御堂筋沿道 高さ制限緩和への疑義

2013(平成25)年3月、大阪市都市計画審議会専門部会が、御堂筋沿道で実施されている軒高50m(最大で60m)制限の緩和を容認した。

今後、市は緩和に向けた手続きを進め、2013年度中に改正を予定しているという。

現在示された案では、最大で60mに抑えられていた高さ制限を緩和し、最大で140mまで建設可能とすることが検討されている(朝日新聞2013年3月20日付。「御堂筋沿い、高さ規制撤廃 大阪市、13年度に条例改正」)

この動きは、2012年1月に橋下市長が高さ制限の撤廃に言及したことに端を発するものだが、1年の時を経て、高さ制限の緩和の具体案が出てきたわけである。

私は、御堂筋における高さ制限の歴史的経緯や現在の大阪のオフィス需要などから見ても、高さ制限緩和には反対である。

なにより、今回の緩和には全くの理念もビジョンも感じられない。理念なき都市政策が経済性のみに立脚せざるを得ないのは必然である。「規制緩和による活性化」は理念ではなく、都市政策の放棄にすぎない。

以下では、高さ制限緩和賛成論に対する私なりの反論を記したいと思う。

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□「既に沿道のスカイラインはバラバラではないか」との意見に対する反論

1995(平成7)年に高さ制限を31mから50mに緩和したために、確かに31mと50mのラインが混在している。

しかし、現在の姿は、50mのスカイラインの創出に向けた過渡期であるのだからバラバラであるのはむしろ当然である。

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言うまでもないことだが、街は一朝一夕につくられるものではない。

50mのラインで整えようと市が決断したのは、わずか18年前のことである。

現在スカイラインは揃っていないものの、着実に新たなスカイラインの形成に向けて進んでいる。

そのさなかに緩和をしてしまっては、18年前の大きな決断を無駄にすることになるのではないか。

現在の案では中層部の50mのラインは守ると言っているが、高層部が突出してくれば現在の空が遮られることは避けられない。

都心でこれほど広くまとまりのある空を見ることができるのは御堂筋くらいのものだ。

今回の案の策定に際して、どれほど景観への影響を検証したのかも疑問である。

淀屋橋odonaがつくられる際には、70mまでであれば景観への影響が少ない、と市は都市計画審議会の中で説明をしていた。だが、それが140mになれば、その影響は推して知るべしである。

□「既に60mを超える高層ビルも立っているではないか」との意見に対する反論

確かに、淀屋橋で最高高さ70m、本町には140mの高層ビルが建っている。

この二つの再開発は、いずれも小泉政権下の都市再生の動きが背景にあり、都市再生特別措置法に基づく都市再生特別地区を活用したものである。

しかし、御堂筋全体で都市再生特区の活用を容認したわけではなかった。

2006(平成18)年に、新しい時代の御堂筋協議会が「御堂筋活性化アクションプラン中間とりまとめ」を作成した。

中間とりまとめの中で、淀屋橋や本町の交差点付近を「賑わい拠点ゾーン」に位置付け、そのエリアのみについて高さを緩和するとの方針を示されたのである。

その結果として建設されたのが、淀屋橋odonaであり、本町ガーデンシティ(セントレジスホテル大阪)だ。

つまり、拠点以外の場所では従来のルール(軒高50mが、最高60m)が継続されることとなったわけである。

もちろん、そもそもこの方針自体、望ましいものだったのかは議論の余地はあるだろう。

ただ、少なくとも、拠点エリアとそれ以外での仕分けをし、メリハリのある規制によって保全と開発のバランスを図ろうという意図は理解できなくはない。

しかし、今回の緩和は、そうしたメリハリも一切無視した「なし崩し的な緩和」と捉えられても仕方がないのではないか。

厳格な高さ制限で知られるパリにおいても、近年、地価の高騰やオフィス・住宅不足を背景に高さ制限が部分的に緩和された。

とはいえ、緩和されたのは、市縁辺部で景観への影響が少ない場所(全6か所)に限定されており、しかも、超高層ビルはそれぞれの地区一棟のみである。

守るべき場所と開発する場所のメリハリを図るのは、成熟した都市であればもはや当然の都市戦略であるはずだが、橋下市政にはそうしたものが感じられないのである。

<参考>

パリにおける高さ制限の歴史

□「指定容積率が消化できないために建替えが進まない」との意見に対する反論

容積率を全て使い切ることができないために高さ制限の撤廃が必要との意見が見られる。

しかし、そもそも1995年に31mから50mに緩和したときの議論を思い出してほしい。

当時、31mでは容積率を消化しきれないから、50m(セットバックすれば+10m)になったのである。

現状でも1000%容積率の消化は十分可能であるにも関わらず、高さ制限の撤廃を要求するのは、更なる容積緩和を求めるための方便に過ぎないのではないか。

実際に、容積率を1300%に上げることも視野に入れているらしいが、それほどの容積を与えたところでどれほどの需要があるのだろう。

大阪におけるオフィスの空室率は、大規模ビルが9.6%、中型ビルでは12.8%に及ぶ(2013年2月末時点。出典:http://www.websanko.com/officeinfo/report/pdf/market2013-03-Osaka.pdf)。

一方、東京の都心五区の空室率は、大規模ビル6.23%、中型ビル10.9%であることから、大阪のオフィス床が特に余っている状況がうかがえる(2013年3月時点。http://www.websanko.com/officeinfo/research/pdf/2013/03-tokyo_23.pdf)。

空室率が高いだけでなく、大阪では、梅田をはじめとして各所で大規模な再開発が行われている。

このような状況の中、さらに御堂筋で容積を緩和する合理的な理由があるのだろうか。

仮に東京の丸の内などと同じような高層化をしたところで、本当に御堂筋が活性化するのかも疑問である。

御堂筋は、1969(昭和44)年に法律上の高さ制限が撤廃されたときも、31mのラインを守るべきとして、行政指導で規制を継続したという歴史的経緯がある。

一方、御堂筋と同じように31m(100尺)の建物が並んでいた丸の内では、容積制導入後、高さ制限は継続されず、かなり早い時期から高層化が図られた。

このことからも、御堂筋の高さの揃った街並みに対する先人の思いや見識が理解できるであろう。

私が懸念するのは、緩和してみたものの、蓋を開けてみたら超高層に建て替わるのは数棟のみで、分断されたスカイラインが残るという無残な結果に終わることである。

現在の50mの高さの中で、1000%を消化し、沿道全体として街並みを整えると同時に、低層階に賑わい機能を設ける方が、市内の他地域との差別化になり、むしろ価値を上げることになると思うのだが。

なお、今回の緩和の動きに危機感を覚えたため、2012年春に季刊誌土地総合研究に「御堂筋における高さ制限の変遷」を寄稿した。興味のある方は是非ご覧いただきたい。

 

<2013年7月22日追記>

2013年7月19日付けの毎日新聞大阪朝刊に、御堂筋の高さ制限緩和に反対する見解を載せて頂きました。以下のURLに抜粋版を載せました。

毎日新聞「論ステーション:御堂筋「摩天楼」計画」

 

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御堂筋・高さ制限の見直しについて:グランドデザイン・大阪(素案)

2012(平成24)年1月に、橋下徹・大阪市長が御堂筋の高さ制限の撤廃に言及したが、その後、大阪府市統合本部での検討が進み、4月に「グランドデザイン・大阪(素案)」が示された。

 

素案によると、御堂筋周辺は「居・職・学エリア」に位置付けられ、将来構想として「御堂筋のみどり化とまちなみの再編」が示されている。

その将来構想の実現方策の一つとして、「セットバックを確保し高さを規制緩和」とある。

つまり、現在、指導要綱で規制している50mの軒高のラインは継承しつつ、高層部分をセットバックさせた上で、高さを緩和するとの考えを盛り込んだわけである。

現在、淀屋橋と本町三丁目の都市再生特別地区区域内では、それぞれ高さ70m、132mの高層ビルが建っているが、御堂筋沿道全域でこうした高層化を行うという意図なのであろう。

しかし、仮に御堂筋沿道での超高層化を認めたとしても、経済状況や敷地条件等から超高層化が進むのは数棟にとどまるのではないかとも推測される。

超高層ビルが点在し、結果的に分断されたスカイラインだけが残るという可能性があることも考慮する必要があるだろう。

また、御堂筋沿道は、一部を除くと奥行のある敷地が少ないため、高層棟部分を後退させたとしても、その距離には限界がある。

「グランドデザイン・大阪(素案)」には、「御堂筋沿道の大街区化」も位置づけられているが、仮に抜本的な敷地統合による街区再編を行った場合でも軒高50mラインの街並み景観に大きな影響が出ることは容易に想像がつく。

市長の高さ制限見直し発言からわずか2か月で素案に高さ制限の緩和が明文化されたわけであるが、御堂筋の景観は先人が築き上げてきた大阪の財産であることを踏まえた上で、慎重な判断を下すことが求められるのではないか。

※御堂筋の高さ制限の歴史的経緯や高層化の問題等について、季刊誌「土地総合研究」に寄稿しましたので、下記URLをご参照ください。

御堂筋における高さ制限の変遷(土地総合研究2012年春号) 

また、府市統合本部会議の議事録や資料が大阪市のホームページで公開されていますので、こちらもあわせてご覧ください。

大阪府市統合本部会議のホームページ

御堂筋における高さ制限の変遷

2012(平成24)年1月25日、橋下徹・大阪市長が御堂筋の高さ制限の撤廃に言及した。

御堂筋の高さ制限について「どこまでこだわり続けるのか、これまでの行政の考え方を超えて考えてもらいたい」と述べた上で、見直しの検討を指示したという(読売新聞2012年1月26日記事)。

「かいわいは不夜城でもなく、高度化した都市の感じもしない」ために、「マンハッタンの摩天楼のように(高さ規制を)開放してもいいのでは」(朝日新聞2012年1月25日記事)と述べていることから、高さ制限の緩和による御堂筋の高層化を意図しているようである。

また、「中心地に高度な(建物の)集積地をつくり、郊外はゆったりめという都市にすべき」(読売新聞)との見解も示していることから、御堂筋の高さ制限撤廃を大阪の都市構造再編の一環として位置付けているとも考えられる。

しかし、都心人口の受け皿として御堂筋が適切なのだろうか、また、御堂筋が摩天楼になることが望ましい姿と言えるのだろうか。

確かに、行政の旧弊を打破するといった掛け声は心地よく響くかもしれない。

だが、これまでに形作られてきた御堂筋の街並みを「旧弊」の一言で片づけてよいのかは疑問である。

御堂筋沿道においては、1920(大正9)年に施行された市街地建築物法の高さ制限によって100尺(31m)の街並みが形成され、1969(昭和44)年の容積地区指定後も行政指導に基づき軒高31m制限が継承されることとなった。

その後、1995(平成7)年には軒高31m制限が50mへと緩和され、さらに2000年代に入ってからは、淀屋橋で最高高さ70mの開発が認められ、本町4丁目では140mの高層ビルが建設された(ただし中層部の軒線は50m)。

ここ20年は、なし崩し的に高さ制限が緩和されていったとも言えるが、軒線の揃った街並みの形成という考え方は約90年にわたり継承されてきたのである。

2012年2月2日付の毎日新聞大阪朝刊には、「府関係者によると、オフィスビルが建ち並ぶ御堂筋沿いの建物に対する50メートルの高さ制限も撤廃する。」と、高さ制限の撤廃が既定路線になっているようにも受け取れる記事が掲載されている。

府市統合本部で6月までに結論が出されるとのことだが、このような短期間で大阪のシンボルである御堂筋の方向性が決められてよいのであろうか。

御堂筋における歴史的な蓄積を安易に捨て去るような判断を避けるためにも、まずはこれまでの御堂筋における高さの考え方を踏まえる必要があると思われる。

そこで以下では、御堂筋における高さ制限の変遷とその背景を見ていきたい。

 

<2012年5月24日追記:以下の記事を加筆・修正したものが「土地総合研究2012年春号」に掲載されました。下記から閲覧できます。是非ご覧ください。>

○「御堂筋における高さ制限の変遷」 

<2013年3月25日追記>

大阪市都市計画審議会専門部会による高さ制限緩和容認のニュースを受け、「御堂筋の高さ制限撤廃に反対する理由」を書きました。

<2013年7月22日追記>

2013年7月19日付けの毎日新聞大阪朝刊に、御堂筋の高さ制限緩和に反対する見解を載せて頂きました。「論ステーション:御堂筋「摩天楼」計画」 

 

<目次>

1.100尺(31m)制限下における御堂筋:1920年~1969年

2.行政指導による31mの軒高制限:1969年~1994年

3.行政指導による50mの軒高制限(31m→50mへの緩和):1995年~現在

4.拠点エリア(都市再生特別地区)における超高層ビルの容認:2000年代~

5.御堂筋における景観保全・形成の課題と展望

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図1 御堂筋の高さ制限の変遷

 

1.100尺(31m)制限下における御堂筋:1920年~1969年

御堂筋は、1926(大正15)年に着工し、1937(昭和12)年に完成した梅田と難波を結ぶ大阪のシンボル的な街路である(淀屋橋―本町間965mは1934(昭和9)年に竣工。イチョウ並木もこの年に植えられている)。

着工の6年前の1920(大正9)年に施行された市街地建築基準法に基づき、御堂筋の沿道は31mの制限がかけられていた(図2参照。住居地域は絶対高さ65尺、住居以外の地域(商業地域や工業地域等)は100尺に制限)。

つまり、100尺制限は御堂筋独自の制限ではなく、市街地建築物法が適用される区域の商業地域では全国共通で100尺に制限されていたのである。なお、1931(昭和6)年の市街地建築物法施行令の改正でメートル法が導入され、100尺の制限は31m、65尺は20mへと置き換わっている。

その後、100尺の建物が建ち並ぶ街並みが形成されていったわけであるが、これは意図して作られたものというよりは、法律が定める制限の限度一杯まで高度利用を図った結果として生まれた街並みであったと言えよう。

とはいえ、こうしてつくられた100尺で揃った街並みはイチョウ並木とともに御堂筋を象徴する景観を構成するようになるわけである。

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図2 市街地建築物法・旧建築基準法による高さ制限(いわゆる100尺制限)

 

2.行政指導による31mの軒高制限:1969年~1994年

①容積地区導入と美観地区条例案の作成

1969(昭和44)年4月、御堂筋を中心とする大阪都心部に容積地区が指定され、区域内では容積率によって建物のボリュームが制限される代わりに、31mの絶対高さ制限が撤廃されることになった。

なお、容積地区の指定は東京に次いで2例目で、施行は同年6月。1970年の建築基準法改正で容積制が全面導入されたことに伴い容積地区制度は廃止され、結局、容積地区の指定は東京と大阪の2都市のみでの活用にとどまった。

御堂筋周辺は、容積率メニューの最大値である10種(容積率1000%)が指定されたが、その理由として「御堂筋は大阪の象徴とも言うべきところであり、巾員44mの道路ぞいにすでに高容積の建物が並列している」(大阪市容積地区指定基準)ことが挙げられている。

容積地区指定に関する答申を行った大阪都市計画地方審議会は、「御堂筋のように既成の建築集団がすでに統一的形態をなしている地区については、これを維持するよう高さの制限等について容積地区施行と同時に必要な法的手続をとること」との附帯意見を示していた。

大阪市は、容積地区の指定にあたって設置された「容積地区研究会」において「御堂筋の淀屋橋、本町間のスカイラインは確保したい。」との見解を示していたこともあり、都市計画地方審議会の附帯意見を受けて美観地区条例による高さ制限の検討を開始する。

大阪市内では、1934(昭和9)年に美観地区(御堂筋、中之島、大阪城西側、大阪駅、難波駅周辺)が指定された。

1950(昭和25)年の建築基準法制定で、美観地区の具体的な制限は自治体が定める建築条例で規定することとされたが、大阪市は条例を制定していなかった。

美観地区条例案では、高さを31mに制限する第1種美観地区と45mに制限する第2種美観地区が設定され、御堂筋周辺(淀屋橋―築港深江線間)は第1種美観地区に指定することが想定されていた(第2種は中之島での指定が検討されていたようであるが、具体的な区域は示されていない)。

絶対高さ制限の実施は、容積制の趣旨に反するのではないかとも考えられたことから、大阪市は条例案の法的な問題の有無を確認するために、法学者3名から意見聴取を行っている。

聴取内容は、憲法29条(財産権の保障)、容積地区制の趣旨との関係、制限の合理性、損失補償の必要性といった多様な観点から行われた。

その結果、条例による制限は不適当との判断が示され、さらに建築審査会と建設省も消極的な姿勢であったことから、市は条例制定を断念する。

②「御堂筋の景観保持に関する建築指導方針」による軒高31mの制限

美観地区条例の策定は行われなかったものの、100尺(31m)による街並みの維持を図るべきとの判断から、行政指導によって31mの軒線の制限が行われることになった(「御堂筋の景観保持に関する建築指導方針」による行政指導)。

この建築指導方針による制限は、斜線制限と屋上突出物の高さ制限の2種類から構成される(図3)。

前者の制限は、御堂筋側の道路境界線から31mの高さから、3:2(1:約0.66。水平方向3に対して垂直方向2)の勾配による斜線制限であり、建築基準法における商業地域の道路斜線制限(勾配1:1.25)よりも厳しい(図3左)。仮に階高を4mとすると、高さ31mを超える部分は、御堂筋側の境界線から最低6mセットバックする必要がある。

一方、後者の屋上工作物の制限とは、屋上工作物が前述の斜線制限にやむを得ずおさまらない場合は、7m以上のセットバックかつ最高高さ43m以下(31m+12m)であればその設置を認めるものである(図3右)。

高層部をセットバックさせれば31mを超える部分の建設も可能とする制限であるため、建物全体の壁面位置を後退させてしまうと、かならずしも軒線が31mにならないという欠点はあるが、当時のオフィスビルは1000%の容積率を消化するために、建蔽率ぎりぎりまで使うものが多かったことから、壁面後退をする建物はほとんどなかった。

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図3 「御堂筋の景観保持に関する建築指導方針」(1969年)による高さ制限


3.行政指導による50mの軒高制限(31m→50mへの緩和):1995年~現在

「御堂筋まちなみ整備検討委員会」による高さ制限見直しの検討

行政指導開始から約20年後の1991(平成3)年、西尾正也・大阪市長(当時)が高さ制限の見直しに言及する。

当時は大阪の地価がピークに達しようとしたバブル期の只中であり、大阪市の商業地における地価公示の1983年時点の累積変動率を100とすると、1991年のピーク時は444と約4.5倍にまで高騰していた。

翌1992(平成4)年10月に市長が、「御堂筋まちなみ整備検討委員会」に対し、御堂筋の景観の方向性について諮問し、1994(平成6)年3月に高さ制限の緩和等を盛り込んだ提言を市長へ答申している。

委員会では、5つの整備試案を作成し、圧迫感、スカイライン、建物頂部の形態、壁面位置、建物の連続性、セットバック空間等の観点から検討している(図4)。

その結果、1000%の容積率消化や建物の質の確保の観点から、現行の指導要綱による制限の緩和が必要であるが、御堂筋の良さは「軒がそろっているということと道路際に壁が揃っていること」(第6回委員会での委員の意見)であるとの認識から、軒高を31mから50mに緩和し(最大高さは60m)、壁面後退距離を4mに制限する案が採択された。

当初、高さの基準については、「高さ制限は50m」とされていたが、「高さは50m」との表現に変更されている。つまり、50m以上でも以下でもなく、「50mに揃える」との意図を明確に示したわけである。

この案が採用された理由を委員会の議論からまとめると、1)D/H(道路幅員建物高さの比率)≒1となり、圧迫感の影響は少ないこと、2)セットバックによりイチョウ並木への生育条件にも悪影響を与えないこと、3)アトリウム、パサージュ、ポケットパーク等の設置による歩行者空間の整備が期待でき、足元周りのゆとりと賑わいが生れること、4)1000%の容積率が消化可能になること、等に集約できる(第6回委員会)。

図4 御堂筋まちなみ整備検討委員会での5つの試案

 

②日本建築学会による軒線31m制限の継続を求める要望

これに対し、日本建築学会は従来の31mの軒高制限の継続を求める「御堂筋の都市景観の保全・形成に関する要望書」(1994年6月)を大阪市長に提出する。

建築学会は、現在の御堂筋の都市景観を保全・形成する意義として、以下に示す3点を挙げた上で、「今回の高さ制限見直しを含めた現在の状況は、大阪の発展の中で優れた街並み形成に尽力されてきた大阪市の都市計画をはじめとする都市行政史上の重大な岐路に立っているといえます。今後、大阪が世界をリードしていくうえで求められている都市格を象徴する都市景観のあり方について、今まで築き上げられてきた御堂筋の都市美が失われることのないよう、慎重にご判断されるよう強く要望いたします。」と、高さ制限の緩和に反対する意向を表明した。

※要望書に示された御堂筋の都市景観を保全・形成する意義

1.御堂筋は、大都市の業務中枢エリアとして、これまで重要な役割を果たしてきたところであり、都市機能と景観が見事に統一された都市空間としての都心のステイタスを支えてきたこと

2.特に本町・淀屋橋間の都市景観は、統一ある連続したスカイラインと壁面線、バランスのとれた道路幅と建物高さ、さらに質の高い建築群により、我が国で他に類のない都市美が形成されてきたこと

3.御堂筋は、イチョウ並木とあいまって、市民をはじめ多くの人々によって長年親しまれ愛し続けられてきた大阪のシンボル的空間であること

これに対し大阪市は、「広く市民に評価されているイチョウ並木や、淀屋橋~本町間に代表されます沿道建築物の壁面の位置、並びに、軒の高さの統一につきましては十分に配慮する必要があると考えております」と軒高の統一に言及しつつも、31m制限には触れず、「「御堂筋まちなみ整備検討委員会」からの提言を尊重しつつ、指導方針を定め」ると回答している(「「御堂筋の都市景観の保全・形成に関する要望書」に対する回答」1994年8月1日)。

要するに市は、委員会案で示された軒高50m制限案を変更する意思がないことを示したわけである。

「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」による軒線50mの制限

1994(平成6)年11月に「御堂筋沿道建築物まちなみ誘導に関する指導要綱」が策定され、軒高制限が31mから50mに緩和される形で、行政指導による高さ制限が継続されることとなった(翌1995年1月施行)。

従来の「建築指導方針」は、あくまでも斜線制限であったため、軒線31mの街並みが継承されるとは限らなかったわけだが、この指導要綱では壁面位置(4m後退)と軒高(50m)を明示したことで、軒線の統一が担保されることになったと言えるだろう(図5。高さと壁面後退距離はそれぞれ50m、4mジャストであり、それ以上でもそれ以下でも不可)。

75年間(1920年から1994年)かけて作り上げてきた31m(100尺)の街並みを捨てる決断をしたわけであるが、新たな数値で軒線の連続の継承を図ることになったわけである。

また、この指導要綱は、高さや壁面位置だけにとどまらず、セットバックした屋外空間の整備のあり方や低層部分における賑わい用途の誘導、外壁の形態意匠、建築設備の配慮、広告物の基準等も規定された点が特徴であった(表1)。

高さのみが規定された「建築指導方針」と比べて、より積極的な街並み景観の形成を意図した要綱へと再編されたと言えるだろう。

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図5 「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」による高さ・壁面制限(50m)

 

表1 「御堂筋沿道建築物まちなみ誘導に関する指導要綱」に規定された誘導基準の内容

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④地区計画:御堂筋にふさわしくない用途の禁止

2001(平成13)年8月に、御堂筋地区地区計画が策定され、地区内における建築物の用途が制限されることになった。

用途の制限としては、ビジネスゾーンとしての風格にふさわしい土地利用を誘導することを目的として、マージャン店、パチンコ店、射的場、勝馬投票券発売所、場外車券売場、風俗店等の用途を御堂筋の街並みにふさわしくないものとして規制対象とした。

先に述べた指導要綱では、低層部への文化施設の導入の促進といったように、積極的に誘導すべき用途を挙げていたわけであるが、この地区計画では、最低限守るべきネガティブチェックのルールとして御堂筋に望ましくない用途の排除を行ったと言えるだろう。

4.拠点エリア(都市再生特別地区)における超高層ビルの容認:2000年代~

 ※本章については、記述に若干の誤りがあったため、2012(平成24)年5月16日に加筆・修正を行っている。

①御堂筋における規制緩和を求める動き

バブル崩壊後の景気低迷を背景に、規制緩和を求める動きが活発化する。

特に、銀行の店舗が多い御堂筋では、金融再編による店舗の統廃合による空室率の増加とともに、梅田や難波における再開発事業の進展による御堂筋エリアの求心力の低下が懸念されていた。

そこで、2000(平成12)年10月に、御堂筋活性化推進協議会が発足し、同年11月には「新しい時代の御堂筋」協議会が設置され、今後の御堂筋のあり方が検討されることとなる。

また、2001(平成13)年3月には、関西経済同友会が、高さ制限と容積率の緩和、ベンチャー特区の創設等を柱とする提言を発表し、20~30階建ての高層ビルの建築を容認すべきとした。

さらに、2002(平成14)年11月には、地元地権者企業から構成される「御堂筋まちづくりネットワーク」によって、御堂筋の将来像を示す「御堂筋スタイル創生」と具体的な規制の考え方である「御堂筋の新しい規制のあり方」の2つの提言が示された。

②淀屋橋地区都市再生特別地区(2004年)による規制緩和:軒高50m・最高高さ70mに緩和

こうした規制緩和を求める動きもあり、2002(平成14)年7月には、御堂筋を含む「大阪駅周辺・中之島・御堂筋周辺地域」が都市再生特別措置法に基づく都市再生緊急整備地域に指定され、2004(平成16)年12月に淀屋橋地区(旧愛日小学校の跡地を含む約0.8ha)において都市再生特別地区(以下、特区)が指定された。

この特区では、容積率の上限が1000%から1300%に割増されることとなったほか、最高高さが60mから70mに緩和されている。

最高部の高さは緩和されたものの、御堂筋側に面した部分については、壁面位置を4mセットバックした上で高さの限度を50mとする従来の指導要綱による軒線の連続性の考え方は踏襲されることとなった(それ以外の制限としては、容積率の下限700%、敷地面積の最低限度2,000㎡、建蔽率の最高限度が80%)。

つまり、特区の指定によって、指導要綱に基づく軒線50mと壁面後退4mの制限が法的に担保されることになったわけである。

図6 淀屋橋地区都市再生特別地区における高さ・壁面位置の制限

それでは70mという数値はどのようにして導かれたのであろうか。

当時の都市計画審議会の議事録によると、70mは景観シミュレーションを経て導かれた結論であるという。

図6に示すように、1)高さ50mの高さから20mセットバックして最高高さを70mとするもの、2)30mセットバックして最高80mのもの、3)40mセットバックして最高90mのもの、4)40mセットバックして最高150mのものの4ケースについて、淀屋橋交差点、伏見町交差点、道修町交差点の3つの視点場からの街並み景観への影響が検証された(注1)。

検討の結果、「今回、敷地を共同化して御堂筋でも珍しい一辺約80mの整形街区というまとまった規模での一体開発ということでございますので、御堂筋から20メートル後退した位置で建築物の最高高さを70メートルといたしましても、御堂筋のまちなみ形成上は、いろいろシミュレーション等検討いたしました結果から、影響はほとんどない」と市は判断し、10mセットバック、最高高さ70m案が採用されることとなった(平成16年度第4回大阪市都市計画審議会議事録)。

ただし、高さ制限の緩和については都市計画審議会でも賛否が分かれ、今後、同様の緩和を求める計画が出てきた場合を想定して、市としての景観形成の方針が必要であるとの意見も出されていた。

今回の特区の場合、ある程度まとまった規模・形状を持つ敷地であるから、緩和による景観への影響が少ないと市は説明していたわけである。つまり、同様の条件を有する敷地であれば、他の場所でも緩和を認める可能性を示唆していたとも解釈できる。

したがって、このように単発で高層建築物が許可されるようになった場合、指導要綱による50m(+10m)制限がなし崩し的に意味をなさなくなるのではないかとの懸念があっても不思議ではなかったと言えるだろう。

図7 淀屋橋地区都市再生特別地区検討時における高さのスタディのパターン(都市計画審議会議事録を元に作成)

③本町三丁目南地区都市再生特別地区による規制緩和:軒高50m・最高高さ140mに緩和

2006(平成14)年10月、「新しい時代の御堂筋」協議会が「御堂筋活性化アクションプラン2008中間とりまとめ」を策定する。

この中間とりまとめによると、御堂筋沿道のうち、淀屋橋と本町の交差点周辺を活力と賑わいをもたらす「賑わい拠点ゾーン」と位置付け、賑わい機能を設けた場合に、最高高さ60mの高さ制限(軒高50m+屋上工作物等10m)の緩和を容認する方向で検討すると位置付けられた(ここで言う賑わい機能とは、1階に待ち合わせができるロビー空間やイベントステージ、次世代IT技術を体験できるショールーム等を指す)。

この中間とりまとめを受けて、2007(平成15)年2月に本町三丁目南地区都市再生特別地区が指定された。

当該地区は、淀屋橋地区と同様に、中層部の高さ50mとし、高層部は御堂筋側から20mセットバックさせて140mまで高さを認めるものであった(2010年10月にホテル、商業、オフィスの複合ビルである本町ガーデンシティが開業。最高高さは132m)。

図8 本町三丁目南地区都市再生特別地区における高さ・壁面位置の制限

御堂筋と本町通の結節点に位置する当該敷地の拠点性を活かして、新たなランドマークを創出するという意図があったようであるが、都市計画審議会では、ランドマークとして高さを誇ることが御堂筋の価値に寄与するのかといった点が指摘される等、淀屋橋地区の時と同様に高さの緩和の是非について議論されている(ただし140mという数値自体は議論になっていない)。

また、淀屋橋と本町が「賑わい拠点ゾーン」と位置付けられたことにあわせて、御堂筋地区の地区計画が見直され、淀屋橋地区と本町地区において、壁面位置と建築面積の最低面積の制限が追加された。

御堂筋沿道は4m、本町通りと土佐堀通り沿いは2mと規定したことにより、要綱に基づく4mセットバックの基準が法定計画である地区計画で担保されることになったわけである。

表2 淀屋橋地区・本町三丁目南地区における都市再生特別地区の内容

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5.御堂筋における景観保全・形成の課題と展望

①高層化による街並みへの影響

1995(平成7)年に施行された「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」によって軒高が31mから50mに緩和されてから、今年で17年が経過した。

写真を見てもわかるように、現在、31mと50mのラインが混在する街並みが形成されており、50mのラインで揃うまでにはまだまだ時間がかかるであろう。

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こうした状況の中、仮に御堂筋沿道での摩天楼化を認めたとしても、経済状況や敷地条件等から超高層化が進むのは数棟にとどまるのではないかとも推測される(市長は抜本的な敷地の再編等も視野に入れているのかもしれないが)。

超高層ビルが点在し、ただ分断されたスカイラインだけが残るという可能性があることも考慮する必要があるだろう。

また、御堂筋沿道は、一部を除くと奥行のある敷地が少ないために、高層部を後退させても、その距離には限界がある。

そのため、高層化を図った場合、軒高50mのラインによる街並み景観には大きな影響が出るのではないかと思われる。

淀屋橋地区の都市再生特別地区でも高さ70mであれば影響が少ないとの判断であったのだから、それ以上の高さにしたならばなおさら影響は避けられないのではないか。

②「景観地区」の指定による「大阪美観地区」の継承:高さ制限の法定化

これまで見てきたように、御堂筋の高さ制限は、1969(昭和44)年以来、行政指導(指導要綱)によって運用されてきた(総合設計制度や都市再生特別地区等のいわば個別開発によって担保されてきたケースもある)。

要綱による規制は、一定の効果をあげていると言えるだろうが、あくまでも「要綱」であるために法的根拠はない。

2006(平成18)年12月、大阪市は景観法の規定に基づく「御堂筋地区景観協議会」を設置した。

地権者や学識経験者、まちづくり団体(御堂筋まちづくりネットワーク)等で構成されるこの協議会では、要綱の法定化を議論したいとの意向を市は持っているようである(平成18年度第3回大阪市都市計画審議会議事録による市の発言)。

法定化の手法としては、すでに策定済みである市の景観計画への位置づけ、都市計画である景観地区(かつての美観地区制度)、地区計画等が考えられるが、現在、協議会メンバー間で法定化の合意が図れる状況にはなく、景観協議会は開催されていないという。

法定化は、ルールの実効性確保には有効である一方で、地権者の開発行為に制限を与えることになるため、自らの敷地での開発可能性を考えると、地権者は法定化に二の足を踏んでしまうのであろう。

市側もそのあたりを斟酌して、要綱によって一定の枠をはめつつも、法的拘束力は持たせないことでルールを超えた開発の可能性も保持しておきたいという思惑があるように思われる。

しかし、こうした迷いのあるスタンスが、現市長にはどっちつかずの対応とみなされ、高さ制限の撤廃という発言に結びついているようにも思えるのである。

ここでもう一度、御堂筋が美観地区に指定されていたことの意味を考える必要があるのではないだろうか。

「指定されていた」と過去形で書いたのは、1934(昭和9)年に指定された大阪美観地区は、2005(平成17)年6月1日をもって指定が解除されたからである。

2004(平成16)年に景観法が制定され、従来の美観地区制度は景観地区制度として再編されたが、大阪美観地区では具体的な制限内容を定める条例がつくられなかったために、景観法全面施行に伴って2005(平成17)年6月1日に指定解除となったのである。

美観地区の指定解除と都市再生特別地区における超高層化の推進が同時期に進んでいったことは、「美観地区」としての記憶が徐々に薄れていくことを象徴する出来事と言えるだろう。

やはり、安易な規制緩和へと傾くのではなく、「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」を景観地区として位置付け、「美観地区」としての歴史を継承することが、御堂筋の価値を守り、高めるのではないだろうか。

御堂筋と同様に、シンボル的な街路沿いの街並みを守るために高さ制限を行っている場所として銀座がある(拙稿「銀座ルールから高さ制限のあり方を考える」参照)。

銀座には超高層建築物は必要ないと地元の人が決断し、2006年に高さ56m(屋上工作物を含めると66m)を限度とする「銀座ルール」を定めた。

街路幅員と建物高さの関係のバランスが、「銀座らしさ」を表す指標の一つであると銀座の人々が認識し、法的拘束力の強い地区計画で制限を行っているのである(しかも、総合設計や都市再生特別地区等による高さの緩和も認めていない(一部地区は除く))。

橋下市長の発言は、御堂筋のあり方を議論するきっかけを提供したという点で評価できるだろう。

しかし、高さ制限の撤廃を前提とせず、先人が築き上げてきた御堂筋らしさを継承する方向に議論を進めてもらいたい。

表3 御堂筋における高さ制限に関わる主な出来事

出来事

1919

大正8

4月

市街地建築物法・都市計画法公布

1920

大正9

9月

市街地建築物法施行(建物の高さが住居地域は65尺、その他地域は100尺に制限)

1931

昭和6

12月

市街地建築物法施行令改正によりメートル法導入(65尺は20m、100尺は31mに)

1934

昭和9

11月

御堂筋(淀屋橋―本町間)竣工

12月

美観地区指定(御堂筋、中之島、大阪城周辺(西側・南側)、大阪駅、難波駅等)

1937

昭和12

3月

御堂筋全通

1950

昭和25

5月

市街地建築物法に代わり建築基準法制定

1963

昭和38

7月

建築基準法改正(容積地区制度創設。指定区域内は絶対高さ制限31mが適用除外)

1969

昭和44

4月

大阪容積地区指定(御堂筋は第10種、容積率1000%)(施行は6月)。

6月

大阪容積地区施行。行政指導により軒線31mに制限(御堂筋の景観保持に関する建築指導方針)

1970

昭和45

6月

建築基準法改正(容積制全面導入)

1973

昭和48

8月

新建築基準法に基づく用途地域見直し(容積地区廃止。用途地域ごとに容積率設定)

1992

平成4

10月

大阪市長が「御堂筋まちなみ整備検討委員会」に御堂筋のまちなみのあり方について諮問

1994

平成6

3月

御堂筋まちなみ整備検討委員会が御堂筋のまちなみのあり方に関する提言を大阪市長に答申(31mの制限を軒高50m、最大60mへ緩和等)

11月

市が「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」策定(軒高50m、壁面後退4m等。翌年1月施行)

1995

平成7

1月

「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」施行

2000

平成12

11月

「『新しい時代の御堂筋』協議会」発足(大阪市、国交省、関経連、大阪商工会議所等)

2001

平成13

4月

新しい時代の御堂筋協議会が、「御堂筋活性化アクションプラン」策定(当該地区を「風格と活力あるビジネス空間」と位置付け)

8月

御堂筋地区地区計画策定(パチンコ店、マージャン店、風俗店等の御堂筋にふさわしくない用途を制限)

11月

「御堂筋まちづくりネットワーク」発足

2002

平成14

4月

都市再生特別措置法制定

11月

御堂筋まちづくりネットワークが御堂筋の将来像を示す「御堂筋スタイル創生」 と具体的な規制の考え方である「御堂筋の新しい規制のあり方」を提言

2004

平成16

6月

景観法公布に伴い大阪市が景観行政団体になる

12月

淀屋橋地区都市再生特別地区指定(高さ50mを超える部分のセットバックにより最高高さ70mまで緩和、容積率は1300%)

2006

平成18

2月

大阪市景観計画告示(10月施行。対象区域は市全域)

10月

「御堂筋アクションプラン2008中間とりまとめ」発表(拠点エリアでの高さ制限の緩和等)

12月

「御堂筋地区景観協議会」設置(御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱の適用区域におけるルールのあり方等を検討)

2007

平成19

2月

本町3丁目地区都市再生特別地区指定(高さ50mを超える部分のセットバックにより最高高さ140mまで緩和、容積率は1300%、2010年10月に本町ガーデンシティが開業)

3月

御堂筋地区地区計画見直し(淀屋橋地区、本町地区における最低敷地規模、壁面位置制限の追加)

2012

平成24

1月

橋本徹・大阪市長が、大阪府市の統合本部会議で御堂筋沿道の高さ制限撤廃に言及。

【高さ制限撤廃に関する記事】

○朝日新聞2012年1月25日「御堂筋の高さ制限、橋下市長が撤廃検討を指示」

○読売新聞2012年 1月26日「御堂筋高さ規制見直し」

○朝日新聞2012年1月28日「御堂筋で高さ論争 橋下・大阪市長、高層ビル解禁狙う 「景観崩れる」反対も 」

○毎日新聞2012年2月2日大阪朝刊「大阪・御堂筋:40年後に緑の公園、大阪府がPT 「暮らしの場」へ車道撤廃、心斎橋に小山・ビル上は住居」

【御堂筋における高さ制限等のルール】

○「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」の概要

○「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」本文

○「御堂筋地区地区計画」計画書

○「御堂筋地区地区計画」計画図

○大阪市内における「都市再生特別地区」

パリにおける高さ制限の歴史

フランスのパリは厳格な高さ制限が実施されていることで知られるが、市の外周道路の拠点地域で高さ制限の緩和が検討されているという。

そこで、パリにおける高さ制限の歴史の概略とともに、今回の規制緩和の動きについて紹介する。

■19世紀以前における高さ制限(衛生環境の確保)

パリといえば石造りの重厚な街並みを想起する人が多いだろう。だが、17世紀以前は木造建築物が主であった。

しかし、木造建物は燃えやすいため、密度の高い大都市では大火の要因ともなっていた(1657(明暦3)年の明暦の大火、1666年のロンドンの大火などが知られる)。

そこで、パリでは防火を目的として、1607年の勅令で街路沿いの木骨壁の建設が禁止され建物の構造が木骨造から石造、煉瓦造へと転換していった。5階建てであったアパートの高さも、時代を経るにつれて高くなり、19世紀前半のパリでは6、7階建てが標準的で、7階建て(屋根裏階含む)が最も多かったという。

建物の構造の変化は、都市部への人口集中とあいまって建物の高層化をもたらした。

ところが、住宅の高層化は日照、採光、通風を妨げ、衛生環境を損なうことから、1783年にはパリで、1825年にはリヨンで高さ制限が実施された。

■19世紀のパリ大改造に伴う高さ制限(美観の形成)

現在のパリの街並みの骨格をつくったのが、19世紀におけるパリの大改造である。

当時のセーヌ県知事のオスマンは、パリの大改造にあたり、交通、衛生、治安、人口分散等の目的に加えて美観も重視した。

街路を「移動のための手段」としてだけではなく、「歩く人が見て楽しむ存在」につくり変えたのである。

その結果、1859年に改定された高さ制限では、美観、日照、防災等の観点から街路幅員に応じて軒高11.7m、14.6m、17.55m、20mの4種類に制限された(表1)。

大改造前の1784年から街路幅員の大きさに応じた高さ制限は既に実施されていたが、このときは、主に日照や防災が目的であった。

表1 18~19世紀におけるパリの高さ制限の変遷

幅員

1667年

1784年

1848年

1859年

1884年

7.8m未満

15.59m以下

11.69m以下

11.70m以下

11.70m以下

12m以下

7.8m以上9.75m未満

14.60m以下

14.62m以下

14.60m以下

15m以下

9.75m以上

17.55m以下

17.55m以下

17.55m以下

18m以下

20m以上

20.00m以下

20m以下

出典:鈴木(2005)を元に作成。高さは軒高。

■1960・70年代における規制緩和と強化

その後、高さ制限によりオスマン期の街並みが保全されていったが、1967年に規制緩和されたことで、高層建築物が建設可能となる。

当時、十分な空地を確保し、光と緑をもたらす高層ビルこそが、新しい都市像を提示する建築形式として、超高層ビル先進国のアメリカのみならずヨーロッパにおいても受け入れられつつあった。

しかし、1972年に高さ210m、59階建てのモンパルナスタワーが建設されると、高層ビルはパリの伝統的な都市景観が損なうとして、一転規制強化へと転じていく。

1977年の改正により、パリ中心部は最大でも37m(再開発区域)に制限され、歴史的な地区ではより厳しい規制がかけられることになった(表2)。

写真1 モンパルナスタワー(1972年竣工)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

表2 1967年(緩和時)と1977年(強化時)の高さ制限の内容

1967年

1977年

都心地域

31m

              31m

歴史的に貴重な地区15m、18m、25m

周辺地域

37m

              31m

再開発事業の計画・施行区域

               37m

      

■現在のパリにおける高さ制限

現在のパリにおける高さ制限は、①ゾーニングによる高さ制限、②街路幅員に応じた高さ制限(外枠線規制)、③眺望保全のための高さ制限(景観保護紡錘線規制。特定の視点場からの眺望保全)の3種類があり、前述のように最大でも高さ37mに制限されてきた。

その結果、高層ビルの建設は、1980年代にミッテラン大統領により推進されたデファンス地区の開発のように、郊外部(パリ市外)に限定されることになった。

■高さ制限の緩和の動き

2008年7月、パリのドラノエ市長が、市の外周道路沿いの6ヶ所に、高さ150mから200mの商業施設と高さ50mの住宅を建設する構想を示し、市議会の承認を経た。

そのうち、市南西部のポルト・ド・ヴェルサイユには、180mに及ぶ全面ガラス張りのピラミッド型オフィスビルが2012年に完成する予定であるという。

この規制緩和の背景には、都心部での高層建築物の建設が進んでいるロンドン等の大都市との都市間競争があると思われる。

また、ドラノエ市長とサルコジ大統領の主導権争いが存在しており、首都圏の構想に対して積極的に発言をしているサルコジ大統領への対抗心から、現市長が今回の規制緩和策を打ち出したとも言われている。

しかし、この規制緩和は高層ビルの建設が進んだ70年代に逆戻りするとして批判の声も多く、2004年の調査では、市民の6割が高層化に反対しているとのことである。

 

<追記:2012年7月24日>

今春、パリ市都市計画局にヒアリングしたところ、上記のアンケート調査は、一般論としてパリ市における高さ制限の緩和の是非を尋ねたもので、具体的なプロジェクトや場所を示したものではなかったために、反対が多くなったのではないかとのことである。

また、パリの規制緩和の背景には、市内の慢性的なオフィス不足等から、市外・国外への企業流出が深刻化してきたことが挙げられる(有名なデファンス再開発地区もパリ市内ではなく、市外に位置する)。

オフィス不足から、都心部のアパートがオフィスとして使用されることが増えたために、結果として住宅不足も問題となってきた。

そこで、オフィス・住宅不足を解消し、パリの国際競争力を高めるためには、質の高いオフィスを供給する必要があるとして規制緩和に踏み切ったわけである。

例えば、現在進行中のプロジェクトの一つである“Triangle(トリアングル)”では、市南西部のポルト・ドゥ・ベルサイユの見本市会場に、ヘルツォーク&ド・ムーロン設計による高さ約180m、ガラス張りの三角形状の高層ビルが計画されている。

オフィス床面積は88,400㎡。就業者数は5,000人を見込んでおり、既に市の都市計画(PLU:plan local d’urbanisme)に位置付けられている。

Triangle(トリアングル) プロジェクトの概要

その他の地区でも、外周道路沿いの鉄道用地等(100haから200ha)を中心に計画が進んでおり、レンゾ・ピアノが設計を担当する地区もあるという。

ただし、いずれのプロジェクトも開発区域がシャンゼリゼのような都心ではなく、市縁辺部の外周道路沿い(主に鉄道用地等)である点に注意する必要がある。

また、パリは毎年2900万人の観光客が訪れる世界一の観光都市であるため、高層建築物がもたらすダイナミズムは観光に対しても良い影響を与えるだろうと市は判断しているようである。

とはいえ、開発区域内に何本も高層ビルを建設することは想定していない(複数の超高層ビルが建ってしまっては、モニュメントがモニュメントたり得ないというわけだ)。

つまり、パリでは守るべき場所は厳格に規制しつつも、時代の要請に応じて、歴史的景観への影響が少ない地区での大規模開発を許容しているのである。

再開発を行うためには、都市計画(PLU)を見直す必要があるが、市議会での議論の末、このプロジェクトには公益性が認められるとして、2009年に超高層ビルを許容する都市計画に書き換えられている(緑の党以外は、全て賛成)。

再開発を行うにしても、しかるべき議論、手続きを経て行われていると言えるだろう(賛否両論があるにせよ)。

一連の再開発の話を聞いて、パリのような歴史的景観を大事にしている都市でも大々的に規制緩和に舵を切ったのかと感じる人がいるかもしれない。

しかし、決してそうではなく、守るべきところは依然として厳しい制限を継続していることに留意しなければならない。

日本においては、なし崩し的にどこでも規制緩和が進められているが、持続可能な都市づくりを進めるためには、パリのように保全と開発のメリハリをつけた都市戦略が求められるのではないだろうか。

[参考文献]

鈴木隆(2005)『パリの中庭型家屋と都市空間 : 19世紀の市街地形成』中央公論美術出版

松井道昭(1997)『フランス第二帝政下のパリ都市改造』日本経済評論社

早福千鶴(1991)「フランスにおける景観保護行政」荒秀編『景観:基本計画づくりから実際例まで』ぎょうせい

和田幸信(2007)『フランスの景観を読む:保存と規制の現代都市計画』鹿島出版会

朝日新聞2008年7月9日記事「パリに高層ビル林立?高さ規制解除へ 市民は反対多数」

西日本新聞2008年9月27日記事「パリに巨大ピラミッド? パリ市が高層ビル計画」