『高さ制限とまちづくり』出版のお知らせ

このたび、拙書「高さ制限とまちづくり」(学芸出版社)が発売されましたのでお知らせします。

本書の内容は、我国における建築物の高さ制限の歴史的変遷にはじまり、高度地区(都市計画法)と景観計画(景観法)を活用した高さ制限の運用実態を概観したうえで、これらの制度を用いた全国20自治体の具体的な事例をまとめています。そして最後に、高さ制限の意義や制度の活用にあたってのポイントを整理しています。

高さ制限の歴史から実態までを網羅的に紹介した本書は、地域の景観や環境保全に取り組む市民や自治体関係者など、都市の高さのあり方に関心を持つ方にとって参考になると思います。是非ご一読ください。

◇詳細は学芸出版社のホームページをご覧ください(目次、序文、あとがきが読めます)。

「高さ制限とまちづくり」 大澤昭彦 著 学芸出版社 3700円+税

http://www.gakugei-pub.jp/mokuroku/book/ISBN978-4-7615-3210-9.htm

 

<高さ制限とまちづくり:目次>

序 なぜ高さ制限は必要か

第1章 高さ制限の歴史的変遷

1 戦前における高さ制限(市街地建築物法下の高さ制限)

2 戦後における高さ制限(旧建築基準法下の高さ制限)

3 高度成長期における高さ制限(容積制全面導入後の高さ制限)

4 安定成長期における高さ制限

5 バブル経済崩壊以降の高さ制限

6 歴史的変遷からみた高さ制限の特徴

第2章 高さ制限の実態と課題

1 高さ制限の手法とその課題

2 絶対高さ型高度地区を用いた高さ制限の実態と課題(事前確定型高さ制限)

3 景観計画を用いた高さ制限の実態と課題(行政指導型高さ制限)

第3章 高さ制限を活用したまちづくりの事例

1 古都の景観保全のための高さ制限:京都市/大津市

2 城下町の景観保全のための高さ制限:松本市(松本城周辺)/佐賀市(佐賀城公園周辺)

3 庭園・社寺の眺望景観保全のための高さ制限:東京・北区(旧古河庭園)/宇治市(平等院周辺)

4 門前町等の歴史的街並み景観保全のための高さ制限:伊勢市(伊勢神宮周辺)/太宰府市(太宰府天満宮周辺)

5 水辺の景観保全のための高さ制限:諏訪市(諏訪湖・高島城)/犬山市・各務原市(木曽川周辺)

6 山の眺望景観保全のための高さ制限:鹿児島市(桜島・城山周辺)/岐阜市(金華山・長良川周辺)

7 都心景観の保全・創出のための高さ制限:東京・中央区(銀座周辺)/大阪市(御堂筋周辺)

8 大都市における住環境・景観保全のための高さ制限:東京・新宿区/札幌市

9 都心近郊住宅地における住環境・景観保全のための高さ制限:横須賀市/芦屋市

10 地方都市における住環境・景観保全のための高さ制限:山形市/水戸市

第4章 高さ制限を活用したまちづくりに向けて

 

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御堂筋「摩天楼」計画(毎日新聞)

※毎日新聞2013年07月19日大阪朝刊の「論ステーション」に掲載されたインタビューを以下に再掲します。

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毎日新聞2013年07月19日大阪朝刊<オピニオン opinion>

大阪の「顔」とも言われる御堂筋沿いのビルの高さ規制を大幅に緩和する手続きが進められている。老朽化したビルの建て替えを促し、街の活性化を図る狙いだが、風格のある景観が乱れ、魅力が薄らぐと心配する声も強い。都市景観の研究者と、地元で街づくりの提言を続けてきたNPO代表に話を聞いた。

◇比類なき美、100年の計で−−東京工業大助教・大澤昭彦さん(景観・都市計画)

御堂筋の景観は70年以上かけて築き上げられてきた。1937年の道路完成以来、幅44メートルの道路に4列のイチョウ並木、沿道に建ち並ぶ100尺(31メートル)のビル群が、風格ある御堂筋の基調となる景観を成してきた。95年に31メートルの高さ規制が緩和されたものの超高層ビルは御堂筋にふさわしくないとして50メートルに落ち着いた。高度成長期やバブル期にもあえて超高層化を認めなかったのは、道幅と高さのバランスが取れた景観に固有の価値があるとの考えからだ。御堂筋の景観は大阪市と民間の不断の努力によって築かれてきた公共財であり、大阪の歴史的、文化的な厚みを象徴する存在だ。

それが今、超高層化へかじを切ろうとしている。しかし、この緩和路線は、御堂筋が培ってきた歴史的、文化的蓄積を放棄し、大阪の「顔」を失うことにつながるのではないかと強く懸念している。現在の大阪の経済力から見ると、超高層に建て替わるのは、経済的条件の整った数棟にとどまり、結果的に分断されたスカイライン(空に接する輪郭)だけが残ることになりかねない。そうなれば、どこにでもある奥行きも深みもない都心の一つに成り下がってしまう。

現在のスカイラインは50メートルにそろっていないから景観保全の体をなしていないという意見もあるが、これは95年の規制変更のためで、31メートルと50メートルのラインが混在しているのはむしろ当然だ。街づくりは50年、100年かけて行うものであり、20年足らずでそろうのは無理な話だ。御堂筋は道路の幅員と壁面後退の幅を足すと52メートル。沿道の建物の高さを50メートルに整えると、道幅と高さのバランスが取れて美しい。年月をかけて50メートルのラインをつくることに意味がある。

比較的広い道路で、高さに制限を加えた沿道建物が一体となった街路景観といえば、東京の表参道や銀座がある。御堂筋はこうした通りと比べても風格があり、全国的に見ても非常に価値のある街路景観と言えるだろう。

世界一の観光客数を誇るパリの美しい街並みは19世紀の大改造でその骨格が完成した。1960年代の規制緩和により、一部区域で超高層を認めた結果、73年に210メートルのモンパルナスタワーが完成した。これが街の景観を損なったと市民の反発を招き、一転して高さ規制が強化され、市内の再開発は最大37メートルに制限された。近年、再び規制緩和されたが、あくまで中心部の景観への影響が少ない市外周部の一部に限定している。

大阪では大阪駅や天王寺周辺で超高層ビル開発が活発だ。このため、相対的に御堂筋の価値が下がっているように見えるのかもしれない。だが、御堂筋は御堂筋らしさを強調することが他地区との差別化につながる。オフィス需要が限られる中、高層化を図る場所と高さを抑える場所のメリハリを持たせる方が、大阪全体の持続的な発展に寄与するだろう。

フランスの作家、ビクトル・ユゴーはこんな言葉を残している。「一つの建物には二つの要件がある。建物の効用と、建物の美しさである。効用は建物の所有者に帰属するが、建物の美しさはすべての人に帰属する」。先人が築き上げてきた歴史をいかに継承するかという方向で議論が進むことを期待したい。【聞き手 論説委員・藤田悟】

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◆御堂筋沿道の高さ規制

御堂筋(大阪市北区−中央区、約4キロ)は1937(昭和12)年、幅44メートルへの拡張工事が完成し、ほぼ現在の姿になった。沿道の建物の高さは法律で100尺(31メートル)に規制され、69年の法改正で高さ規制が撤廃されて容積制に変わった後も、大阪市は淀屋橋−本町間について景観保全を目的に行政指導で31メートル規制を続けた。95年には歩道に面した部分は高さ50メートルに、上層部分を歩道から10メートル以上後退させた場合は高さ60メートルまで緩和した。街の活性化を掲げる橋下徹市長が検討を指示したのを受け、市都市計画審議会の専門部会は今年3月、60メートル規制を撤廃し、上層部分の後退幅に応じて最高140メートルまで可能となる規制緩和の最終案をまとめた。2013年度中に市要綱や条例の改正手続きに入る。

<関連ページ>

御堂筋沿道 高さ制限緩和への疑義

御堂筋における高さ制限の変遷(季刊土地総合研究2012年春号)

 

御堂筋沿道 高さ制限緩和への疑義

2013(平成25)年3月、大阪市都市計画審議会専門部会が、御堂筋沿道で実施されている軒高50m(最大で60m)制限の緩和を容認した。

今後、市は緩和に向けた手続きを進め、2013年度中に改正を予定しているという。

現在示された案では、最大で60mに抑えられていた高さ制限を緩和し、最大で140mまで建設可能とすることが検討されている(朝日新聞2013年3月20日付。「御堂筋沿い、高さ規制撤廃 大阪市、13年度に条例改正」)

この動きは、2012年1月に橋下市長が高さ制限の撤廃に言及したことに端を発する。1年の時を経て、高さ制限の緩和の具体案が出てきたわけである。

私は、御堂筋における高さ制限の歴史的経緯や現在の大阪のオフィス需要などから見ても、高さ制限緩和には反対である。

なにより、今回の緩和には全くの理念もビジョンも感じられない。理念なき都市政策が経済性のみに立脚せざるを得ないのは必然である。「規制緩和による活性化」は理念ではなく、都市政策の放棄にすぎない。

以下では、高さ制限緩和賛成論に対する私なりの反論を記したいと思う。

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□「既に沿道のスカイラインはバラバラではないか」との意見に対する反論

1995(平成7)年に高さ制限を31mから50mに緩和したために、確かに31mと50mのラインが混在している。

しかし、現在の姿は、50mのスカイラインの創出に向けた過渡期であるのだからバラバラであるのはむしろ当然である。

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言うまでもないことだが、街は一朝一夕につくられるものではない。

50mのラインで整えようと市が決断したのは、わずか18年前のことである。

現在スカイラインは揃っていないものの、着実に新たなスカイラインの形成に向けて進んでいる。

そのさなかに緩和をしてしまっては、18年前の大きな決断を無駄にすることになるのではないか。

現在の案では中層部の50mのラインは守ると言っているが、高層部が突出してくれば現在の空が遮られることは避けられない。

都心でこれほど広くまとまりのある空を見ることができるのは御堂筋くらいのものだ。

今回の案の策定に際して、どれほど景観への影響を検証したのかも疑問である。

淀屋橋odonaがつくられる際には、70mまでであれば景観への影響が少ない、と市は都市計画審議会の中で説明をしていた。だが、それが140mになれば、その影響は推して知るべしである。

□「既に60mを超える高層ビルも立っているではないか」との意見に対する反論

確かに、淀屋橋で最高高さ70m、本町には140mの高層ビルが建っている。

この二つの再開発は、いずれも小泉政権下の都市再生の動きが背景にあり、都市再生特別措置法に基づく都市再生特別地区を活用したものである。

しかし、御堂筋全体で都市再生特区の活用を容認したわけではなかった。

2006(平成18)年に、新しい時代の御堂筋協議会が「御堂筋活性化アクションプラン中間とりまとめ」を作成した。

中間とりまとめの中で、淀屋橋や本町の交差点付近を「賑わい拠点ゾーン」に位置付け、そのエリアのみについて高さを緩和するとの方針を示されたのである。

その結果として建設されたのが、淀屋橋odonaであり、本町ガーデンシティ(セントレジスホテル大阪)だ。

つまり、拠点以外の場所では従来のルール(軒高50mが、最高60m)が継続されることとなったわけである。

もちろん、そもそもこの方針自体、望ましいものだったのかは議論の余地はあるだろう。

ただ、少なくとも、拠点エリアとそれ以外での仕分けをし、メリハリのある規制によって保全と開発のバランスを図ろうという意図は理解できなくはない。

しかし、今回の緩和は、そうしたメリハリも一切無視した「なし崩し的な緩和」と捉えられても仕方がないのではないか。

厳格な高さ制限で知られるパリにおいても、近年、地価の高騰やオフィス・住宅不足を背景に高さ制限が部分的に緩和された。

とはいえ、緩和されたのは、市縁辺部で景観への影響が少ない場所(全6か所)に限定されており、しかも、超高層ビルはそれぞれの地区一棟のみである。

守るべき場所と開発する場所のメリハリを図るのは、成熟した都市であればもはや当然の都市戦略であるはずだが、橋下市政にはそうしたものが感じられないのである。

<参考>

パリにおける高さ制限の歴史

□「指定容積率が消化できないために建替えが進まない」との意見に対する反論

容積率を全て使い切ることができないために高さ制限の撤廃が必要との意見が見られる。

しかし、そもそも1995年に31mから50mに緩和したときの議論を思い出してほしい。

当時、31mでは容積率を消化しきれないから、50m(セットバックすれば+10m)になったのである。

現状でも1000%容積率の消化は十分可能であるにも関わらず、高さ制限の撤廃を要求するのは、更なる容積緩和を求めるための方便に過ぎないのではないか。

実際に、容積率を1300%に上げることも視野に入れているらしいが、それほどの容積を与えたところでどれほどの需要があるのだろう。

大阪におけるオフィスの空室率は、大規模ビルが9.6%、中型ビルでは12.8%に及ぶ(2013年2月末時点。出典:http://www.websanko.com/officeinfo/report/pdf/market2013-03-Osaka.pdf)。

一方、東京の都心五区の空室率は、大規模ビル6.23%、中型ビル10.9%であることから、大阪のオフィス床が特に余っている状況がうかがえる(2013年3月時点。http://www.websanko.com/officeinfo/research/pdf/2013/03-tokyo_23.pdf)。

空室率が高いだけでなく、大阪では、梅田をはじめとして各所で大規模な再開発が行われている。

このような状況の中、さらに御堂筋で容積を緩和する合理的な理由があるのだろうか。

仮に東京の丸の内などと同じような高層化をしたところで、本当に御堂筋が活性化するのかも疑問である。

御堂筋は、1969(昭和44)年に法律上の高さ制限が撤廃されたときも、31mのラインを守るべきとして、行政指導で規制を継続したという歴史的経緯がある。

一方、御堂筋と同じように31m(100尺)の建物が並んでいた丸の内では、容積制導入後、高さ制限は継続されず、かなり早い時期から高層化が図られた。

このことからも、御堂筋の高さの揃った街並みに対する先人の思いや見識が理解できるであろう。

私が懸念するのは、緩和してみたものの、蓋を開けてみたら超高層に建て替わるのは数棟のみで、分断されたスカイラインが残るという無残な結果に終わることである。

現在の50mの高さの中で、1000%を消化し、沿道全体として街並みを整えると同時に、低層階に賑わい機能を設ける方が、市内の他地域との差別化になり、むしろ価値を上げることになると思うのだが。

なお、今回の緩和の動きに危機感を覚えたため、2012年春に季刊誌土地総合研究に「御堂筋における高さ制限の変遷」を寄稿した。興味のある方は是非ご覧いただきたい。

 

<2013年7月22日追記>

2013年7月19日付けの毎日新聞大阪朝刊に、御堂筋の高さ制限緩和に反対する見解を載せて頂きました。以下のURLに抜粋版を載せました。

毎日新聞「論ステーション:御堂筋「摩天楼」計画」

 

高度地区の変遷について

2012年度の都市計画学会学術研究論文発表会で、高度地区の歴史に関する論文を発表します。

タイトルは、「高度地区指定による高さ制限の変遷に関する研究」です。

 

■高度地区制度とは?

高度地区制度は、建築物の高さの最高限度や最低限度を定めることができる制度で、都市計画法・建築基準法に基づく制限手法です。

用途地域では、低層住居専用地域(高さ10m・12m)を除くと絶対高さ制限はかかっていないため、現行の用途地域を補完する役割を担っています。

この高度地区制度は、もともと1920(大正9)年に施行された市街地建築物法施行令に規定された建築物の高さの最低限度の制限に由来します。当初は、駅前等の高度利用が求められる場所での土地の有効利用や美観形成を意図して、一定以上の高さの建物を誘導する制度として始まりました。

1931(昭和6)年の施行令改正で高さの最高限度も定めることが可能となり、1938(昭和13)年の市街地建築物法改正によって、「高度地区」という名称で制度化されました。

その後、1968(昭和43)年の新都市計画法制定、1970(昭和45)年の建築基準法改正によって、現在の制度が確立され、現在では住環境や景観の保全・形成を目的として、絶対高さ制限や斜線制限を高度地区によって実施する自治体が増えています。

■論文の主旨

この論文では、1920年の制度創設から現在までの高度地区の法律上の位置づけや実際の運用がどのように変遷してきたのかを分析し、高度地区が時代によって、その目的や制限内容を変化させてきたことを明らかにしています。

論文については、下記のホームページで確認できます。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalcpij/47/3/47_211/_article/-char/ja/

「高さ610m 幻の代々木タワー計画」について

今から約40年前に、2本の600m級タワーが計画されていたことは、以前「幻のタワー計画 高さ550mの正力タワーと高さ600mのNHKタワー」(2011年2月)という記事で触れました。

「幻のタワー計画 高さ550mの正力タワーと高さ600mのNHKタワー」 

 

この記事を書いた段階では、NHKタワーに関する情報が少なかったために、計画の詳細にはほとんど触れませんでした(1969年7月時点の発表では、NHKの敷地内に600m級の4本脚のタワーをつくるというもの)。

しかし、その後の追加調査で、この時点でNHKが発表した計画はまだ初期段階のものでしかなく、その後、高さ610mのタワーが代々木公園内に計画されていたことが明らかになりました。

しかも、構造設計は、高層建築時代を切り開いた武藤清東大名誉教授の武藤構造力学研究所が関わり、タワーの意匠は、ヨーン・ウツソンやオブ・アラップの助手としてシドニーオペラハウスの設計に従事し、帰国したばかりの三上祐三氏が担当していたことも分かりました(三上氏は渋谷の東急文化村オーチャードホールの設計者でもあります)。

詳細については、AERA(2012年7月16日号)に掲載されましたので、こちらを是非ご覧ください。

○幻の代々木タワー計画(編集部山下努 東京工業大学大学院大澤昭彦)

ちなみに、610mという高さは、電波送信の技術的な観点から決まったそうなのですが、610mは語呂合わせでムトウ(6・10→ム・トウ)とも読めるため、武藤清の名前から高さが決まったのではないかと妄想してしまいました(この説は全く根拠がありません)。

分量が限られているため、すべてを盛り込むことはできませんでしたが、詳細な内容については別の形で公表をしたいと考えています(どういう形で公表するかは未定です)。

御堂筋・高さ制限の見直しについて:グランドデザイン・大阪(素案)

2012(平成24)年1月に、橋下徹・大阪市長が御堂筋の高さ制限の撤廃に言及したが、その後、大阪府市統合本部での検討が進み、4月に「グランドデザイン・大阪(素案)」が示された。

 

素案によると、御堂筋周辺は「居・職・学エリア」に位置付けられ、将来構想として「御堂筋のみどり化とまちなみの再編」が示されている。

その将来構想の実現方策の一つとして、「セットバックを確保し高さを規制緩和」とある。

つまり、現在、指導要綱で規制している50mの軒高のラインは継承しつつ、高層部分をセットバックさせた上で、高さを緩和するとの考えを盛り込んだわけである。

現在、淀屋橋と本町三丁目の都市再生特別地区区域内では、それぞれ高さ70m、132mの高層ビルが建っているが、御堂筋沿道全域でこうした高層化を行うという意図なのであろう。

しかし、仮に御堂筋沿道での超高層化を認めたとしても、経済状況や敷地条件等から超高層化が進むのは数棟にとどまるのではないかとも推測される。

超高層ビルが点在し、結果的に分断されたスカイラインだけが残るという可能性があることも考慮する必要があるだろう。

また、御堂筋沿道は、一部を除くと奥行のある敷地が少ないため、高層棟部分を後退させたとしても、その距離には限界がある。

「グランドデザイン・大阪(素案)」には、「御堂筋沿道の大街区化」も位置づけられているが、仮に抜本的な敷地統合による街区再編を行った場合でも軒高50mラインの街並み景観に大きな影響が出ることは容易に想像がつく。

市長の高さ制限見直し発言からわずか2か月で素案に高さ制限の緩和が明文化されたわけであるが、御堂筋の景観は先人が築き上げてきた大阪の財産であることを踏まえた上で、慎重な判断を下すことが求められるのではないか。

※御堂筋の高さ制限の歴史的経緯や高層化の問題等について、季刊誌「土地総合研究」に寄稿しましたので、下記URLをご参照ください。

御堂筋における高さ制限の変遷(土地総合研究2012年春号) 

また、府市統合本部会議の議事録や資料が大阪市のホームページで公開されていますので、こちらもあわせてご覧ください。

大阪府市統合本部会議のホームページ

高さ制限の系譜に見る「景観保全・形成」の考え方

絶対高さ制限の実施にあたって、「歴史的景観保全」や「街並み景観の保全・形成」を目的に掲げる自治体が少なくない。

しかし、景観保全を意図した絶対高さ制限の動きが主流となってきたのは、ここ最近の傾向である。

そこで今回は、我が国における高さ制限の系譜を整理した上で、「景観保全・形成」の考え方がどのように位置づけられてきたかを概観してみたい。

■戦前における高さ制限

我が国における高さ制限手法は、市街地建築物法を嚆矢とし、交通、衛生、保安を目的として、用途地域における絶対高さ制限(住居地域65尺・20m、その他の地域100尺・31m)、構造による高さ制限、道路幅員に応じた高さ制限の3つを基本として実施されていた。

上記3つの手法は景観保全・形成を目的としたものではなかったが、美観地区や高度地区といった制度が景観(美観)保全の手法として用意されていた。

美観地区は、美観保持を目的として高さに限らず建築物等の規制を行う制度であるが、宮城(現在の皇居)、伊勢神宮周辺など特定の場所が中心であり、その後の活用はあまり進まなかった。

一方、高度地区は高さの最低限度と最高限度を定める制度であるが、戦前においては大都市の駅前等の高度利用の促進を目的とした指定が多く、建築物の高さを抑える手法として活用されていたわけではなかった。

これは当時、木造の低層家屋で構成されていた都市の高層化と不燃化を図り、良好なストックを生み出すことこそが景観形成に寄与するとの考えによる。つまり、「高度利用・不燃化=美観形成」と認識されていたわけである。

■高度成長期(1960年代~70年代)における高さ制限

高度成長期に入ると、床需要の増大や構造技術の進歩等から、31m制限等の絶対高さ制限の合理性が問題視されるようになる。

その結果、1961(昭和36)年の特定街区制度創設、1963(昭和38)年の容積地区制度創設を経て、1970年には第一種住居専用地域(現在の低層住居専用地域)を除いて絶対高さ制限が撤廃され、容積率制限へと全面移行した。

一方、1960年代半ばから1970年代にかけて、日照紛争が社会問題化していたこともあり、高度地区や用途地域による北側斜線制限が行われるようになる。

つまり、高度成長期以降、容積率規制による容量コントロールと斜線制限による形態規制が中心となり、選択制となった絶対高さ制限は一部の都市(横浜市、京都市等)を除いてあまり活用されなくなる。

70年以降絶対高さ制限が利用されなかった理由は、①選択事項であったこと、②都心部等では高層化が求められたこと、③当時問題となっていた日照確保のためには、絶対高さではなく、北側斜線制限や日影規制で対応可能であったこと、④大半の地域ではそもそも大きな建物があまり建たなかったことなど、絶対高さ制限を用いる必要性が醸成されていなかったためと思われる。

この時期に景観保全を目的とした条例制定による高さ制限実施の動きも見られるが、金沢市、倉敷市、高山市、京都市など歴史的な景観を有する都市が中心であった。

■00年代以降の高さ制限

90年代半ば以降の景気対策としての各種規制緩和の流れの中で、低層の住宅地などにおいても高層建築物を巡る建築紛争が増加した。そこで、多くの自治体が景観条例等により独自の規制・誘導を行っていくことになる。

ところが、法的拘束力のない「お願い」条例であるものが多く、実効性が確保できないことから、高度地区等による絶対高さ制限の実施が進む。

90年代以降、絶対高さ制限が再評価された背景には、建築紛争において景観が焦点となっていったことが挙げられる(国立市、名古屋市白壁等)。

街並み景観や眺望景観を保全するためには、どうしても建物の高さを一定程度に抑える必要がある。

そのため、容積率規制や斜線制限だけでは対応が難しいとの共通認識が生まれ、絶対高さ制限が行われるようになってきたわけである。

■「景観」の位置づけの変遷

以上からわかるように、戦前から1960年代くらいまでにおいては、都市部であっても木造の低層家屋が中心であったことから、高層不燃化こそが景観形成の必要条件であると認識されていた。

つまり、「高さを抑える」のではなく、「高度利用を図る」ことが求められたわけである。

一方、高さを抑えることによる景観形成は、皇居、伊勢神宮などのいわば「国家レベルの重要な美観」のみに限られていた。

当時はそもそも高いものがほとんど建たなかったために、皇居や伊勢神宮などのエリアを除くと、景観保全・形成のために高さを抑える必要性が薄かったとも言えるだろう。

しかし、高度成長期に入ると、全国的に進められた国土開発の反動として、歴史的景観保全のための高さ制限の動きが見られるようになる。

そして、80年代に入り、歴史的な都市に限らず一般的な市街地においても景観条例による取り組みが進み、90年代後半以降になると、建築紛争においても景観保全が焦点となることが多くなった。

以上の戦前から現在までの流れをまとめると、高度利用(高層不燃化)による景観形成から、高さの抑制による景観保全・形成へと変化してきたことがわかる。

さらには、「景観保全」の概念も、国家レベルの特別なものから、歴史的な街並みにも用いられるようになり、その後、生活に密着した一般的な市街地における景観へ広がりをみせてきたと言えるだろう。