GINZA SIXがもたらした新たな眺め ~「屋根」がつくる景観~

 

■GINZA SIXの屋上庭園

2017年4月20日、銀座松坂屋の跡地に新たな複合商業施設「GINZA SIX(ギンザシックス)」が誕生した。
高さは56m。超高層ビルラッシュの東京の中では、控え目な高さである。

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写真1 GINZA SIX

当初、この開発は高さ190mの超高層ビルでの建替えが予定されていた。

ところが「銀座に超高層ビルはいらない」と地元が反発。いわゆる「銀座ルール」の上限である高さ56mで建設された 1)。超高層ビルを必要としないまちづくりこそが、銀座の価値を高めると地元は判断したわけだ。

こうしてGINZA SIXは、超高層ビルに頼らない銀座の景観に色を添えることになる。

「銀ブラ」の言葉に代表されるように、銀座の景観は、歩道から見た街並みを指すことが多い。だが、GINZA SIXは新たな視点を銀座にもたらした。

それは、高所から見下ろす屋根(屋上)への眺めである。

もちろんこれまでにも、高所から眺められる場所はあったかもしれない。しかし、銀座通りだけでなく、銀座の全方位にわたって周囲への眺めを意識させたのは、GINZA SIXが最初ではないか。

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写真2 GINZA SIXの屋上庭園

■屋根の景観

では、銀座の屋根の景観とは何か?

GINZA SIXの屋上庭園は、誰でも入れる広場となっている 2)。屋上を一周する展望廻廊からは、ビルの周囲を360度眺めることができる。

西に面する銀座通りを見下ろせば、買い物を楽しむ人の多さに眼を奪われる。北に目を向ければ東京スカイツリー、南に東京タワーと、東京の二大ランドマークを遠望できる。

しかし、この廻廊をぐるっと回ってみて気になったことは、銀座通りでもスカイツリーでもない。

眼下に広がるビルの屋上だ。

銀座ルールによって、近隣にGINZA SIXより高い建物はない。周りのビルの屋上には、空調の室外機や看板の鉄骨などが、むき出しのままさらされている。

墓石のように、所狭しと屋上に並ぶ室外機の数には圧倒される。

これがGINZA SIXの屋上庭園から見える屋根の景観である。

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写真3 周囲のビルの屋上

■屋根の景観が目立つ理由

だが、ビルの屋上への眺めといわれても、周囲のビルの所有者は困惑するだけだろう。

そもそもビルの屋根・屋上は、見られることを前提としていない。いわば、ビルの屋上は「無意識の景観」ともいえる。

であるがゆえに、その無防備な風景を目の当たりにすると、見てはいけないものを見てしまったような罪悪感を覚えてしまう(だらしない格好のまま外出している知人を偶然目の当たりにしてしまったような気まずさ?)。

超高層ビルや東京スカイツリー等の展望台であれば、眼下の建物ははるか下。個別の建物をあまり意識することはない。

一方、GINZA SIXの屋上はとりわけ高いわけではなく、周囲のビルとの距離が近い(高低差が小さい)ために、ことさら屋上が目についてしまうのだろう。

■屋根の景観をどう考えるか?

銀座の屋根の景観をどうするのか。GINZA SIXは新たな問題提起をしたのではないか。

東京らしい混沌とした風景として楽しむことも一興だろう。もしかすると外国人観光客の受けはいいのかもしれない。

とはいえ、銀座としてそれでよいのだろうかとも思ってしまう。屋上の設備を集約化し、空いた部分に緑を植えることで、銀座全体を空中庭園のようにしつらえてもよいだろう。

いずれにせよ、屋上広告・工作物も含めて、屋根のあり方を検討する余地があるのではないか(何事も動きの早い銀座のことだから、既に考えているのかもしれないが)。

【注】
1)GINZA SIXの開発経緯と銀座ルールについては、竹沢えり子「銀座にはなぜ超高層ビルがないのか: まちがつくった地域のルール 」(平凡社新書、2013年)に詳しい。銀座のまちづくりの全貌を理解できる良書。
2)GINZA SIXは、都市再生特別地区(都市計画法、都市再生特別措置法)の指定によって容積率の緩和を受けているが、屋上庭園を一般に公開することが容積割増の要件の一つとなっている。

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「高さ」から見た広島の新サッカースタジアム問題

広島市でサッカー専用スタジアムの建設が計画されているが、その場所がなかなか決まらない。

新スタジアムを利用することになるJリーグのサンフレッチェ広島は、市中心部の広島市民球場跡地を要望しているが、広島県、広島市、商工会議所は、市南部に位置する「広島みなと公園」で建設を進めたいようだ。

利便性を考えれば、市中心部から7km離れた「広島みなと公園」ではなく、繁華街に近い市民球場跡地の方が適切であろう。

そもそも、サンフレッチェ広島のホームスタジアムである「エディオンスタジアム広島(広島ビッグアーチ)」のアクセスが悪いことも、新スタジアム建設の機運が高まった一因になっているのだ。

□広島市民球場跡地案が難しい理由

ところが、行政側は市民球場跡地案に難色を示している。どうやら、さまざまな開発利権が絡んでいるようであるが、正確なことは知りようもないので、この点にはふれない。

行政側が作成した「サッカースタジアムに係る事業の実現可能性調査」によると、市民球場跡地案の問題点の一つが、建築物の高さ制限に対応するために事業費がかさんでしまうことであるようだ。

仮に国際大会を誘致するために必要な3万人規模のスタジアムをつくろうとすると、市民球場跡地の周辺でかけられている高さ制限がネックとなる。高さ制限を満たすためには、地面を掘り込んで、地上に出る部分をできるだけ低く抑える必要が出てくるわけだ。

その掘り込み費用に99.4億円かかり、総建設費が約260億円に跳ね上がるという。広島みなと公園案での建設費が約180億円であるから、80億ほど高くなる計算だ。なお、今年完成したガンバ大阪の本拠地「吹田スタジアム」の総建設費140億円と比べると、ほぼ倍である。

ここで気になることが2点ある。

市民球場跡地でのスタジアム建設の障壁の一つになっているという建築物の高さ制限とは何か。もう一つは、掘り込む作業に100億円もの費用がかかるのだろうかという点である。

□広島市の高さ制限とは?

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市民球場跡地の南側に、原爆犠牲者を鎮魂する平和記念公園が位置する。公園内には被爆や平和のシンボルともいえる原爆ドームがあり、1996年にユネスコの世界文化遺産に登録された。

世界遺産に登録されると、登録資産である原爆ドームの保存はもちろん、その周辺環境(バッファー・ゾーン=緩衝地帯)も守ることが求められる。原爆ドームのバッファー・ゾーンは、平和記念公園の周辺約50mまでが指定されており、その中に市民球場跡地の一部も含まれる。

このバーファー・ゾーンに、市民球場跡地一帯を加えたエリアで、前述の高さ制限が指定されている。市が策定した「景観法に基づく届出等に係る事前協議制度に関する取扱要綱」を根拠とするものだ(1)。

高さ制限は、20m、25m、37.5m、50mの4種類。市民球場跡地には、20mと25mの制限がかけられている。

跡地は原爆ドームに近接しているため、その高さ25mを超えないように制限し、シンボルである原爆ドームを際立たせようとしているわけである。

世界遺産を中心とする景観は、広島市だけでなく、世界にとっての大きな共有財産である。その財産を守るための制限は、必要なものといえるだろう(2)。

 

原爆ドーム周辺高さ制限図
平和記念公園周辺の高さ制限図(出典:広島市資料)

 

□高さ制限はスタジアム建設を妨げるのか?:マインツ・コファス・アレーナの例

それでは、25mという高さ制限は、スタジアム建設の支障になるのだろうか。

行政側が示した市民球場跡地でつくった場合のスタジアム案の地上高さは25m。高さ制限の範囲内に抑えられている。その分、7.3m掘り込むことで、3万人の規模を確保している。その掘り込み費用が約100億円と試算されていることは先に述べた。

この100億円という額は妥当なものなのか。

海外の事例ではあるが、ドイツ・ブンデスリーガのマインツの本拠地、コファス・アレーナ(Coface arena)を紹介したい。

改めて説明するまでもないと思うが、マインツは、昨年まで岡崎慎司が所属し、現在は武藤嘉紀が主力選手として活躍していることで知られる。

コファス・アレーナは、2011年に完成したサッカー専用スタジアムである。収容人数は3万4千人。広島が想定する規模よりやや大きいが、ほぼ同程度だ。スタジアムの一部を掘り込んでいるために、地上高さは30mに抑えられている。

昨年、現地に行ったのだが、スタジアムの中は高さ(深さ)を感じるものの、外から見ると圧迫感は少ない。

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ここで注目したいのが、建設費用だ。

コファス・アレーナの建設費は6000万ユーロ。1ユーロ120円で換算すると約72億円となる。当然ながら掘り込むための費用も含まれる。

もちろん、コファス・アレーナと広島を単純には比較できないだろう。例えば、コファス・アレーナと異なり、市民球場跡地は既成市街地の中にある。それゆえ、地中埋設物の移設・撤去等の費用を要するだろうし、河川沿いにあるために地盤も緩く、基礎工事費用がかさむのかもしれない。

様々な検討を重ねた上での100億円なのだろう。だが、コファス・アレーナの例を見てしまうと、さすがに100億円は高すぎるのではないかと感じてしまう。何とか安くする工夫の余地はないのだろうか。

 

一人のJリーグサポーターとしては、もし掘り込む費用に100億円もかからず、費用面の問題が解決可能であれば、市民球場跡地での建設を望む。景観にも配慮したスタジアムは、平和記念公園一帯の価値向上にも寄与するに違いない。

「サッカー観戦」とは、試合を見ることだけではなく、スタジアムやそれを取り巻く街全体を体感することでもある。都市の中心部にスタジアムがあることは、サッカー観戦の満足度を飛躍的に高めてくれるだろう。

市民球場跡地にスタジアムがつくられれば、今後計画される全国のサッカー専用スタジアムの立地に大きな影響を与えるはずだ。

言い過ぎかもしれないが、この広島の新スタジアム問題は、Jリーグの未来もかかっているのである。

【注】

(1)この要綱は、もともと1995年に「原爆ドーム及び平和記念公園周辺建築物等美観形成要綱」として策定された。なお、要綱に高さ制限が追加されたのは2006年。マンション問題を契機に実施されることになった。

(2) この高さ制限は、「要綱」である。つまり、法的根拠がなく、強制力はない。あくまで行政が事業者等に基準の遵守を「お願い」するだけのものである。本来であれば、景観法に基づく景観計画や景観地区、都市計画法に基づく高度地区といった法的手法で担保すべきであるが、高さ制限のような権利制限が強い規制の場合、地権者間の合意形成が難しい。かつて、市は要綱の高さ制限を景観計画に移行させようとしたが、地元地権者の反対が強く、案を白紙撤回したとの経緯がある。

【参考資料】

・サッカースタジアム実務者検証作業部会(広島県、広島市、広島商工会議所)「サッカースタジアムに係る事業の実現可能性調査」2016年4月20日

http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1460547263945/simple/jitugenkanousei.pdf

・藤江直人「どうなる広島の新スタジアム問題」2016年4月24日 ※問題点が簡潔に整理されていて大変参考になる。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160423-00000001-wordleafs-socc

・コファス・アレーナに関する各種ホームページ

http://www.worldfootball.net/venues/coface-arena-mainz/1/

http://www.gvg-mainz.de/stadion/ (ドイツ語)

世界遺産サンクト・ペテルブルクにおける超高層ビル論争 ~国家的プロジェクトと景観問題~

今回は、ロシアの古都サンクト・ペテルブルクで起きた超高層ビル論争を紹介したい。

サンクト・ペテルブルクは世界遺産に登録された歴史都市である。

その近接地に高さ396mの超高層ビルが計画され、歴史的景観にそぐわないとして問題となった。

しかし、この超高層ビルは、プーチンやメドベージェフといった新旧大統領が大きく関わる政府系企業・ガスプロムネフチの本社ビルとして計画された。いわば「国家プロジェクト」としての超高層ビル開発だったために問題は複雑となった。

以下で、その経緯や問題の論点を見ていきたい。

■サンクト・ペテルブルクの歴史地区と世界遺産登録

サンクト・ペテルブルクは18世紀初頭から1917年のロシア革命まで、ロシア帝国の首都であった。
ソ連時代にレニングラードと改称されたが、ソ連崩壊後の1991年に元の名前に戻された。

市中心部の歴史地区には、ピョートル大帝(位1682~1725年)がイタリアなどの建築家を招いてつくった宮殿や教会等の壮麗な建築物群が残されている。

その歴史的な価値が認められ、1990年には世界遺産に登録された。

地区内の景観を保全するため、地区内の建物は、世界三大美術館の一つ、エルミタージュ美術館(冬の宮殿)の高さを超えないように規制されている。

その結果、歴史地区では整然とした街並みが保たれているのである。

■政府系企業による高さ396mの超高層ビル開発

2006年、その歴史地区の景観を大きく揺るがす超高層ビルの計画が明らかとなった。

ロシアの政府系天然ガス企業「ガスプロム」がサンクト・ペテルブルク市と共同で高さ396mの「ガスプロム・シティ」の建設を発表したのである。

当時、ガスプロムは、世界的な石油・天然ガス価格の高騰によって業績を拡大させていた。

その傘下企業、ガスプロムネフチの本社機能ビルとして計画されたのが、この超高層ビルだった。

サンクト・ペテルブルクは、ウラジミール・プーチン大統領の出身地である。そのため、このビルは「プーチン・タワー」とも揶揄されることとなる。

市の全額負担による建設への反発

建設計画が明らかになると、建設費用の捻出方法が問題視される。

サンクト・ペテルブルク市が建設費用を全額拠出し、完成後、ガスプロムネフチの所有になると発表されたため、世論の不評を買った。

市としてみれば、国内有数の企業を受け入れることで、税収の増加や再開発による経済効果を見込んだのだろう。

しかし、市の財源を一企業のために利用することへの反発は大きかった。

そこで、2007年6月、市の全額出資ではなく、ガスプロムネフチが51%、市が49%と変更された。

さらに、プロジェクトの名称も、一企業を名に冠するのではなく、「ガスプロム・シティ」から開発予定地の地区名である「オフタ・センター」へと変更されることとなった。

高層ビルが与える歴史的景観への影響

だが、問題はそれだけにとどまらなかった。

計画区域が世界遺産の歴史地区に隣接しており、高層ビルが歴史的景観に与える影響が懸念されたのである。

市内の高い建物といえば、ペトル・パウェル大聖堂(122.5m)や聖イサク聖堂(101.5m)などの歴史的建造物のほか、ソ連時代の1966年に建設されたサンクト・ペテルブルク・テレビ塔(高さ310m)くらいしかなかった。

このことからも、396mのオフタ・センターの大きさがわかるだろう。

さらに、ビルの高さだけでなく、場所も問題視された。

オフタ・センターは中心部からは約5キロ離れているものの、ネヴァ川を挟んで歴史地区に接している。

しかも、ロシア革命時に武装蜂起の作戦本部が設置された「スモーリヌイ」の対岸に位置していた。

象徴的な場所に隣接していたことが、反発をより助長したのである。

■ユネスコによる警告と高さ制限の強化

世界遺産登録を行ったユネスコは、高層ビル計画が歴史地区に隣接していることを懸念した。

そこで、2007年にバルボサ・ユネスコ事務局次長が、オフタ・センターの計画を進めるのであれば危機遺産リストへの登録も辞さないと警告した。

また、2009年3月には市議会が建設予定地周辺に高さ100mの高さ制限をかけた。

この数値は、歴史地区のシンボルの一つである聖イサク大聖堂(高さ101.5m)の高さを超える建物を認めないことを意味する。

■一転、建築許可へ:プーチン、メドヴェージェフの庇護を受けた「国家プロジェクト」

ところが、同年9月、市の土地利用・建設委員会が、例外的に高さ403mまで認める決定を行い、翌10月にはマトビエンコ市長が建築を許可した。

当初の高さは396mであったことから、最終的に高さが17m上乗せされたことになる。

許可にあたって市側は、タワーは市中心部から離れた世界遺産区域外であるために景観上の影響は少なく、市の発展に必要な開発であると主張した。

なお、計画を許可したマトビエンコ市長はプーチンのKGB人脈に連なる人物である。

2008年に大統領に就任したドミートリー・メドヴェージェフも、プーチン同様にサンクト・ペテルブルク出身で、さらにプーチン大統領時代(一期目)にガスプロムの会長を務めたこともあった。

つまり、オフタ・センターはプーチン、メドベージェフといった強力な権力者の庇護のもとで推進されていた国家的プロジェクトだったのである。

■世論の反発とユネスコの勧告

しかし、世論を無視して高さ制限の緩和が強引に進められたことが一層の批判を呼ぶことになる。

まず、ロシアのアレクサンドル・アヴデーエフ文化相が、市長の建築許可を違法としたロシア文化財保護監督局の決定をサンクト・ペテルブルク検察に送付した。

同じ頃、建設に反対する市民約3000人が抗議デモを行い、世論調査でも建設反対が66%と全体の3分の2を占めた(賛成は20%)。

また、ユネスコもオフタ・センターの建設中断と代替地の検討を勧告する決議を行った。

■オフタ・センター開発地の移転決定、高さが463mへ

こうした反発を受け、開発の動きに変化が生まれる。

2010年10月、当時のメドヴェージェフ大統領が「スモーリヌイの隣に建てる必要はあるのか」と開発場所に疑問を呈し、さらに、ユネスコとの協議が完了してから建設を開始すべきとの見解を示した。

この発言が影響したのか、12月には、マトビエンコ市長がオフタ・センターの建設地を移転させることでガスプロムと合意したと発表した。

この計画変更については、市民や国際社会との対話協調路線を志向するネドベージェフが大統領になったからこそ実現したとの見方がある一方、2012年の大統領選に向けたパフォーマンスと捉える意見も少なくなかった。

その後、建設予定地が、市西部のフィランド湾沿いに面したプリモルスカヤ地区ラフタ(14ha)に変更、2012年8月に市当局によって建設の許可が下ろされた(同年5月にプーチンが大統領に就任(二期目))。

移転地はサンクト・ペテルブルクの中心部から約9キロ離れているが、移転に併せて高さが60m上積みされて463mとなった。

この計画地の移転や高さの変更に関して議論が尽くされていないことへの批判も見られ、景観論争は未だくすぶったままとなっている。

このサンクト・ペテルブルクの景観論争は、世界遺産に登録されたからといって、国がその歴史的環境を守ってくれるとは限らないことを示している。

その意味で、このケースは、神宮外苑の風致地区における新国立競技場の建設問題と類似しているかもしれない。

<参考資料>

オフタセンター公式ホームページ  http://www.ohta-center.ru/en/ ※リンク切れ

服部倫卓(2011)「ガスプロムとペテルブルグの特殊な関係」『ロシアNIS調査月報56(4)』

毎日新聞東京朝刊2007年6月12日「古都に「ガスプロム」巨大タワー計画 揺れる世界遺産の街」

読売新聞2008年10月28日「[明日へ]世界遺産を守る(6)再開発と歴史の調和を」(東京夕刊)

朝日新聞 2009年10月12日 「400メートルのビル計画、世界遺産のロシア古都大揺れ」

共同通信 2009年10月10日「超高層ビル承認で論争、ロシア 世界遺産のサンクト市」

時事通信 2009年10月11日「高層ビル計画に抗議デモ=世界遺産が危機-サンクトペテルブルク」

東京新聞 2009年12月27日「 『プーチン・タワー』計画 揺れる古都 市民反発 市は強硬姿勢」

時事通信 2010年12月10日「摩天楼建設場所の変更決定=景観に懸念-サンクトペテルブルク」

読売新聞2010年12月14日「超高層ビル「やっぱりダメ」 サンクトペテルブルク市長」(東京朝刊)

御堂筋「摩天楼」計画(毎日新聞)

※毎日新聞2013年07月19日大阪朝刊の「論ステーション」に掲載されたインタビューを以下に再掲します。

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毎日新聞2013年07月19日大阪朝刊<オピニオン opinion>

大阪の「顔」とも言われる御堂筋沿いのビルの高さ規制を大幅に緩和する手続きが進められている。老朽化したビルの建て替えを促し、街の活性化を図る狙いだが、風格のある景観が乱れ、魅力が薄らぐと心配する声も強い。都市景観の研究者と、地元で街づくりの提言を続けてきたNPO代表に話を聞いた。

◇比類なき美、100年の計で−−東京工業大助教・大澤昭彦さん(景観・都市計画)

御堂筋の景観は70年以上かけて築き上げられてきた。1937年の道路完成以来、幅44メートルの道路に4列のイチョウ並木、沿道に建ち並ぶ100尺(31メートル)のビル群が、風格ある御堂筋の基調となる景観を成してきた。95年に31メートルの高さ規制が緩和されたものの超高層ビルは御堂筋にふさわしくないとして50メートルに落ち着いた。高度成長期やバブル期にもあえて超高層化を認めなかったのは、道幅と高さのバランスが取れた景観に固有の価値があるとの考えからだ。御堂筋の景観は大阪市と民間の不断の努力によって築かれてきた公共財であり、大阪の歴史的、文化的な厚みを象徴する存在だ。

それが今、超高層化へかじを切ろうとしている。しかし、この緩和路線は、御堂筋が培ってきた歴史的、文化的蓄積を放棄し、大阪の「顔」を失うことにつながるのではないかと強く懸念している。現在の大阪の経済力から見ると、超高層に建て替わるのは、経済的条件の整った数棟にとどまり、結果的に分断されたスカイライン(空に接する輪郭)だけが残ることになりかねない。そうなれば、どこにでもある奥行きも深みもない都心の一つに成り下がってしまう。

現在のスカイラインは50メートルにそろっていないから景観保全の体をなしていないという意見もあるが、これは95年の規制変更のためで、31メートルと50メートルのラインが混在しているのはむしろ当然だ。街づくりは50年、100年かけて行うものであり、20年足らずでそろうのは無理な話だ。御堂筋は道路の幅員と壁面後退の幅を足すと52メートル。沿道の建物の高さを50メートルに整えると、道幅と高さのバランスが取れて美しい。年月をかけて50メートルのラインをつくることに意味がある。

比較的広い道路で、高さに制限を加えた沿道建物が一体となった街路景観といえば、東京の表参道や銀座がある。御堂筋はこうした通りと比べても風格があり、全国的に見ても非常に価値のある街路景観と言えるだろう。

世界一の観光客数を誇るパリの美しい街並みは19世紀の大改造でその骨格が完成した。1960年代の規制緩和により、一部区域で超高層を認めた結果、73年に210メートルのモンパルナスタワーが完成した。これが街の景観を損なったと市民の反発を招き、一転して高さ規制が強化され、市内の再開発は最大37メートルに制限された。近年、再び規制緩和されたが、あくまで中心部の景観への影響が少ない市外周部の一部に限定している。

大阪では大阪駅や天王寺周辺で超高層ビル開発が活発だ。このため、相対的に御堂筋の価値が下がっているように見えるのかもしれない。だが、御堂筋は御堂筋らしさを強調することが他地区との差別化につながる。オフィス需要が限られる中、高層化を図る場所と高さを抑える場所のメリハリを持たせる方が、大阪全体の持続的な発展に寄与するだろう。

フランスの作家、ビクトル・ユゴーはこんな言葉を残している。「一つの建物には二つの要件がある。建物の効用と、建物の美しさである。効用は建物の所有者に帰属するが、建物の美しさはすべての人に帰属する」。先人が築き上げてきた歴史をいかに継承するかという方向で議論が進むことを期待したい。【聞き手 論説委員・藤田悟】

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◆御堂筋沿道の高さ規制

御堂筋(大阪市北区−中央区、約4キロ)は1937(昭和12)年、幅44メートルへの拡張工事が完成し、ほぼ現在の姿になった。沿道の建物の高さは法律で100尺(31メートル)に規制され、69年の法改正で高さ規制が撤廃されて容積制に変わった後も、大阪市は淀屋橋−本町間について景観保全を目的に行政指導で31メートル規制を続けた。95年には歩道に面した部分は高さ50メートルに、上層部分を歩道から10メートル以上後退させた場合は高さ60メートルまで緩和した。街の活性化を掲げる橋下徹市長が検討を指示したのを受け、市都市計画審議会の専門部会は今年3月、60メートル規制を撤廃し、上層部分の後退幅に応じて最高140メートルまで可能となる規制緩和の最終案をまとめた。2013年度中に市要綱や条例の改正手続きに入る。

<関連ページ>

御堂筋沿道 高さ制限緩和への疑義

御堂筋における高さ制限の変遷(季刊土地総合研究2012年春号)

 

御堂筋沿道 高さ制限緩和への疑義

2013(平成25)年3月、大阪市都市計画審議会専門部会が、御堂筋沿道で実施されている軒高50m(最大で60m)制限の緩和を容認した。

今後、市は緩和に向けた手続きを進め、2013年度中に改正を予定しているという。

現在示された案では、最大で60mに抑えられていた高さ制限を緩和し、最大で140mまで建設可能とすることが検討されている(朝日新聞2013年3月20日付。「御堂筋沿い、高さ規制撤廃 大阪市、13年度に条例改正」)

この動きは、2012年1月に橋下市長が高さ制限の撤廃に言及したことに端を発するものだが、1年の時を経て、高さ制限の緩和の具体案が出てきたわけである。

私は、御堂筋における高さ制限の歴史的経緯や現在の大阪のオフィス需要などから見ても、高さ制限緩和には反対である。

なにより、今回の緩和には全くの理念もビジョンも感じられない。理念なき都市政策が経済性のみに立脚せざるを得ないのは必然である。「規制緩和による活性化」は理念ではなく、都市政策の放棄にすぎない。

以下では、高さ制限緩和賛成論に対する私なりの反論を記したいと思う。

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□「既に沿道のスカイラインはバラバラではないか」との意見に対する反論

1995(平成7)年に高さ制限を31mから50mに緩和したために、確かに31mと50mのラインが混在している。

しかし、現在の姿は、50mのスカイラインの創出に向けた過渡期であるのだからバラバラであるのはむしろ当然である。

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言うまでもないことだが、街は一朝一夕につくられるものではない。

50mのラインで整えようと市が決断したのは、わずか18年前のことである。

現在スカイラインは揃っていないものの、着実に新たなスカイラインの形成に向けて進んでいる。

そのさなかに緩和をしてしまっては、18年前の大きな決断を無駄にすることになるのではないか。

現在の案では中層部の50mのラインは守ると言っているが、高層部が突出してくれば現在の空が遮られることは避けられない。

都心でこれほど広くまとまりのある空を見ることができるのは御堂筋くらいのものだ。

今回の案の策定に際して、どれほど景観への影響を検証したのかも疑問である。

淀屋橋odonaがつくられる際には、70mまでであれば景観への影響が少ない、と市は都市計画審議会の中で説明をしていた。だが、それが140mになれば、その影響は推して知るべしである。

□「既に60mを超える高層ビルも立っているではないか」との意見に対する反論

確かに、淀屋橋で最高高さ70m、本町には140mの高層ビルが建っている。

この二つの再開発は、いずれも小泉政権下の都市再生の動きが背景にあり、都市再生特別措置法に基づく都市再生特別地区を活用したものである。

しかし、御堂筋全体で都市再生特区の活用を容認したわけではなかった。

2006(平成18)年に、新しい時代の御堂筋協議会が「御堂筋活性化アクションプラン中間とりまとめ」を作成した。

中間とりまとめの中で、淀屋橋や本町の交差点付近を「賑わい拠点ゾーン」に位置付け、そのエリアのみについて高さを緩和するとの方針を示されたのである。

その結果として建設されたのが、淀屋橋odonaであり、本町ガーデンシティ(セントレジスホテル大阪)だ。

つまり、拠点以外の場所では従来のルール(軒高50mが、最高60m)が継続されることとなったわけである。

もちろん、そもそもこの方針自体、望ましいものだったのかは議論の余地はあるだろう。

ただ、少なくとも、拠点エリアとそれ以外での仕分けをし、メリハリのある規制によって保全と開発のバランスを図ろうという意図は理解できなくはない。

しかし、今回の緩和は、そうしたメリハリも一切無視した「なし崩し的な緩和」と捉えられても仕方がないのではないか。

厳格な高さ制限で知られるパリにおいても、近年、地価の高騰やオフィス・住宅不足を背景に高さ制限が部分的に緩和された。

とはいえ、緩和されたのは、市縁辺部で景観への影響が少ない場所(全6か所)に限定されており、しかも、超高層ビルはそれぞれの地区一棟のみである。

守るべき場所と開発する場所のメリハリを図るのは、成熟した都市であればもはや当然の都市戦略であるはずだが、橋下市政にはそうしたものが感じられないのである。

<参考>

パリにおける高さ制限の歴史

□「指定容積率が消化できないために建替えが進まない」との意見に対する反論

容積率を全て使い切ることができないために高さ制限の撤廃が必要との意見が見られる。

しかし、そもそも1995年に31mから50mに緩和したときの議論を思い出してほしい。

当時、31mでは容積率を消化しきれないから、50m(セットバックすれば+10m)になったのである。

現状でも1000%容積率の消化は十分可能であるにも関わらず、高さ制限の撤廃を要求するのは、更なる容積緩和を求めるための方便に過ぎないのではないか。

実際に、容積率を1300%に上げることも視野に入れているらしいが、それほどの容積を与えたところでどれほどの需要があるのだろう。

大阪におけるオフィスの空室率は、大規模ビルが9.6%、中型ビルでは12.8%に及ぶ(2013年2月末時点。出典:http://www.websanko.com/officeinfo/report/pdf/market2013-03-Osaka.pdf)。

一方、東京の都心五区の空室率は、大規模ビル6.23%、中型ビル10.9%であることから、大阪のオフィス床が特に余っている状況がうかがえる(2013年3月時点。http://www.websanko.com/officeinfo/research/pdf/2013/03-tokyo_23.pdf)。

空室率が高いだけでなく、大阪では、梅田をはじめとして各所で大規模な再開発が行われている。

このような状況の中、さらに御堂筋で容積を緩和する合理的な理由があるのだろうか。

仮に東京の丸の内などと同じような高層化をしたところで、本当に御堂筋が活性化するのかも疑問である。

御堂筋は、1969(昭和44)年に法律上の高さ制限が撤廃されたときも、31mのラインを守るべきとして、行政指導で規制を継続したという歴史的経緯がある。

一方、御堂筋と同じように31m(100尺)の建物が並んでいた丸の内では、容積制導入後、高さ制限は継続されず、かなり早い時期から高層化が図られた。

このことからも、御堂筋の高さの揃った街並みに対する先人の思いや見識が理解できるであろう。

私が懸念するのは、緩和してみたものの、蓋を開けてみたら超高層に建て替わるのは数棟のみで、分断されたスカイラインが残るという無残な結果に終わることである。

現在の50mの高さの中で、1000%を消化し、沿道全体として街並みを整えると同時に、低層階に賑わい機能を設ける方が、市内の他地域との差別化になり、むしろ価値を上げることになると思うのだが。

なお、今回の緩和の動きに危機感を覚えたため、2012年春に季刊誌土地総合研究に「御堂筋における高さ制限の変遷」を寄稿した。興味のある方は是非ご覧いただきたい。

 

<2013年7月22日追記>

2013年7月19日付けの毎日新聞大阪朝刊に、御堂筋の高さ制限緩和に反対する見解を載せて頂きました。以下のURLに抜粋版を載せました。

毎日新聞「論ステーション:御堂筋「摩天楼」計画」

 

御堂筋・高さ制限の見直しについて:グランドデザイン・大阪(素案)

2012(平成24)年1月に、橋下徹・大阪市長が御堂筋の高さ制限の撤廃に言及したが、その後、大阪府市統合本部での検討が進み、4月に「グランドデザイン・大阪(素案)」が示された。

 

素案によると、御堂筋周辺は「居・職・学エリア」に位置付けられ、将来構想として「御堂筋のみどり化とまちなみの再編」が示されている。

その将来構想の実現方策の一つとして、「セットバックを確保し高さを規制緩和」とある。

つまり、現在、指導要綱で規制している50mの軒高のラインは継承しつつ、高層部分をセットバックさせた上で、高さを緩和するとの考えを盛り込んだわけである。

現在、淀屋橋と本町三丁目の都市再生特別地区区域内では、それぞれ高さ70m、132mの高層ビルが建っているが、御堂筋沿道全域でこうした高層化を行うという意図なのであろう。

しかし、仮に御堂筋沿道での超高層化を認めたとしても、経済状況や敷地条件等から超高層化が進むのは数棟にとどまるのではないかとも推測される。

超高層ビルが点在し、結果的に分断されたスカイラインだけが残るという可能性があることも考慮する必要があるだろう。

また、御堂筋沿道は、一部を除くと奥行のある敷地が少ないため、高層棟部分を後退させたとしても、その距離には限界がある。

「グランドデザイン・大阪(素案)」には、「御堂筋沿道の大街区化」も位置づけられているが、仮に抜本的な敷地統合による街区再編を行った場合でも軒高50mラインの街並み景観に大きな影響が出ることは容易に想像がつく。

市長の高さ制限見直し発言からわずか2か月で素案に高さ制限の緩和が明文化されたわけであるが、御堂筋の景観は先人が築き上げてきた大阪の財産であることを踏まえた上で、慎重な判断を下すことが求められるのではないか。

※御堂筋の高さ制限の歴史的経緯や高層化の問題等について、季刊誌「土地総合研究」に寄稿しましたので、下記URLをご参照ください。

御堂筋における高さ制限の変遷(土地総合研究2012年春号) 

また、府市統合本部会議の議事録や資料が大阪市のホームページで公開されていますので、こちらもあわせてご覧ください。

大阪府市統合本部会議のホームページ

高さ制限の系譜に見る「景観保全・形成」の考え方

絶対高さ制限の実施にあたって、「歴史的景観保全」や「街並み景観の保全・形成」を目的に掲げる自治体が少なくない。

しかし、景観保全を意図した絶対高さ制限の動きが主流となってきたのは、ここ最近の傾向である。

そこで今回は、我が国における高さ制限の系譜を整理した上で、「景観保全・形成」の考え方がどのように位置づけられてきたかを概観してみたい。

■戦前における高さ制限

我が国における高さ制限手法は、市街地建築物法を嚆矢とし、交通、衛生、保安を目的として、用途地域における絶対高さ制限(住居地域65尺・20m、その他の地域100尺・31m)、構造による高さ制限、道路幅員に応じた高さ制限の3つを基本として実施されていた。

上記3つの手法は景観保全・形成を目的としたものではなかったが、美観地区や高度地区といった制度が景観(美観)保全の手法として用意されていた。

美観地区は、美観保持を目的として高さに限らず建築物等の規制を行う制度であるが、宮城(現在の皇居)、伊勢神宮周辺など特定の場所が中心であり、その後の活用はあまり進まなかった。

一方、高度地区は高さの最低限度と最高限度を定める制度であるが、戦前においては大都市の駅前等の高度利用の促進を目的とした指定が多く、建築物の高さを抑える手法として活用されていたわけではなかった。

これは当時、木造の低層家屋で構成されていた都市の高層化と不燃化を図り、良好なストックを生み出すことこそが景観形成に寄与するとの考えによる。つまり、「高度利用・不燃化=美観形成」と認識されていたわけである。

■高度成長期(1960年代~70年代)における高さ制限

高度成長期に入ると、床需要の増大や構造技術の進歩等から、31m制限等の絶対高さ制限の合理性が問題視されるようになる。

その結果、1961(昭和36)年の特定街区制度創設、1963(昭和38)年の容積地区制度創設を経て、1970年には第一種住居専用地域(現在の低層住居専用地域)を除いて絶対高さ制限が撤廃され、容積率制限へと全面移行した。

一方、1960年代半ばから1970年代にかけて、日照紛争が社会問題化していたこともあり、高度地区や用途地域による北側斜線制限が行われるようになる。

つまり、高度成長期以降、容積率規制による容量コントロールと斜線制限による形態規制が中心となり、選択制となった絶対高さ制限は一部の都市(横浜市、京都市等)を除いてあまり活用されなくなる。

70年以降絶対高さ制限が利用されなかった理由は、①選択事項であったこと、②都心部等では高層化が求められたこと、③当時問題となっていた日照確保のためには、絶対高さではなく、北側斜線制限や日影規制で対応可能であったこと、④大半の地域ではそもそも大きな建物があまり建たなかったことなど、絶対高さ制限を用いる必要性が醸成されていなかったためと思われる。

この時期に景観保全を目的とした条例制定による高さ制限実施の動きも見られるが、金沢市、倉敷市、高山市、京都市など歴史的な景観を有する都市が中心であった。

■00年代以降の高さ制限

90年代半ば以降の景気対策としての各種規制緩和の流れの中で、低層の住宅地などにおいても高層建築物を巡る建築紛争が増加した。そこで、多くの自治体が景観条例等により独自の規制・誘導を行っていくことになる。

ところが、法的拘束力のない「お願い」条例であるものが多く、実効性が確保できないことから、高度地区等による絶対高さ制限の実施が進む。

90年代以降、絶対高さ制限が再評価された背景には、建築紛争において景観が焦点となっていったことが挙げられる(国立市、名古屋市白壁等)。

街並み景観や眺望景観を保全するためには、どうしても建物の高さを一定程度に抑える必要がある。

そのため、容積率規制や斜線制限だけでは対応が難しいとの共通認識が生まれ、絶対高さ制限が行われるようになってきたわけである。

■「景観」の位置づけの変遷

以上からわかるように、戦前から1960年代くらいまでにおいては、都市部であっても木造の低層家屋が中心であったことから、高層不燃化こそが景観形成の必要条件であると認識されていた。

つまり、「高さを抑える」のではなく、「高度利用を図る」ことが求められたわけである。

一方、高さを抑えることによる景観形成は、皇居、伊勢神宮などのいわば「国家レベルの重要な美観」のみに限られていた。

当時はそもそも高いものがほとんど建たなかったために、皇居や伊勢神宮などのエリアを除くと、景観保全・形成のために高さを抑える必要性が薄かったとも言えるだろう。

しかし、高度成長期に入ると、全国的に進められた国土開発の反動として、歴史的景観保全のための高さ制限の動きが見られるようになる。

そして、80年代に入り、歴史的な都市に限らず一般的な市街地においても景観条例による取り組みが進み、90年代後半以降になると、建築紛争においても景観保全が焦点となることが多くなった。

以上の戦前から現在までの流れをまとめると、高度利用(高層不燃化)による景観形成から、高さの抑制による景観保全・形成へと変化してきたことがわかる。

さらには、「景観保全」の概念も、国家レベルの特別なものから、歴史的な街並みにも用いられるようになり、その後、生活に密着した一般的な市街地における景観へ広がりをみせてきたと言えるだろう。