大阪万博の二つのタワー:エキスポ・タワーと太陽の塔

1970(昭和45)年に開催された日本万国博覧会(通称大阪万博)は、計6,421万人が訪れたアジア初の万博であると同時に、東京オリンピックと並び高度成長期の日本を代表する国民的イベントであった。

その大阪万博のシンボル的存在といえば、岡本太郎デザインの「太陽の塔」を思い浮かべる人が多いだろう。

現在も万博会場跡地に残り、2018(平成30)年3月から塔内部の公開もはじまる。万博開催から約半世紀を経て、その存在感はますます大きくなっているように思える。

しかし、太陽の塔は大阪万博のモニュメントとしてつくられたわけではない。本来の万博におけるシンボルタワーは、建築家の菊竹清訓が設計した「エキスポ・タワー」だった。

 

1.万博のシンボル「エキスポ・タワー」

エキスポ・タワーは、その名のとおり万博のシンボルとして計画された。当初「ランドマーク」という仮称がつけられていたことからも、中心的な記念建造物として位置付けられていたことがわかる。

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エキスポ・タワー(出典:wikipedia)

検討初期は高さ180m程度が想定され、一時期は東京タワーを超える350m案も出たものの、紆余曲折を経て、高さ127mの鉄塔として建設された(幻の350mタワー案については別の機会に記したい)。会場の中で最も標高が高い丘の上に位置していたため、見かけとしてはもっと高く見えたと思われる。

鋼管を組み合わせたスペース・フレームで構成された塔には、大小九つの多面体のユニットが取り付けられ、展望室や展示室、各種機械室などとして使われた。単なる展望台というよりは、ユニットを追加し組み合わせれば、空中でも生活可能な環境が提供できるという新しい建築の提案でもあった。

このコンセプトは、設計者の菊竹清訓をはじめ、黒川紀章、大高正人、槇文彦などの建築家たちが1960(昭和35)年に提唱した「メタボリズム」理論に基づくものである。メタボリズムとは「新陳代謝」を意味する。建築や都市を生物のように新陳代謝を繰り返しながら、変化・成長していく有機体として捉えた考え方であった。

つまり、複数のユニットを組み合わせて変化するエキスポ・タワーは、メタボリズムの理論を具体化したものであると同時に、「人類の進歩と調和」をテーマとした万博にふさわしいモニュメントとなるはずだった。

ところが、太陽の塔が途中から計画されたことで様相が一変する。

 

2.反万博のシンボル「太陽の塔」

岡本太郎の作品である太陽の塔は、両腕を横に広げた人のような形をした高さ約70mのモニュメントだ。

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太陽の塔(2011年撮影)

近代やテクノロジーを礼賛する万博に懐疑的であった岡本が、太古から脈々とつながる人類のエネルギーを表現した結果、このような原始的、土俗的な形状になったという。万博のシンボルとして計画されたエキスポ・タワーとは対照的に、太陽の塔は万博そのものに対抗する意図を持って建てられた。

また、太陽の塔は、万博会場の中心である「お祭り広場」に建設されたことで、万博会場計画のコンセプトを揺るがすことになる。というのも、この広場は、スペース・フレームで組み上げられた大屋根以外に何も「建てないこと」が本来のコンセプトだったからである。

かつての万博では、ロンドン万博における水晶宮(クリスタル・パレス)やパリ万博におけるエッフェル塔などの象徴的な巨大建造物が欠かせなかった。

しかし、お祭り広場の設計を丹下健三と共同で手掛けた建築家の磯崎新は、コンピューター時代の都市は、物理的な建築ではなく見えないシステムによってつくられるべきと考えた。お祭り広場に屋根以外のものを設けないことで、モニュメントによる万博が過去の遺物であることを示そうとしたのである。反万博という点では、岡本と共通する部分があったとも言えるだろう。

だが、様々な経緯があり、お祭り広場に太陽の塔がつくられることになり、屋根以外にモノをつくらないという磯崎の「見えない建築」の意図は壊された。しかも、塔が大屋根の下に収まらなかったために、屋根には直径54mの穴が開けられ、屋根から突き出すように立てられた。
太陽の塔は、万博のシンボルであったはずのエキスポ・タワーの存在を薄めてしまうほどのインパクトをもたらしたのである。

 

3.二つの塔のその後

この二つのモニュメントは、万博閉幕後にも跡地に残された。しかし、万博のシンボルとして記憶されているのは、本来シンボルタワーではなかった太陽の塔である。

未来の住宅・都市像を示したはずのエキスポ・タワーは、入場者の減少や老朽化により1990(平成2)年に閉鎖、2004(平成16)年に解体された。当然、メタボリズム的な都市は実現していない。

一方、反近代、反万博を謳った太陽の塔は早々に永久保存が決まり、今も万博公園の中にその姿を見ることができる。なお、お祭り広場に架けられていた大屋根は、屋根に張られていたポリエステルフィルムが汚れてみすぼらしいとの声が大きくなったことから撤去された(公園内にスペースフレームの一部は保存)。

太陽の塔の高さはエキスポ・タワーの約半分の70mに過ぎない。しかも、反万博を標榜した太陽の塔が万博の象徴として生き続けるという皮肉。

塔のシンボル性は、必ずしも「高さ」や「作り手の意図」によって担保されるわけではないことを太陽の塔は証明していると言えるだろう。

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