世界遺産サンクト・ペテルブルクにおける超高層ビル論争 ~国家的プロジェクトと景観問題~

今回は、ロシアの古都サンクト・ペテルブルクで起きた超高層ビル論争を紹介したい。

サンクト・ペテルブルクは世界遺産に登録された歴史都市である。

その近接地に高さ396mの超高層ビルが計画され、歴史的景観にそぐわないとして問題となった。

この超高層ビルは、プーチンやメドベージェフといった新旧大統領が大きく関わる政府系企業・ガスプロムネフチの本社ビルとして計画された。いわば「国家プロジェクト」としての超高層ビル開発だった。

■サンクト・ペテルブルクの歴史地区と世界遺産登録

サンクト・ペテルブルクは18世紀初頭から1917年のロシア革命まで、ロシア帝国の首都であった。
ソ連時代にレニングラードと改称されたが、ソ連崩壊後の1991年に元の名前に戻された。

市中心部の歴史地区には、ピョートル大帝(位1682~1725年)がイタリアなどの建築家を招いてつくった宮殿や教会等の壮麗な建築物群が残されている。

その歴史的な価値が認められ、1990年には世界遺産に登録された。

地区内の景観を保全するため、地区内の建物は、世界三大美術館の一つ、エルミタージュ美術館(冬の宮殿)の高さを超えないように規制されている。

その結果、歴史地区では整然とした街並みが保たれているのである。

■政府系企業による高さ396mの超高層ビル開発

2006年、その歴史地区の景観を大きく揺るがす超高層ビルの計画が明らかとなった。

ロシアの政府系天然ガス企業「ガスプロム」がサンクト・ペテルブルク市と共同で高さ396mの「ガスプロム・シティ」の建設を発表したのである。

当時、ガスプロムは、世界的な石油・天然ガス価格の高騰によって業績を拡大させていた。

このビルは、その傘下企業、ガスプロムネフチの本社機能ビルとして計画されたものだった。

サンクト・ペテルブルクは、ウラジミール・プーチン大統領の出身地である。そのため、このビルは「プーチン・タワー」とも揶揄されることとなる。

市の全額負担による建設への反発

建設計画が明らかになると、建設費用の捻出方法が問題視された。

サンクト・ペテルブルク市が建設費用を全額拠出し、完成後、ガスプロムネフチの所有になると発表されたため、世論の不評を買った。

市としてみれば、国内有数の企業を受け入れることで、税収の増加や再開発による経済効果を見込んだのだろう。

しかし、市の財源を一企業のために利用することへの反発は大きかった。

そこで、2007年6月、市の全額出資ではなく、ガスプロムネフチが51%、市が49%と変更された。

さらに、プロジェクトの名称も、一企業を名に冠するのではなく、「ガスプロム・シティ」から開発予定地の地区名である「オフタ・センター」へと変更されることとなった。

高層ビルが与える歴史的景観への影響

だが、問題はそれだけにとどまらなかった。

計画区域が世界遺産の歴史地区に隣接しており、高層ビルが歴史的景観に与える影響が懸念されたのである。

市内の高い建物といえば、ペトル・パウェル大聖堂(122.5m)や聖イサク聖堂(101.5m)などの歴史的建造物のほか、ソ連時代の1966年に建設されたサンクト・ペテルブルク・テレビ塔(高さ310m)くらいしかなかった。

このことからも、396mのオフタ・センターの大きさがわかるだろう。

ビルの高さだけでなく、場所も問題視された。

オフタ・センターは中心部からは約5キロ離れているものの、ネヴァ川を挟んで歴史地区に接している。

しかも、ロシア革命時に武装蜂起の作戦本部が設置された「スモーリヌイ」の対岸に位置していた。

象徴的な場所に隣接していたことが、反発をより助長したのである。

■ユネスコによる警告と高さ制限の強化

世界遺産登録を行ったユネスコは、高層ビル計画が歴史地区に隣接していることを懸念した。

そこで、2007年にバルボサ・ユネスコ事務局次長が、オフタ・センターの計画を進めるのであれば危機遺産リストへの登録も辞さないと警告した。

また、2009年3月には市議会が建設予定地周辺に高さ100mの高さ制限をかけた。

この数値は、歴史地区のシンボルの一つである聖イサク大聖堂(高さ101.5m)の高さを超える建物を認めないことを意味する。

■一転、建築許可へ:プーチン、メドヴェージェフの庇護を受けた「国家プロジェクト」

ところが、同年9月、市の土地利用・建設委員会が、例外的に高さ403mまで認める決定を行い、翌10月にはマトビエンコ市長が建築を許可した。

当初の高さは396mであったことから、最終的に高さが17m上乗せされたことになる。

許可にあたって市側は、タワーは市中心部から離れた世界遺産区域外であるために景観上の影響は少なく、市の発展に必要な開発であると主張した。

なお、計画を許可したマトビエンコ市長はプーチンのKGB人脈に連なる人物である。

2008年に大統領に就任したドミートリー・メドヴェージェフも、プーチン同様にサンクト・ペテルブルク出身で、さらにプーチン大統領時代(一期目)にガスプロムの会長を務めたこともあった。

つまり、オフタ・センターはプーチン、メドベージェフといった強力な権力者の庇護のもとで推進されていた国家的プロジェクトだったのである。

■世論の反発とユネスコの勧告

しかし、世論を無視して高さ制限の緩和が強引に進められたことが一層の批判を呼ぶことになる。

まず、ロシアのアレクサンドル・アヴデーエフ文化相が、市長の建築許可を違法としたロシア文化財保護監督局の決定をサンクト・ペテルブルク検察に送付した。

同じ頃、建設に反対する市民約3000人が抗議デモを行い、世論調査でも建設反対が66%と全体の3分の2を占めた(賛成は20%)。

また、ユネスコもオフタ・センターの建設中断と代替地の検討を勧告する決議を行った。

■オフタ・センター開発地の移転決定、高さが463mへ

こうした反発を受け、開発の動きに変化が生まれる。

2010年10月、当時のメドヴェージェフ大統領が「スモーリヌイの隣に建てる必要はあるのか」と開発場所に疑問を呈し、さらに、ユネスコとの協議が完了してから建設を開始すべきとの見解を示した。

この発言が影響したのか、12月には、マトビエンコ市長がオフタ・センターの建設地を移転させることでガスプロムと合意したと発表した。

この計画変更については、市民や国際社会との対話協調路線を志向するネドベージェフが大統領になったからこそ実現したとの見方がある一方、2012年の大統領選に向けたパフォーマンスと捉える意見も少なくなかった。

その後、建設予定地が、市西部のフィランド湾沿いに面したプリモルスカヤ地区ラフタ(14ha)に変更、2012年8月に市当局によって建設の許可が下ろされた(同年5月にプーチンが大統領に就任(二期目))。

移転地はサンクト・ペテルブルクの中心部から約9キロ離れているが、移転に併せて高さが60m上積みされて463mとなった。

この計画地の移転や高さの変更に関して議論が尽くされていないことへの批判も見られ、景観論争は未だくすぶったままとなっている。

このサンクト・ペテルブルクの景観論争は、世界遺産に登録されたからといって、国がその歴史的環境を守ってくれるとは限らないことを示している。

その意味で、このケースは、神宮外苑の風致地区における新国立競技場の建設問題と類似しているかもしれない。

<参考資料>

オフタセンター公式ホームページ  http://www.ohta-center.ru/en/

服部倫卓(2011)「ガスプロムとペテルブルグの特殊な関係」『ロシアNIS調査月報56(4)』

毎日新聞東京朝刊2007年6月12日「古都に「ガスプロム」巨大タワー計画 揺れる世界遺産の街」

読売新聞2008年10月28日「[明日へ]世界遺産を守る(6)再開発と歴史の調和を」(東京夕刊)

朝日新聞 2009年10月12日 「400メートルのビル計画、世界遺産のロシア古都大揺れ」

共同通信 2009年10月10日「超高層ビル承認で論争、ロシア 世界遺産のサンクト市」

時事通信 2009年10月11日「高層ビル計画に抗議デモ=世界遺産が危機-サンクトペテルブルク」

東京新聞 2009年12月27日「 『プーチン・タワー』計画 揺れる古都 市民反発 市は強硬姿勢」

時事通信 2010年12月10日「摩天楼建設場所の変更決定=景観に懸念-サンクトペテルブルク」

読売新聞2010年12月14日「超高層ビル「やっぱりダメ」 サンクトペテルブルク市長」(東京朝刊)