いだけでなく、大阪では、梅田をはじめとして各所で大規模な再開発が行われている。

このような状況の中、さらに御堂筋で容積を緩和する合理的な理由があるのだろうか。

仮に東京の丸の内などと同じような高層化をしたところで、本当に御堂筋が活性化するのかも疑問である。

御堂筋は、1969(昭和44)年に法律上の高さ制限が撤廃されたときも、31mのラインを守るべきとして、行政指導で規制を継続したという歴史的経緯がある。

一方、御堂筋と同じように31m(100尺)の建物が並んでいた丸の内では、容積制導入後、高さ制限は継続されず、かなり早い時期から高層化を図っている。

このことからも、御堂筋の高さの揃った街並みに対する先人の思いや見識が理解できるであろう。

私が懸念するのは、緩和してみたものの、蓋を開けてみたら超高層に建て替わるのは数棟のみで、分断されたスカイラインが残るという無残な結果に終わることである。

現在の50mの高さの中で、1000%を消化し、沿道全体として街並みを整えると同時に、低層階に賑わい機能を設ける方が、市内の他地域との差別化になり、むしろ価値を上げることになると思うのだが。

なお、今回の緩和の動きに危機感を覚えたため、2012年春に季刊誌土地総合研究に「御堂筋における高さ制限の変遷」を寄稿した。

以下から閲覧可能であるため、興味のある方は是非ご覧いただきたい。

http://www.lij.jp/html/jli/jli_2012/2012spring_p030.pdf

<2013年7月22日追記>

2013年7月19日付けの毎日新聞大阪朝刊に、御堂筋の高さ制限緩和に反対する見解を載せて頂きました。以下のURLに抜粋版を載せました。

毎日新聞「論ステーション:御堂筋「摩天楼」計画」

https://aosawa.wordpress.com/2013/11/06/

御堂筋・高さ制限の見直しについて:グランドデザイン・大阪(素案)

2012(平成24)年1月に、橋下徹・大阪市長が御堂筋の高さ制限の撤廃に言及したが、その後、大阪府市統合本部での検討が進み、4月に「グランドデザイン・大阪(素案)」が示された。

○「グランドデザイン・大阪(素案)」 

http://www.pref.osaka.jp/attach/16021/00000000/granddesign.pdf

素案によると、御堂筋周辺は「居・職・学エリア」に位置付けられ、将来構想として「御堂筋のみどり化とまちなみの再編」が示されている。

その将来構想の実現方策の一つとして、「セットバックを確保し高さを規制緩和」とある。

つまり、現在、指導要綱で規制している50mの軒高のラインは継承しつつ、高層部分をセットバックさせた上で、高さを緩和するとの考えを盛り込んだわけである。

現在、淀屋橋と本町三丁目の都市再生特別地区区域内では、それぞれ高さ70m、132mの高層ビルが建っているが、御堂筋沿道全域でこうした高層化を行うという意図なのであろう。

しかし、仮に御堂筋沿道での超高層化を認めたとしても、経済状況や敷地条件等から超高層化が進むのは数棟にとどまるのではないかとも推測される。

超高層ビルが点在し、結果的に分断されたスカイラインだけが残るという可能性があることも考慮する必要があるだろう。

また、御堂筋沿道は、一部を除くと奥行のある敷地が少ないため、高層棟部分を後退させたとしても、その距離には限界がある。

「グランドデザイン・大阪(素案)」には、「御堂筋沿道の大街区化」も位置づけられているが、仮に抜本的な敷地統合による街区再編を行った場合でも軒高50mラインの街並み景観に大きな影響が出ることは容易に想像がつく。

市長の高さ制限見直し発言からわずか2か月で素案に高さ制限の緩和が明文化されたわけであるが、御堂筋の景観は先人が築き上げてきた大阪の財産であることを踏まえた上で、慎重な判断を下すことが求められるのではないか。

※御堂筋の高さ制限の歴史的経緯や高層化の問題等について、季刊誌「土地総合研究」に寄稿しましたので、下記URLをご参照ください。

○御堂筋における高さ制限の変遷(土地総合研究2012年春号) 

http://www.lij.jp/html/jli/jli_2012/2012spring_p030.pdf 

○上記原稿のベースとした記事

https://aosawa.wordpress.com/2012/02/07/

また、府市統合本部会議の議事録や資料が大阪市のホームページで公開されていますので、こちらもあわせてご覧ください。

○大阪府市統合本部会議のホームページ

http://www.city.osaka.lg.jp/toshiseidokaikakushitsu/page/0000151065.html

高さ制限の系譜に見る「景観保全・形成」の考え方

絶対高さ制限の実施にあたって、「歴史的景観保全」や「街並み景観の保全・形成」を目的に掲げる自治体が少なくない。

しかし、景観保全を意図した絶対高さ制限の動きが主流となってきたのは、ここ最近の傾向である。

そこで今回は、我が国における高さ制限の系譜を整理した上で、「景観保全・形成」の考え方がどのように位置づけられてきたかを概観してみたい。

 

■戦前における高さ制限

我が国における高さ制限手法は、市街地建築物法を嚆矢とし、交通、衛生、保安を目的として、用途地域における絶対高さ制限(住居地域65尺・20m、その他の地域100尺・31m)、構造による高さ制限、道路幅員に応じた高さ制限の3つを基本として実施されていた。

上記3つの手法は景観保全・形成を目的としたものではなかったが、美観地区や高度地区といった制度が景観(美観)保全の手法として用意されていた。

美観地区は、美観保持を目的として高さに限らず建築物等の規制を行う制度であるが、宮城(現在の皇居)、伊勢神宮周辺など特定の場所が中心であり、その後の活用はあまり進まなかった。

一方、高度地区は高さの最低限度と最高限度を定める制度であるが、戦前においては大都市の駅前等の高度利用の促進を目的とした指定が多く、建築物の高さを抑える手法として活用されていたわけではなかった。

これは当時、木造の低層家屋で構成されていた都市の高層化と不燃化を図り、良好なストックを生み出すことこそが景観形成に寄与するとの考えによる。つまり、「高度利用・不燃化=美観形成」と認識されていたわけである。

■高度成長期(1960年代~70年代)における高さ制限

高度成長期に入ると、床需要の増大や構造技術の進歩等から、31m制限等の絶対高さ制限の合理性が問題視されるようになる。

その結果、1961(昭和36)年の特定街区制度創設、1963(昭和38)年の容積地区制度創設を経て、1970年には第一種住居専用地域(現在の低層住居専用地域)を除いて絶対高さ制限が撤廃され、容積率制限へと全面移行した。

一方、1960年代半ばから1970年代にかけて、日照紛争が社会問題化していたこともあり、高度地区や用途地域による北側斜線制限が行われるようになる。

つまり、高度成長期以降、容積率規制による容量コントロールと斜線制限による形態規制が中心となり、選択制となった絶対高さ制限は一部の都市(横浜市、京都市等)を除いてあまり活用されなくなる。

70年以降絶対高さ制限が利用されなかった理由は、①選択事項であったこと、②都心部等では高層化が求められたこと、③当時問題となっていた日照確保のためには、絶対高さではなく、北側斜線制限や日影規制で対応可能であったこと、④大半の地域ではそもそも大きな建物があまり建たなかったことなど、絶対高さ制限を用いる必要性が醸成されていなかったためと思われる。

この時期に景観保全を目的とした条例制定による高さ制限実施の動きも見られるが、金沢市、倉敷市、高山市、京都市など歴史的な景観を有する都市が中心であった。

■00年代以降の高さ制限

90年代半ば以降の景気対策としての各種規制緩和の流れの中で、低層の住宅地などにおいても高層建築物を巡る建築紛争が増加した。そこで、多くの自治体が景観条例等により独自の規制・誘導を行っていくことになる。

しかし、法的拘束力のない「お願い」条例であるものが多く、実効性が確保できないことから、高度地区等による絶対高さ制限の実施が進む。

90年代以降、絶対高さ制限が再評価された背景には、建築紛争において景観が焦点となっていったことが挙げられる(国立市、名古屋市白壁等)。

街並み景観や眺望景観を保全するためには、どうしても建物の高さを一定程度に抑える必要がある。

そのため、容積率規制や斜線制限だけでは対応が難しいとの共通認識が生まれ、絶対高さ制限が行われるようになってきたわけである。

■景観の位置づけの変遷

以上からわかるように、戦前から1960年代くらいまでにおいては、都市部であっても木造の低層家屋が中心であったことから、高層不燃化こそが景観形成の必要条件であると認識されていた。

つまり、「高さを抑える」のではなく、「高度利用を図る」ことが求められたわけである。

一方、高さを抑えることによる景観形成は、皇居、伊勢神宮などのいわば「国家レベルの重要な美観」のみに限られていた。

当時はそもそも高いものがほとんど建たなかったために、皇居や伊勢神宮などのエリアを除くと、景観保全・形成のために高さを抑える必要性が薄かったとも言えるだろう。

しかし、高度成長期に入ると、全国的に進められた国土開発の反動として、歴史的景観保全のための高さ制限の動きが見られるようになる。

そして、80年代に入り、歴史的な都市に限らず一般的な市街地においても景観条例による取り組みが進み、90年代後半以降になると、建築紛争においても景観保全が焦点となることが多くなった。

以上の戦前から現在までの流れをまとめると、高度利用(高層不燃化)による景観形成から、高さの抑制による景観保全・形成へと変化してきたことがわかる。

さらには、「景観保全」の概念も、国家レベルの特別なものから、歴史的な街並みにも用いられるようになり、その後、生活に密着した一般的な市街地における景観へ広がりをみせてきたと言えるだろう。

御堂筋における高さ制限の変遷

 

2012(平成24)年1月25日、橋下徹・大阪市長が御堂筋の高さ制限の撤廃に言及した。

御堂筋の高さ制限について「どこまでこだわり続けるのか、これまでの行政の考え方を超えて考えてもらいたい」と述べた上で、見直しの検討を指示したという(読売新聞2012年1月26日記事)。

「かいわいは不夜城でもなく、高度化した都市の感じもしない」ために、「マンハッタンの摩天楼のように(高さ規制を)開放してもいいのでは」(朝日新聞2012年1月25日記事)と述べていることから、高さ制限の緩和による御堂筋の高層化を意図しているようである。

また、「中心地に高度な(建物の)集積地をつくり、郊外はゆったりめという都市にすべき」(読売新聞)との見解も示していることから、御堂筋の高さ制限撤廃を大阪の都市構造再編の一環として位置付けているとも考えられる。

しかし、都心人口の受け皿として御堂筋が適切なのだろうか、また、御堂筋が摩天楼になることが望ましい姿と言えるのだろうか。

確かに、行政の旧弊を打破するといった掛け声は心地よく響くかもしれない。

だが、これまでに形作られてきた御堂筋の街並みを「旧弊」の一言で片づけてよいのかは疑問である。

御堂筋沿道においては、1920(大正9)年に施行された市街地建築物法の高さ制限によって100尺(31m)の街並みが形成され、1969(昭和44)年の容積地区指定後も行政指導に基づき軒高31m制限が継承されることとなった。

その後、1995(平成7)年には軒高31m制限が50mへと緩和され、さらに2000年代に入ってからは、淀屋橋で最高高さ70mの開発が認められ、本町4丁目では140mの高層ビルが建設された(ただし中層部の軒線は50m)。

ここ20年は、なし崩し的に高さ制限が緩和されていったとも言えるが、軒線の揃った街並みの形成という考え方は約90年にわたり継承されてきたのである。

2012年2月2日付の毎日新聞大阪朝刊には、「府関係者によると、オフィスビルが建ち並ぶ御堂筋沿いの建物に対する50メートルの高さ制限も撤廃する。」と、高さ制限の撤廃が既定路線になっているようにも受け取れる記事が掲載されている。

府市統合本部で6月までに結論が出されるとのことだが、このような短期間で大阪のシンボルである御堂筋の方向性が決められてよいのであろうか。

御堂筋における歴史的な蓄積を安易に捨て去るような判断を避けるためにも、まずはこれまでの御堂筋における高さの考え方を踏まえる必要があると思われる。

そこで以下では、御堂筋における高さ制限の変遷とその背景を見ていきたい。

 

<2012年5月24日追記:以下の記事を加筆・修正したものが「土地総合研究2012年春号」に掲載されました。下記URLから閲覧できます。是非ご覧ください。>

○土地総合研究2012年春号目次 http://www.lij.jp/index.phtml?page=jli/jli_2012/mokuji2012_02

○「御堂筋における高さ制限の変遷」 http://www.lij.jp/html/jli/jli_2012/2012spring_p030.pdf

 

<2013年3月25日追記>

大阪市都市計画審議会専門部会による高さ制限緩和容認のニュースを受け、「御堂筋の高さ制限撤廃に反対する理由」を書きました。↓

https://aosawa.wordpress.com/2013/03/25/

 

<2013年7月22日追記>

2013年7月19日付けの毎日新聞大阪朝刊に、御堂筋の高さ制限緩和に反対する見解を載せて頂きました。以下のURLから読むことができます。

毎日新聞「論ステーション:御堂筋「摩天楼」計画」 

http://mainichi.jp/area/news/20130719ddn004070041000c.html

 

<目次>

1.100尺(31m)制限下における御堂筋:1920年~1969年

2.行政指導による31mの軒高制限:1969年~1994年

3.行政指導による50mの軒高制限(31m→50mへの緩和):1995年~現在

4.拠点エリア(都市再生特別地区)における超高層ビルの容認:2000年代~

5.御堂筋における景観保全・形成の課題と展望

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図1 御堂筋の高さ制限の変遷

 

1.100尺(31m)制限下における御堂筋:1920年~1969年

御堂筋は、1926(大正15)年に着工し、1937(昭和12)年に完成した梅田と難波を結ぶ大阪のシンボル的な街路である(淀屋橋―本町間965mは1934(昭和9)年に竣工。イチョウ並木もこの年に植えられている)。

着工の6年前の1920(大正9)年に施行された市街地建築基準法に基づき、御堂筋の沿道は31mの制限がかけられていた(図2参照。住居地域は絶対高さ65尺、住居以外の地域(商業地域や工業地域等)は100尺に制限)。

つまり、100尺制限は御堂筋独自の制限ではなく、市街地建築物法が適用される区域の商業地域では全国共通で100尺に制限されていたのである。なお、1931(昭和6)年の市街地建築物法施行令の改正でメートル法が導入され、100尺の制限は31m、65尺は20mへと置き換わっている。

その後、100尺の建物が建ち並ぶ街並みが形成されていったわけであるが、これは意図して作られたものというよりは、法律が定める制限の限度一杯まで高度利用を図った結果として生まれた街並みであったと言えよう。

とはいえ、こうしてつくられた100尺で揃った街並みはイチョウ並木とともに御堂筋を象徴する景観を構成するようになるわけである。

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図2 市街地建築物法・旧建築基準法による高さ制限(いわゆる100尺制限)

 

2.行政指導による31mの軒高制限:1969年~1994年

①容積地区導入と美観地区条例案の作成

1969(昭和44)年4月、御堂筋を中心とする大阪都心部に容積地区が指定され、区域内では容積率によって建物のボリュームが制限される代わりに、31mの絶対高さ制限が撤廃されることになった。

なお、容積地区の指定は東京に次いで2例目で、施行は同年6月。1970年の建築基準法改正で容積制が全面導入されたことに伴い容積地区制度は廃止され、結局、容積地区の指定は東京と大阪の2都市のみでの活用にとどまった。

御堂筋周辺は、容積率メニューの最大値である10種(容積率1000%)が指定されたが、その理由として「御堂筋は大阪の象徴とも言うべきところであり、巾員44mの道路ぞいにすでに高容積の建物が並列している」(大阪市容積地区指定基準)ことが挙げられている。

容積地区指定に関する答申を行った大阪都市計画地方審議会は、「御堂筋のように既成の建築集団がすでに統一的形態をなしている地区については、これを維持するよう高さの制限等について容積地区施行と同時に必要な法的手続をとること」との附帯意見を示していた。

大阪市は、容積地区の指定にあたって設置された「容積地区研究会」において「御堂筋の淀屋橋、本町間のスカイラインは確保したい。」との見解を示していたこともあり、都市計画地方審議会の附帯意見を受けて美観地区条例による高さ制限の検討を開始する。

大阪市内では、1934(昭和9)年に美観地区(御堂筋、中之島、大阪城西側、大阪駅、難波駅周辺)が指定された。

1950(昭和25)年の建築基準法制定で、美観地区の具体的な制限は自治体が定める建築条例で規定することとされたが、大阪市は条例を制定していなかった。

美観地区条例案では、高さを31mに制限する第1種美観地区と45mに制限する第2種美観地区が設定され、御堂筋周辺(淀屋橋―築港深江線間)は第1種美観地区に指定することが想定されていた(第2種は中之島での指定が検討されていたようであるが、具体的な区域は示されていない)。

絶対高さ制限の実施は、容積制の趣旨に反するのではないかとも考えられたことから、大阪市は条例案の法的な問題の有無を確認するために、法学者3名から意見聴取を行っている。

聴取内容は、憲法29条(財産権の保障)、容積地区制の趣旨との関係、制限の合理性、損失補償の必要性といった多様な観点から行われた。

その結果、条例による制限は不適当との判断が示され、さらに建築審査会と建設省も消極的な姿勢であったことから、市は条例制定を断念する。

②「御堂筋の景観保持に関する建築指導方針」による軒高31mの制限

美観地区条例の策定は行われなかったものの、100尺(31m)による街並みの維持を図るべきとの判断から、行政指導によって31mの軒線の制限が行われることになった(「御堂筋の景観保持に関する建築指導方針」による行政指導)。

この建築指導方針による制限は、斜線制限と屋上突出物の高さ制限の2種類から構成される(図3)。

前者の制限は、御堂筋側の道路境界線から31mの高さから、3:2(1:約0.66。水平方向3に対して垂直方向2)の勾配による斜線制限であり、建築基準法における商業地域の道路斜線制限(勾配1:1.25)よりも厳しい(図3左)。仮に階高を4mとすると、高さ31mを超える部分は、御堂筋側の境界線から最低6mセットバックする必要がある。

一方、後者の屋上工作物の制限とは、屋上工作物が前述の斜線制限にやむを得ずおさまらない場合は、7m以上のセットバックかつ最高高さ43m以下(31m+12m)であればその設置を認めるものである(図3右)。

高層部をセットバックさせれば31mを超える部分の建設も可能とする制限であるため、建物全体の壁面位置を後退させてしまうと、かならずしも軒線が31mにならないという欠点はあるが、当時のオフィスビルは1000%の容積率を消化するために、建蔽率ぎりぎりまで使うものが多かったことから、壁面後退をする建物はほとんどなかった。

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図3 「御堂筋の景観保持に関する建築指導方針」(1969年)による高さ制限


3.行政指導による50mの軒高制限(31m→50mへの緩和):1995年~現在

「御堂筋まちなみ整備検討委員会」による高さ制限見直しの検討

行政指導開始から約20年後の1991(平成3)年、西尾正也・大阪市長(当時)が高さ制限の見直しに言及する。

当時は大阪の地価がピークに達しようとしたバブル期の只中であり、大阪市の商業地における地価公示の1983年時点の累積変動率を100とすると、1991年のピーク時は444と約4.5倍にまで高騰していた。

翌1992(平成4)年10月に市長が、「御堂筋まちなみ整備検討委員会」に対し、御堂筋の景観の方向性について諮問し、1994(平成6)年3月に高さ制限の緩和等を盛り込んだ提言を市長へ答申している。

委員会では、5つの整備試案を作成し、圧迫感、スカイライン、建物頂部の形態、壁面位置、建物の連続性、セットバック空間等の観点から検討している(図4)。

その結果、1000%の容積率消化や建物の質の確保の観点から、現行の指導要綱による制限の緩和が必要であるが、御堂筋の良さは「軒がそろっているということと道路際に壁が揃っていること」(第6回委員会での委員の意見)であるとの認識から、軒高を31mから50mに緩和し(最大高さは60m)、壁面後退距離を4mに制限する案が採択された。

当初、高さの基準については、「高さ制限は50m」とされていたが、「高さは50m」との表現に変更されている。つまり、50m以上でも以下でもなく、「50mに揃える」との意図を明確に示したわけである。

この案が採用された理由を委員会の議論からまとめると、1)D/H(道路幅員建物高さの比率)≒1となり、圧迫感の影響は少ないこと、2)セットバックによりイチョウ並木への生育条件にも悪影響を与えないこと、3)アトリウム、パサージュ、ポケットパーク等の設置による歩行者空間の整備が期待でき、足元周りのゆとりと賑わいが生れること、4)1000%の容積率が消化可能になること、等に集約できる(第6回委員会)。

図4 御堂筋まちなみ整備検討委員会での5つの試案

 

②日本建築学会による軒線31m制限の継続を求める要望

これに対し、日本建築学会は従来の31mの軒高制限の継続を求める「御堂筋の都市景観の保全・形成に関する要望書」(1994年6月)を大阪市長に提出する。

建築学会は、現在の御堂筋の都市景観を保全・形成する意義として、以下に示す3点を挙げた上で、「今回の高さ制限見直しを含めた現在の状況は、大阪の発展の中で優れた街並み形成に尽力されてきた大阪市の都市計画をはじめとする都市行政史上の重大な岐路に立っているといえます。今後、大阪が世界をリードしていくうえで求められている都市格を象徴する都市景観のあり方について、今まで築き上げられてきた御堂筋の都市美が失われることのないよう、慎重にご判断されるよう強く要望いたします。」と、高さ制限の緩和に反対する意向を表明した。

※要望書に示された御堂筋の都市景観を保全・形成する意義

1.御堂筋は、大都市の業務中枢エリアとして、これまで重要な役割を果たしてきたところであり、都市機能と景観が見事に統一された都市空間としての都心のステイタスを支えてきたこと

2.特に本町・淀屋橋間の都市景観は、統一ある連続したスカイラインと壁面線、バランスのとれた道路幅と建物高さ、さらに質の高い建築群により、我が国で他に類のない都市美が形成されてきたこと

3.御堂筋は、イチョウ並木とあいまって、市民をはじめ多くの人々によって長年親しまれ愛し続けられてきた大阪のシンボル的空間であること

これに対し大阪市は、「広く市民に評価されているイチョウ並木や、淀屋橋~本町間に代表されます沿道建築物の壁面の位置、並びに、軒の高さの統一につきましては十分に配慮する必要があると考えております」と軒高の統一に言及しつつも、31m制限には触れず、「「御堂筋まちなみ整備検討委員会」からの提言を尊重しつつ、指導方針を定め」ると回答している(「「御堂筋の都市景観の保全・形成に関する要望書」に対する回答」1994年8月1日)。

要するに市は、委員会案で示された軒高50m制限案を変更する意思がないことを示したわけである。

「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」による軒線50mの制限

1994(平成6)年11月に「御堂筋沿道建築物まちなみ誘導に関する指導要綱」が策定され、軒高制限が31mから50mに緩和される形で、行政指導による高さ制限が継続されることとなった(翌1995年1月施行)。

従来の「建築指導方針」は、あくまでも斜線制限であったため、軒線31mの街並みが継承されるとは限らなかったわけだが、この指導要綱では壁面位置(4m後退)と軒高(50m)を明示したことで、軒線の統一が担保されることになったと言えるだろう(図5。高さと壁面後退距離はそれぞれ50m、4mジャストであり、それ以上でもそれ以下でも不可)。

75年間(1920年から1994年)かけて作り上げてきた31m(100尺)の街並みを捨てる決断をしたわけであるが、新たな数値で軒線の連続の継承を図ることになったわけである。

また、この指導要綱は、高さや壁面位置だけにとどまらず、セットバックした屋外空間の整備のあり方や低層部分における賑わい用途の誘導、外壁の形態意匠、建築設備の配慮、広告物の基準等も規定された点が特徴であった(表1)。

高さのみが規定された「建築指導方針」と比べて、より積極的な街並み景観の形成を意図した要綱へと再編されたと言えるだろう。

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図5 「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」による高さ・壁面制限(50m)

 

表1 「御堂筋沿道建築物まちなみ誘導に関する指導要綱」に規定された誘導基準の内容

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④地区計画:御堂筋にふさわしくない用途の禁止

2001(平成13)年8月に、御堂筋地区地区計画が策定され、地区内における建築物の用途が制限されることになった。

用途の制限としては、ビジネスゾーンとしての風格にふさわしい土地利用を誘導することを目的として、マージャン店、パチンコ店、射的場、勝馬投票券発売所、場外車券売場、風俗店等の用途を御堂筋の街並みにふさわしくないものとして規制対象とした。

先に述べた指導要綱では、低層部への文化施設の導入の促進といったように、積極的に誘導すべき用途を挙げていたわけであるが、この地区計画では、最低限守るべきネガティブチェックのルールとして御堂筋に望ましくない用途の排除を行ったと言えるだろう。

4.拠点エリア(都市再生特別地区)における超高層ビルの容認:2000年代~

 ※本章については、記述に若干の誤りがあったため、2012(平成24)年5月16日に加筆・修正を行っている。

①御堂筋における規制緩和を求める動き

バブル崩壊後の景気低迷を背景に、規制緩和を求める動きが活発化する。

特に、銀行の店舗が多い御堂筋では、金融再編による店舗の統廃合による空室率の増加とともに、梅田や難波における再開発事業の進展による御堂筋エリアの求心力の低下が懸念されていた。

そこで、2000(平成12)年10月に、御堂筋活性化推進協議会が発足し、同年11月には「新しい時代の御堂筋」協議会が設置され、今後の御堂筋のあり方が検討されることとなる。

また、2001(平成13)年3月には、関西経済同友会が、高さ制限と容積率の緩和、ベンチャー特区の創設等を柱とする提言を発表し、20~30階建ての高層ビルの建築を容認すべきとした。

さらに、2002(平成14)年11月には、地元地権者企業から構成される「御堂筋まちづくりネットワーク」によって、御堂筋の将来像を示す「御堂筋スタイル創生」と具体的な規制の考え方である「御堂筋の新しい規制のあり方」の2つの提言が示された。

②淀屋橋地区都市再生特別地区(2004年)による規制緩和:軒高50m・最高高さ70mに緩和

こうした規制緩和を求める動きもあり、2002(平成14)年7月には、御堂筋を含む「大阪駅周辺・中之島・御堂筋周辺地域」が都市再生特別措置法に基づく都市再生緊急整備地域に指定され、2004(平成16)年12月に淀屋橋地区(旧愛日小学校の跡地を含む約0.8ha)において都市再生特別地区(以下、特区)が指定された。

この特区では、容積率の上限が1000%から1300%に割増されることとなったほか、最高高さが60mから70mに緩和されている。

最高部の高さは緩和されたものの、御堂筋側に面した部分については、壁面位置を4mセットバックした上で高さの限度を50mとする従来の指導要綱による軒線の連続性の考え方は踏襲されることとなった(それ以外の制限としては、容積率の下限700%、敷地面積の最低限度2,000㎡、建蔽率の最高限度が80%)。

つまり、特区の指定によって、指導要綱に基づく軒線50mと壁面後退4mの制限が法的に担保されることになったわけである。

図6 淀屋橋地区都市再生特別地区における高さ・壁面位置の制限

それでは70mという数値はどのようにして導かれたのであろうか。

当時の都市計画審議会の議事録によると、70mは景観シミュレーションを経て導かれた結論であるという。

図6に示すように、1)高さ50mの高さから20mセットバックして最高高さを70mとするもの、2)30mセットバックして最高80mのもの、3)40mセットバックして最高90mのもの、4)40mセットバックして最高150mのものの4ケースについて、淀屋橋交差点、伏見町交差点、道修町交差点の3つの視点場からの街並み景観への影響が検証された(注1)。

検討の結果、「今回、敷地を共同化して御堂筋でも珍しい一辺約80mの整形街区というまとまった規模での一体開発ということでございますので、御堂筋から20メートル後退した位置で建築物の最高高さを70メートルといたしましても、御堂筋のまちなみ形成上は、いろいろシミュレーション等検討いたしました結果から、影響はほとんどない」と市は判断し、10mセットバック、最高高さ70m案が採用されることとなった(平成16年度第4回大阪市都市計画審議会議事録)。

ただし、高さ制限の緩和については都市計画審議会でも賛否が分かれ、今後、同様の緩和を求める計画が出てきた場合を想定して、市としての景観形成の方針が必要であるとの意見も出されていた。

今回の特区の場合、ある程度まとまった規模・形状を持つ敷地であるから、緩和による景観への影響が少ないと市は説明していたわけである。つまり、同様の条件を有する敷地であれば、他の場所でも緩和を認める可能性を示唆していたとも解釈できる。

したがって、このように単発で高層建築物が許可されるようになった場合、指導要綱による50m(+10m)制限がなし崩し的に意味をなさなくなるのではないかとの懸念があっても不思議ではなかったと言えるだろう。

図7 淀屋橋地区都市再生特別地区検討時における高さのスタディのパターン(都市計画審議会議事録を元に作成)

③本町三丁目南地区都市再生特別地区による規制緩和:軒高50m・最高高さ140mに緩和

2006(平成14)年10月、「新しい時代の御堂筋」協議会が「御堂筋活性化アクションプラン2008中間とりまとめ」を策定する。

この中間とりまとめによると、御堂筋沿道のうち、淀屋橋と本町の交差点周辺を活力と賑わいをもたらす「賑わい拠点ゾーン」と位置付け、賑わい機能を設けた場合に、最高高さ60mの高さ制限(軒高50m+屋上工作物等10m)の緩和を容認する方向で検討すると位置付けられた(ここで言う賑わい機能とは、1階に待ち合わせができるロビー空間やイベントステージ、次世代IT技術を体験できるショールーム等を指す)。

この中間とりまとめを受けて、2007(平成15)年2月に本町三丁目南地区都市再生特別地区が指定された。

当該地区は、淀屋橋地区と同様に、中層部の高さ50mとし、高層部は御堂筋側から20mセットバックさせて140mまで高さを認めるものであった(2010年10月にホテル、商業、オフィスの複合ビルである本町ガーデンシティが開業。最高高さは132m)。

図8 本町三丁目南地区都市再生特別地区における高さ・壁面位置の制限

御堂筋と本町通の結節点に位置する当該敷地の拠点性を活かして、新たなランドマークを創出するという意図があったようであるが、都市計画審議会では、ランドマークとして高さを誇ることが御堂筋の価値に寄与するのかといった点が指摘される等、淀屋橋地区の時と同様に高さの緩和の是非について議論されている(ただし140mという数値自体は議論になっていない)。

また、淀屋橋と本町が「賑わい拠点ゾーン」と位置付けられたことにあわせて、御堂筋地区の地区計画が見直され、淀屋橋地区と本町地区において、壁面位置と建築面積の最低面積の制限が追加された。

御堂筋沿道は4m、本町通りと土佐堀通り沿いは2mと規定したことにより、要綱に基づく4mセットバックの基準が法定計画である地区計画で担保されることになったわけである。

表2 淀屋橋地区・本町三丁目南地区における都市再生特別地区の内容

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5.御堂筋における景観保全・形成の課題と展望

①高層化による街並みへの影響

1995(平成7)年に施行された「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」によって軒高が31mから50mに緩和されてから、今年で17年が経過した。

写真を見てもわかるように、現在、31mと50mのラインが混在する街並みが形成されており、50mのラインで揃うまでにはまだまだ時間がかかるであろう。

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こうした状況の中、仮に御堂筋沿道での摩天楼化を認めたとしても、経済状況や敷地条件等から超高層化が進むのは数棟にとどまるのではないかとも推測される(市長は抜本的な敷地の再編等も視野に入れているのかもしれないが)。

超高層ビルが点在し、ただ分断されたスカイラインだけが残るという可能性があることも考慮する必要があるだろう。

また、御堂筋沿道は、一部を除くと奥行のある敷地が少ないために、高層部を後退させても、その距離には限界がある。

そのため、高層化を図った場合、軒高50mのラインによる街並み景観には大きな影響が出るのではないかと思われる。

淀屋橋地区の都市再生特別地区でも高さ70mであれば影響が少ないとの判断であったのだから、それ以上の高さにしたならばなおさら影響は避けられないのではないか。

②「景観地区」の指定による「大阪美観地区」の継承:高さ制限の法定化

これまで見てきたように、御堂筋の高さ制限は、1969(昭和44)年以来、行政指導(指導要綱)によって運用されてきた(総合設計制度や都市再生特別地区等のいわば個別開発によって担保されてきたケースもある)。

要綱による規制は、一定の効果をあげていると言えるだろうが、あくまでも「要綱」であるために法的根拠はない。

2006(平成18)年12月、大阪市は景観法の規定に基づく「御堂筋地区景観協議会」を設置した。

地権者や学識経験者、まちづくり団体(御堂筋まちづくりネットワーク)等で構成されるこの協議会では、要綱の法定化を議論したいとの意向を市は持っているようである(平成18年度第3回大阪市都市計画審議会議事録による市の発言)。

法定化の手法としては、すでに策定済みである市の景観計画への位置づけ、都市計画である景観地区(かつての美観地区制度)、地区計画等が考えられるが、現在、協議会メンバー間で法定化の合意が図れる状況にはなく、景観協議会は開催されていないという。

法定化は、ルールの実効性確保には有効である一方で、地権者の開発行為に制限を与えることになるため、自らの敷地での開発可能性を考えると、地権者は法定化に二の足を踏んでしまうのであろう。

市側もそのあたりを斟酌して、要綱によって一定の枠をはめつつも、法的拘束力は持たせないことでルールを超えた開発の可能性も保持しておきたいという思惑があるように思われる。

しかし、こうした迷いのあるスタンスが、現市長にはどっちつかずの対応とみなされ、高さ制限の撤廃という発言に結びついているようにも思えるのである。

ここでもう一度、御堂筋が美観地区に指定されていたことの意味を考える必要があるのではないだろうか。

「指定されていた」と過去形で書いたのは、1934(昭和9)年に指定された大阪美観地区は、2005(平成17)年6月1日をもって指定が解除されたからである。

2004(平成16)年に景観法が制定され、従来の美観地区制度は景観地区制度として再編されたが、大阪美観地区では具体的な制限内容を定める条例がつくられなかったために、景観法全面施行に伴って2005(平成17)年6月1日に指定解除となったのである。

美観地区の指定解除と都市再生特別地区における超高層化の推進が同時期に進んでいったことは、「美観地区」としての記憶が徐々に薄れていくことを象徴する出来事と言えるだろう。

やはり、安易な規制緩和へと傾くのではなく、「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」を景観地区として位置付け、「美観地区」としての歴史を継承することが、御堂筋の価値を守り、高めるのではないだろうか。

御堂筋と同様に、シンボル的な街路沿いの街並みを守るために高さ制限を行っている場所として銀座がある(拙稿「銀座ルールから高さ制限のあり方を考える」参照)。

銀座には超高層建築物は必要ないと地元の人が決断し、2006年に高さ56m(屋上工作物を含めると66m)を限度とする「銀座ルール」を定めた。

街路幅員と建物高さの関係のバランスが、「銀座らしさ」を表す指標の一つであると銀座の人々が認識し、法的拘束力の強い地区計画で制限を行っているのである(しかも、総合設計や都市再生特別地区等による高さの緩和も認めていない(一部地区は除く))。

橋下市長の発言は、御堂筋のあり方を議論するきっかけを提供したという点で評価できるだろう。

しかし、高さ制限の撤廃を前提とせず、先人が築き上げてきた御堂筋らしさを継承する方向に議論を進めてもらいたい。

表3 御堂筋における高さ制限に関わる主な出来事

出来事

1919

大正8

4月

市街地建築物法・都市計画法公布

1920

大正9

9月

市街地建築物法施行(建物の高さが住居地域は65尺、その他地域は100尺に制限)

1931

昭和6

12月

市街地建築物法施行令改正によりメートル法導入(65尺は20m、100尺は31mに)

1934

昭和9

11月

御堂筋(淀屋橋―本町間)竣工

12月

美観地区指定(御堂筋、中之島、大阪城周辺(西側・南側)、大阪駅、難波駅等)

1937

昭和12

3月

御堂筋全通

1950

昭和25

5月

市街地建築物法に代わり建築基準法制定

1963

昭和38

7月

建築基準法改正(容積地区制度創設。指定区域内は絶対高さ制限31mが適用除外)

1969

昭和44

4月

大阪容積地区指定(御堂筋は第10種、容積率1000%)(施行は6月)。

6月

大阪容積地区施行。行政指導により軒線31mに制限(御堂筋の景観保持に関する建築指導方針)

1970

昭和45

6月

建築基準法改正(容積制全面導入)

1973

昭和48

8月

新建築基準法に基づく用途地域見直し(容積地区廃止。用途地域ごとに容積率設定)

1992

平成4

10月

大阪市長が「御堂筋まちなみ整備検討委員会」に御堂筋のまちなみのあり方について諮問

1994

平成6

3月

御堂筋まちなみ整備検討委員会が御堂筋のまちなみのあり方に関する提言を大阪市長に答申(31mの制限を軒高50m、最大60mへ緩和等)

11月

市が「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」策定(軒高50m、壁面後退4m等。翌年1月施行)

1995

平成7

1月

「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」施行

2000

平成12

11月

「『新しい時代の御堂筋』協議会」発足(大阪市、国交省、関経連、大阪商工会議所等)

2001

平成13

4月

新しい時代の御堂筋協議会が、「御堂筋活性化アクションプラン」策定(当該地区を「風格と活力あるビジネス空間」と位置付け)

8月

御堂筋地区地区計画策定(パチンコ店、マージャン店、風俗店等の御堂筋にふさわしくない用途を制限)

11月

「御堂筋まちづくりネットワーク」発足

2002

平成14

4月

都市再生特別措置法制定

11月

御堂筋まちづくりネットワークが御堂筋の将来像を示す「御堂筋スタイル創生」 と具体的な規制の考え方である「御堂筋の新しい規制のあり方」を提言

2004

平成16

6月

景観法公布に伴い大阪市が景観行政団体になる

12月

淀屋橋地区都市再生特別地区指定(高さ50mを超える部分のセットバックにより最高高さ70mまで緩和、容積率は1300%)

2006

平成18

2月

大阪市景観計画告示(10月施行。対象区域は市全域)

10月

「御堂筋アクションプラン2008中間とりまとめ」発表(拠点エリアでの高さ制限の緩和等)

12月

「御堂筋地区景観協議会」設置(御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱の適用区域におけるルールのあり方等を検討)

2007

平成19

2月

本町3丁目地区都市再生特別地区指定(高さ50mを超える部分のセットバックにより最高高さ140mまで緩和、容積率は1300%、2010年10月に本町ガーデンシティが開業)

3月

御堂筋地区地区計画見直し(淀屋橋地区、本町地区における最低敷地規模、壁面位置制限の追加)

2012

平成24

1月

橋本徹・大阪市長が、大阪府市の統合本部会議で御堂筋沿道の高さ制限撤廃に言及。

【高さ制限撤廃に関する記事】

○朝日新聞2012年1月25日「御堂筋の高さ制限、橋下市長が撤廃検討を指示」

http://www.asahi.com/politics/update/0125/OSK201201250052.html

○読売新聞2012年 1月26日「御堂筋高さ規制見直し」

○朝日新聞2012年1月28日「御堂筋で高さ論争 橋下・大阪市長、高層ビル解禁狙う 「景観崩れる」反対も 」

○毎日新聞2012年2月2日大阪朝刊「大阪・御堂筋:40年後に緑の公園、大阪府がPT 「暮らしの場」へ車道撤廃、心斎橋に小山・ビル上は住居」

http://mainichi.jp/kansai/news/20120202ddn001010006000c.html

【御堂筋における高さ制限等のルール】

○「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」の概要

○「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」本文

○「御堂筋地区地区計画」計画書

○「御堂筋地区地区計画」計画図

○大阪市内における「都市再生特別地区」