御堂筋沿道 高さ制限緩和への疑義

2013(平成25)年3月、大阪市都市計画審議会専門部会が、御堂筋沿道で実施されている軒高50m(最大で60m)制限の緩和を容認した。

今後、市は緩和に向けた手続きを進め、2013年度中に改正を予定しているという。

現在示された案では、最大で60mに抑えられていた高さ制限を緩和し、最大で140mまで建設可能とすることが検討されている(朝日新聞2013年3月20日付。「御堂筋沿い、高さ規制撤廃 大阪市、13年度に条例改正」)

この動きは、2012年1月に橋下市長が高さ制限の撤廃に言及したことに端を発するものだが、1年の時を経て、高さ制限の緩和の具体案が出てきたわけである。

私は、御堂筋における高さ制限の歴史的経緯や現在の大阪のオフィス需要などから見ても、高さ制限緩和には反対である。

なにより、今回の緩和には全くの理念もビジョンも感じられない。理念なき都市政策が経済性のみに立脚せざるを得ないのは必然である。「規制緩和による活性化」は理念ではなく、都市政策の放棄にすぎない。

以下では、高さ制限緩和賛成論に対する私なりの反論を記したいと思う。

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□「既に沿道のスカイラインはバラバラではないか」との意見に対する反論

1995(平成7)年に高さ制限を31mから50mに緩和したために、確かに31mと50mのラインが混在している。

しかし、現在の姿は、50mのスカイラインの創出に向けた過渡期であるのだからバラバラであるのはむしろ当然である。

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言うまでもないことだが、街は一朝一夕につくられるものではない。

50mのラインで整えようと市が決断したのは、わずか18年前のことである。

現在スカイラインは揃っていないものの、着実に新たなスカイラインの形成に向けて進んでいる。

そのさなかに緩和をしてしまっては、18年前の大きな決断を無駄にすることになるのではないか。

現在の案では中層部の50mのラインは守ると言っているが、高層部が突出してくれば現在の空が遮られることは避けられない。

都心でこれほど広くまとまりのある空を見ることができるのは御堂筋くらいのものだ。

今回の案の策定に際して、どれほど景観への影響を検証したのかも疑問である。

淀屋橋odonaがつくられる際には、70mまでであれば景観への影響が少ない、と市は都市計画審議会の中で説明をしていた。だが、それが140mになれば、その影響は推して知るべしである。

□「既に60mを超える高層ビルも立っているではないか」との意見に対する反論

確かに、淀屋橋で最高高さ70m、本町には140mの高層ビルが建っている。

この二つの再開発は、いずれも小泉政権下の都市再生の動きが背景にあり、都市再生特別措置法に基づく都市再生特別地区を活用したものである。

しかし、御堂筋全体で都市再生特区の活用を容認したわけではなかった。

2006(平成18)年に、新しい時代の御堂筋協議会が「御堂筋活性化アクションプラン中間とりまとめ」を作成した。

中間とりまとめの中で、淀屋橋や本町の交差点付近を「賑わい拠点ゾーン」に位置付け、そのエリアのみについて高さを緩和するとの方針を示されたのである。

その結果として建設されたのが、淀屋橋odonaであり、本町ガーデンシティ(セントレジスホテル大阪)だ。

つまり、拠点以外の場所では従来のルール(軒高50mが、最高60m)が継続されることとなったわけである。

もちろん、そもそもこの方針自体、望ましいものだったのかは議論の余地はあるだろう。

ただ、少なくとも、拠点エリアとそれ以外での仕分けをし、メリハリのある規制によって保全と開発のバランスを図ろうという意図は理解できなくはない。

しかし、今回の緩和は、そうしたメリハリも一切無視した「なし崩し的な緩和」と捉えられても仕方がないのではないか。

厳格な高さ制限で知られるパリにおいても、近年、地価の高騰やオフィス・住宅不足を背景に高さ制限が部分的に緩和された。

とはいえ、緩和されたのは、市縁辺部で景観への影響が少ない場所(全6か所)に限定されており、しかも、超高層ビルはそれぞれの地区一棟のみである。

守るべき場所と開発する場所のメリハリを図るのは、成熟した都市であればもはや当然の都市戦略であるはずだが、橋下市政にはそうしたものが感じられないのである。

<参考>

パリにおける高さ制限の歴史

□「指定容積率が消化できないために建替えが進まない」との意見に対する反論

容積率を全て使い切ることができないために高さ制限の撤廃が必要との意見が見られる。

しかし、そもそも1995年に31mから50mに緩和したときの議論を思い出してほしい。

当時、31mでは容積率を消化しきれないから、50m(セットバックすれば+10m)になったのである。

現状でも1000%容積率の消化は十分可能であるにも関わらず、高さ制限の撤廃を要求するのは、更なる容積緩和を求めるための方便に過ぎないのではないか。

実際に、容積率を1300%に上げることも視野に入れているらしいが、それほどの容積を与えたところでどれほどの需要があるのだろう。

大阪におけるオフィスの空室率は、大規模ビルが9.6%、中型ビルでは12.8%に及ぶ(2013年2月末時点。出典:http://www.websanko.com/officeinfo/report/pdf/market2013-03-Osaka.pdf)。

一方、東京の都心五区の空室率は、大規模ビル6.23%、中型ビル10.9%であることから、大阪のオフィス床が特に余っている状況がうかがえる(2013年3月時点。http://www.websanko.com/officeinfo/research/pdf/2013/03-tokyo_23.pdf)。

空室率が高いだけでなく、大阪では、梅田をはじめとして各所で大規模な再開発が行われている。

このような状況の中、さらに御堂筋で容積を緩和する合理的な理由があるのだろうか。

仮に東京の丸の内などと同じような高層化をしたところで、本当に御堂筋が活性化するのかも疑問である。

御堂筋は、1969(昭和44)年に法律上の高さ制限が撤廃されたときも、31mのラインを守るべきとして、行政指導で規制を継続したという歴史的経緯がある。

一方、御堂筋と同じように31m(100尺)の建物が並んでいた丸の内では、容積制導入後、高さ制限は継続されず、かなり早い時期から高層化が図られた。

このことからも、御堂筋の高さの揃った街並みに対する先人の思いや見識が理解できるであろう。

私が懸念するのは、緩和してみたものの、蓋を開けてみたら超高層に建て替わるのは数棟のみで、分断されたスカイラインが残るという無残な結果に終わることである。

現在の50mの高さの中で、1000%を消化し、沿道全体として街並みを整えると同時に、低層階に賑わい機能を設ける方が、市内の他地域との差別化になり、むしろ価値を上げることになると思うのだが。

なお、今回の緩和の動きに危機感を覚えたため、2012年春に季刊誌土地総合研究に「御堂筋における高さ制限の変遷」を寄稿した。興味のある方は是非ご覧いただきたい。

 

<2013年7月22日追記>

2013年7月19日付けの毎日新聞大阪朝刊に、御堂筋の高さ制限緩和に反対する見解を載せて頂きました。以下のURLに抜粋版を載せました。

毎日新聞「論ステーション:御堂筋「摩天楼」計画」

 

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高度地区の変遷について

2012年度の都市計画学会学術研究論文発表会で、高度地区の歴史に関する論文を発表します。

タイトルは、「高度地区指定による高さ制限の変遷に関する研究」です。

 

■高度地区制度とは?

高度地区制度は、建築物の高さの最高限度や最低限度を定めることができる制度で、都市計画法・建築基準法に基づく制限手法です。

用途地域では、低層住居専用地域(高さ10m・12m)を除くと絶対高さ制限はかかっていないため、現行の用途地域を補完する役割を担っています。

この高度地区制度は、もともと1920(大正9)年に施行された市街地建築物法施行令に規定された建築物の高さの最低限度の制限に由来します。当初は、駅前等の高度利用が求められる場所での土地の有効利用や美観形成を意図して、一定以上の高さの建物を誘導する制度として始まりました。

1931(昭和6)年の施行令改正で高さの最高限度も定めることが可能となり、1938(昭和13)年の市街地建築物法改正によって、「高度地区」という名称で制度化されました。

その後、1968(昭和43)年の新都市計画法制定、1970(昭和45)年の建築基準法改正によって、現在の制度が確立され、現在では住環境や景観の保全・形成を目的として、絶対高さ制限や斜線制限を高度地区によって実施する自治体が増えています。

■論文の主旨

この論文では、1920年の制度創設から現在までの高度地区の法律上の位置づけや実際の運用がどのように変遷してきたのかを分析し、高度地区が時代によって、その目的や制限内容を変化させてきたことを明らかにしています。

論文については、下記のホームページで確認できます。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalcpij/47/3/47_211/_article/-char/ja/

御堂筋・高さ制限の見直しについて:グランドデザイン・大阪(素案)

2012(平成24)年1月に、橋下徹・大阪市長が御堂筋の高さ制限の撤廃に言及したが、その後、大阪府市統合本部での検討が進み、4月に「グランドデザイン・大阪(素案)」が示された。

 

素案によると、御堂筋周辺は「居・職・学エリア」に位置付けられ、将来構想として「御堂筋のみどり化とまちなみの再編」が示されている。

その将来構想の実現方策の一つとして、「セットバックを確保し高さを規制緩和」とある。

つまり、現在、指導要綱で規制している50mの軒高のラインは継承しつつ、高層部分をセットバックさせた上で、高さを緩和するとの考えを盛り込んだわけである。

現在、淀屋橋と本町三丁目の都市再生特別地区区域内では、それぞれ高さ70m、132mの高層ビルが建っているが、御堂筋沿道全域でこうした高層化を行うという意図なのであろう。

しかし、仮に御堂筋沿道での超高層化を認めたとしても、経済状況や敷地条件等から超高層化が進むのは数棟にとどまるのではないかとも推測される。

超高層ビルが点在し、結果的に分断されたスカイラインだけが残るという可能性があることも考慮する必要があるだろう。

また、御堂筋沿道は、一部を除くと奥行のある敷地が少ないため、高層棟部分を後退させたとしても、その距離には限界がある。

「グランドデザイン・大阪(素案)」には、「御堂筋沿道の大街区化」も位置づけられているが、仮に抜本的な敷地統合による街区再編を行った場合でも軒高50mラインの街並み景観に大きな影響が出ることは容易に想像がつく。

市長の高さ制限見直し発言からわずか2か月で素案に高さ制限の緩和が明文化されたわけであるが、御堂筋の景観は先人が築き上げてきた大阪の財産であることを踏まえた上で、慎重な判断を下すことが求められるのではないか。

※御堂筋の高さ制限の歴史的経緯や高層化の問題等について、季刊誌「土地総合研究」に寄稿しましたので、下記URLをご参照ください。

御堂筋における高さ制限の変遷(土地総合研究2012年春号) 

また、府市統合本部会議の議事録や資料が大阪市のホームページで公開されていますので、こちらもあわせてご覧ください。

大阪府市統合本部会議のホームページ

御堂筋における高さ制限の変遷

2012(平成24)年1月25日、橋下徹・大阪市長が御堂筋の高さ制限の撤廃に言及した。

御堂筋の高さ制限について「どこまでこだわり続けるのか、これまでの行政の考え方を超えて考えてもらいたい」と述べた上で、見直しの検討を指示したという(読売新聞2012年1月26日記事)。

「かいわいは不夜城でもなく、高度化した都市の感じもしない」ために、「マンハッタンの摩天楼のように(高さ規制を)開放してもいいのでは」(朝日新聞2012年1月25日記事)と述べていることから、高さ制限の緩和による御堂筋の高層化を意図しているようである。

また、「中心地に高度な(建物の)集積地をつくり、郊外はゆったりめという都市にすべき」(読売新聞)との見解も示していることから、御堂筋の高さ制限撤廃を大阪の都市構造再編の一環として位置付けているとも考えられる。

しかし、都心人口の受け皿として御堂筋が適切なのだろうか、また、御堂筋が摩天楼になることが望ましい姿と言えるのだろうか。

確かに、行政の旧弊を打破するといった掛け声は心地よく響くかもしれない。

だが、これまでに形作られてきた御堂筋の街並みを「旧弊」の一言で片づけてよいのかは疑問である。

御堂筋沿道においては、1920(大正9)年に施行された市街地建築物法の高さ制限によって100尺(31m)の街並みが形成され、1969(昭和44)年の容積地区指定後も行政指導に基づき軒高31m制限が継承されることとなった。

その後、1995(平成7)年には軒高31m制限が50mへと緩和され、さらに2000年代に入ってからは、淀屋橋で最高高さ70mの開発が認められ、本町4丁目では140mの高層ビルが建設された(ただし中層部の軒線は50m)。

ここ20年は、なし崩し的に高さ制限が緩和されていったとも言えるが、軒線の揃った街並みの形成という考え方は約90年にわたり継承されてきたのである。

2012年2月2日付の毎日新聞大阪朝刊には、「府関係者によると、オフィスビルが建ち並ぶ御堂筋沿いの建物に対する50メートルの高さ制限も撤廃する。」と、高さ制限の撤廃が既定路線になっているようにも受け取れる記事が掲載されている。

府市統合本部で6月までに結論が出されるとのことだが、このような短期間で大阪のシンボルである御堂筋の方向性が決められてよいのであろうか。

御堂筋における歴史的な蓄積を安易に捨て去るような判断を避けるためにも、まずはこれまでの御堂筋における高さの考え方を踏まえる必要があると思われる。

そこで以下では、御堂筋における高さ制限の変遷とその背景を見ていきたい。

 

<2012年5月24日追記:以下の記事を加筆・修正したものが「土地総合研究2012年春号」に掲載されました。下記から閲覧できます。是非ご覧ください。>

○「御堂筋における高さ制限の変遷」 

<2013年3月25日追記>

大阪市都市計画審議会専門部会による高さ制限緩和容認のニュースを受け、「御堂筋の高さ制限撤廃に反対する理由」を書きました。

<2013年7月22日追記>

2013年7月19日付けの毎日新聞大阪朝刊に、御堂筋の高さ制限緩和に反対する見解を載せて頂きました。「論ステーション:御堂筋「摩天楼」計画」 

 

<目次>

1.100尺(31m)制限下における御堂筋:1920年~1969年

2.行政指導による31mの軒高制限:1969年~1994年

3.行政指導による50mの軒高制限(31m→50mへの緩和):1995年~現在

4.拠点エリア(都市再生特別地区)における超高層ビルの容認:2000年代~

5.御堂筋における景観保全・形成の課題と展望

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図1 御堂筋の高さ制限の変遷

 

1.100尺(31m)制限下における御堂筋:1920年~1969年

御堂筋は、1926(大正15)年に着工し、1937(昭和12)年に完成した梅田と難波を結ぶ大阪のシンボル的な街路である(淀屋橋―本町間965mは1934(昭和9)年に竣工。イチョウ並木もこの年に植えられている)。

着工の6年前の1920(大正9)年に施行された市街地建築基準法に基づき、御堂筋の沿道は31mの制限がかけられていた(図2参照。住居地域は絶対高さ65尺、住居以外の地域(商業地域や工業地域等)は100尺に制限)。

つまり、100尺制限は御堂筋独自の制限ではなく、市街地建築物法が適用される区域の商業地域では全国共通で100尺に制限されていたのである。なお、1931(昭和6)年の市街地建築物法施行令の改正でメートル法が導入され、100尺の制限は31m、65尺は20mへと置き換わっている。

その後、100尺の建物が建ち並ぶ街並みが形成されていったわけであるが、これは意図して作られたものというよりは、法律が定める制限の限度一杯まで高度利用を図った結果として生まれた街並みであったと言えよう。

とはいえ、こうしてつくられた100尺で揃った街並みはイチョウ並木とともに御堂筋を象徴する景観を構成するようになるわけである。

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図2 市街地建築物法・旧建築基準法による高さ制限(いわゆる100尺制限)

 

2.行政指導による31mの軒高制限:1969年~1994年

①容積地区導入と美観地区条例案の作成

1969(昭和44)年4月、御堂筋を中心とする大阪都心部に容積地区が指定され、区域内では容積率によって建物のボリュームが制限される代わりに、31mの絶対高さ制限が撤廃されることになった。

なお、容積地区の指定は東京に次いで2例目で、施行は同年6月。1970年の建築基準法改正で容積制が全面導入されたことに伴い容積地区制度は廃止され、結局、容積地区の指定は東京と大阪の2都市のみでの活用にとどまった。

御堂筋周辺は、容積率メニューの最大値である10種(容積率1000%)が指定されたが、その理由として「御堂筋は大阪の象徴とも言うべきところであり、巾員44mの道路ぞいにすでに高容積の建物が並列している」(大阪市容積地区指定基準)ことが挙げられている。

容積地区指定に関する答申を行った大阪都市計画地方審議会は、「御堂筋のように既成の建築集団がすでに統一的形態をなしている地区については、これを維持するよう高さの制限等について容積地区施行と同時に必要な法的手続をとること」との附帯意見を示していた。

大阪市は、容積地区の指定にあたって設置された「容積地区研究会」において「御堂筋の淀屋橋、本町間のスカイラインは確保したい。」との見解を示していたこともあり、都市計画地方審議会の附帯意見を受けて美観地区条例による高さ制限の検討を開始する。

大阪市内では、1934(昭和9)年に美観地区(御堂筋、中之島、大阪城西側、大阪駅、難波駅周辺)が指定された。

1950(昭和25)年の建築基準法制定で、美観地区の具体的な制限は自治体が定める建築条例で規定することとされたが、大阪市は条例を制定していなかった。

美観地区条例案では、高さを31mに制限する第1種美観地区と45mに制限する第2種美観地区が設定され、御堂筋周辺(淀屋橋―築港深江線間)は第1種美観地区に指定することが想定されていた(第2種は中之島での指定が検討されていたようであるが、具体的な区域は示されていない)。

絶対高さ制限の実施は、容積制の趣旨に反するのではないかとも考えられたことから、大阪市は条例案の法的な問題の有無を確認するために、法学者3名から意見聴取を行っている。

聴取内容は、憲法29条(財産権の保障)、容積地区制の趣旨との関係、制限の合理性、損失補償の必要性といった多様な観点から行われた。

その結果、条例による制限は不適当との判断が示され、さらに建築審査会と建設省も消極的な姿勢であったことから、市は条例制定を断念する。

②「御堂筋の景観保持に関する建築指導方針」による軒高31mの制限

美観地区条例の策定は行われなかったものの、100尺(31m)による街並みの維持を図るべきとの判断から、行政指導によって31mの軒線の制限が行われることになった(「御堂筋の景観保持に関する建築指導方針」による行政指導)。

この建築指導方針による制限は、斜線制限と屋上突出物の高さ制限の2種類から構成される(図3)。

前者の制限は、御堂筋側の道路境界線から31mの高さから、3:2(1:約0.66。水平方向3に対して垂直方向2)の勾配による斜線制限であり、建築基準法における商業地域の道路斜線制限(勾配1:1.25)よりも厳しい(図3左)。仮に階高を4mとすると、高さ31mを超える部分は、御堂筋側の境界線から最低6mセットバックする必要がある。

一方、後者の屋上工作物の制限とは、屋上工作物が前述の斜線制限にやむを得ずおさまらない場合は、7m以上のセットバックかつ最高高さ43m以下(31m+12m)であればその設置を認めるものである(図3右)。

高層部をセットバックさせれば31mを超える部分の建設も可能とする制限であるため、建物全体の壁面位置を後退させてしまうと、かならずしも軒線が31mにならないという欠点はあるが、当時のオフィスビルは1000%の容積率を消化するために、建蔽率ぎりぎりまで使うものが多かったことから、壁面後退をする建物はほとんどなかった。

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図3 「御堂筋の景観保持に関する建築指導方針」(1969年)による高さ制限


3.行政指導による50mの軒高制限(31m→50mへの緩和):1995年~現在

「御堂筋まちなみ整備検討委員会」による高さ制限見直しの検討

行政指導開始から約20年後の1991(平成3)年、西尾正也・大阪市長(当時)が高さ制限の見直しに言及する。

当時は大阪の地価がピークに達しようとしたバブル期の只中であり、大阪市の商業地における地価公示の1983年時点の累積変動率を100とすると、1991年のピーク時は444と約4.5倍にまで高騰していた。

翌1992(平成4)年10月に市長が、「御堂筋まちなみ整備検討委員会」に対し、御堂筋の景観の方向性について諮問し、1994(平成6)年3月に高さ制限の緩和等を盛り込んだ提言を市長へ答申している。

委員会では、5つの整備試案を作成し、圧迫感、スカイライン、建物頂部の形態、壁面位置、建物の連続性、セットバック空間等の観点から検討している(図4)。

その結果、1000%の容積率消化や建物の質の確保の観点から、現行の指導要綱による制限の緩和が必要であるが、御堂筋の良さは「軒がそろっているということと道路際に壁が揃っていること」(第6回委員会での委員の意見)であるとの認識から、軒高を31mから50mに緩和し(最大高さは60m)、壁面後退距離を4mに制限する案が採択された。

当初、高さの基準については、「高さ制限は50m」とされていたが、「高さは50m」との表現に変更されている。つまり、50m以上でも以下でもなく、「50mに揃える」との意図を明確に示したわけである。

この案が採用された理由を委員会の議論からまとめると、1)D/H(道路幅員建物高さの比率)≒1となり、圧迫感の影響は少ないこと、2)セットバックによりイチョウ並木への生育条件にも悪影響を与えないこと、3)アトリウム、パサージュ、ポケットパーク等の設置による歩行者空間の整備が期待でき、足元周りのゆとりと賑わいが生れること、4)1000%の容積率が消化可能になること、等に集約できる(第6回委員会)。

図4 御堂筋まちなみ整備検討委員会での5つの試案

 

②日本建築学会による軒線31m制限の継続を求める要望

これに対し、日本建築学会は従来の31mの軒高制限の継続を求める「御堂筋の都市景観の保全・形成に関する要望書」(1994年6月)を大阪市長に提出する。

建築学会は、現在の御堂筋の都市景観を保全・形成する意義として、以下に示す3点を挙げた上で、「今回の高さ制限見直しを含めた現在の状況は、大阪の発展の中で優れた街並み形成に尽力されてきた大阪市の都市計画をはじめとする都市行政史上の重大な岐路に立っているといえます。今後、大阪が世界をリードしていくうえで求められている都市格を象徴する都市景観のあり方について、今まで築き上げられてきた御堂筋の都市美が失われることのないよう、慎重にご判断されるよう強く要望いたします。」と、高さ制限の緩和に反対する意向を表明した。

※要望書に示された御堂筋の都市景観を保全・形成する意義

1.御堂筋は、大都市の業務中枢エリアとして、これまで重要な役割を果たしてきたところであり、都市機能と景観が見事に統一された都市空間としての都心のステイタスを支えてきたこと

2.特に本町・淀屋橋間の都市景観は、統一ある連続したスカイラインと壁面線、バランスのとれた道路幅と建物高さ、さらに質の高い建築群により、我が国で他に類のない都市美が形成されてきたこと

3.御堂筋は、イチョウ並木とあいまって、市民をはじめ多くの人々によって長年親しまれ愛し続けられてきた大阪のシンボル的空間であること

これに対し大阪市は、「広く市民に評価されているイチョウ並木や、淀屋橋~本町間に代表されます沿道建築物の壁面の位置、並びに、軒の高さの統一につきましては十分に配慮する必要があると考えております」と軒高の統一に言及しつつも、31m制限には触れず、「「御堂筋まちなみ整備検討委員会」からの提言を尊重しつつ、指導方針を定め」ると回答している(「「御堂筋の都市景観の保全・形成に関する要望書」に対する回答」1994年8月1日)。

要するに市は、委員会案で示された軒高50m制限案を変更する意思がないことを示したわけである。

「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」による軒線50mの制限

1994(平成6)年11月に「御堂筋沿道建築物まちなみ誘導に関する指導要綱」が策定され、軒高制限が31mから50mに緩和される形で、行政指導による高さ制限が継続されることとなった(翌1995年1月施行)。

従来の「建築指導方針」は、あくまでも斜線制限であったため、軒線31mの街並みが継承されるとは限らなかったわけだが、この指導要綱では壁面位置(4m後退)と軒高(50m)を明示したことで、軒線の統一が担保されることになったと言えるだろう(図5。高さと壁面後退距離はそれぞれ50m、4mジャストであり、それ以上でもそれ以下でも不可)。

75年間(1920年から1994年)かけて作り上げてきた31m(100尺)の街並みを捨てる決断をしたわけであるが、新たな数値で軒線の連続の継承を図ることになったわけである。

また、この指導要綱は、高さや壁面位置だけにとどまらず、セットバックした屋外空間の整備のあり方や低層部分における賑わい用途の誘導、外壁の形態意匠、建築設備の配慮、広告物の基準等も規定された点が特徴であった(表1)。

高さのみが規定された「建築指導方針」と比べて、より積極的な街並み景観の形成を意図した要綱へと再編されたと言えるだろう。

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図5 「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」による高さ・壁面制限(50m)

 

表1 「御堂筋沿道建築物まちなみ誘導に関する指導要綱」に規定された誘導基準の内容

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④地区計画:御堂筋にふさわしくない用途の禁止

2001(平成13)年8月に、御堂筋地区地区計画が策定され、地区内における建築物の用途が制限されることになった。

用途の制限としては、ビジネスゾーンとしての風格にふさわしい土地利用を誘導することを目的として、マージャン店、パチンコ店、射的場、勝馬投票券発売所、場外車券売場、風俗店等の用途を御堂筋の街並みにふさわしくないものとして規制対象とした。

先に述べた指導要綱では、低層部への文化施設の導入の促進といったように、積極的に誘導すべき用途を挙げていたわけであるが、この地区計画では、最低限守るべきネガティブチェックのルールとして御堂筋に望ましくない用途の排除を行ったと言えるだろう。

4.拠点エリア(都市再生特別地区)における超高層ビルの容認:2000年代~

 ※本章については、記述に若干の誤りがあったため、2012(平成24)年5月16日に加筆・修正を行っている。

①御堂筋における規制緩和を求める動き

バブル崩壊後の景気低迷を背景に、規制緩和を求める動きが活発化する。

特に、銀行の店舗が多い御堂筋では、金融再編による店舗の統廃合による空室率の増加とともに、梅田や難波における再開発事業の進展による御堂筋エリアの求心力の低下が懸念されていた。

そこで、2000(平成12)年10月に、御堂筋活性化推進協議会が発足し、同年11月には「新しい時代の御堂筋」協議会が設置され、今後の御堂筋のあり方が検討されることとなる。

また、2001(平成13)年3月には、関西経済同友会が、高さ制限と容積率の緩和、ベンチャー特区の創設等を柱とする提言を発表し、20~30階建ての高層ビルの建築を容認すべきとした。

さらに、2002(平成14)年11月には、地元地権者企業から構成される「御堂筋まちづくりネットワーク」によって、御堂筋の将来像を示す「御堂筋スタイル創生」と具体的な規制の考え方である「御堂筋の新しい規制のあり方」の2つの提言が示された。

②淀屋橋地区都市再生特別地区(2004年)による規制緩和:軒高50m・最高高さ70mに緩和

こうした規制緩和を求める動きもあり、2002(平成14)年7月には、御堂筋を含む「大阪駅周辺・中之島・御堂筋周辺地域」が都市再生特別措置法に基づく都市再生緊急整備地域に指定され、2004(平成16)年12月に淀屋橋地区(旧愛日小学校の跡地を含む約0.8ha)において都市再生特別地区(以下、特区)が指定された。

この特区では、容積率の上限が1000%から1300%に割増されることとなったほか、最高高さが60mから70mに緩和されている。

最高部の高さは緩和されたものの、御堂筋側に面した部分については、壁面位置を4mセットバックした上で高さの限度を50mとする従来の指導要綱による軒線の連続性の考え方は踏襲されることとなった(それ以外の制限としては、容積率の下限700%、敷地面積の最低限度2,000㎡、建蔽率の最高限度が80%)。

つまり、特区の指定によって、指導要綱に基づく軒線50mと壁面後退4mの制限が法的に担保されることになったわけである。

図6 淀屋橋地区都市再生特別地区における高さ・壁面位置の制限

それでは70mという数値はどのようにして導かれたのであろうか。

当時の都市計画審議会の議事録によると、70mは景観シミュレーションを経て導かれた結論であるという。

図6に示すように、1)高さ50mの高さから20mセットバックして最高高さを70mとするもの、2)30mセットバックして最高80mのもの、3)40mセットバックして最高90mのもの、4)40mセットバックして最高150mのものの4ケースについて、淀屋橋交差点、伏見町交差点、道修町交差点の3つの視点場からの街並み景観への影響が検証された(注1)。

検討の結果、「今回、敷地を共同化して御堂筋でも珍しい一辺約80mの整形街区というまとまった規模での一体開発ということでございますので、御堂筋から20メートル後退した位置で建築物の最高高さを70メートルといたしましても、御堂筋のまちなみ形成上は、いろいろシミュレーション等検討いたしました結果から、影響はほとんどない」と市は判断し、10mセットバック、最高高さ70m案が採用されることとなった(平成16年度第4回大阪市都市計画審議会議事録)。

ただし、高さ制限の緩和については都市計画審議会でも賛否が分かれ、今後、同様の緩和を求める計画が出てきた場合を想定して、市としての景観形成の方針が必要であるとの意見も出されていた。

今回の特区の場合、ある程度まとまった規模・形状を持つ敷地であるから、緩和による景観への影響が少ないと市は説明していたわけである。つまり、同様の条件を有する敷地であれば、他の場所でも緩和を認める可能性を示唆していたとも解釈できる。

したがって、このように単発で高層建築物が許可されるようになった場合、指導要綱による50m(+10m)制限がなし崩し的に意味をなさなくなるのではないかとの懸念があっても不思議ではなかったと言えるだろう。

図7 淀屋橋地区都市再生特別地区検討時における高さのスタディのパターン(都市計画審議会議事録を元に作成)

③本町三丁目南地区都市再生特別地区による規制緩和:軒高50m・最高高さ140mに緩和

2006(平成14)年10月、「新しい時代の御堂筋」協議会が「御堂筋活性化アクションプラン2008中間とりまとめ」を策定する。

この中間とりまとめによると、御堂筋沿道のうち、淀屋橋と本町の交差点周辺を活力と賑わいをもたらす「賑わい拠点ゾーン」と位置付け、賑わい機能を設けた場合に、最高高さ60mの高さ制限(軒高50m+屋上工作物等10m)の緩和を容認する方向で検討すると位置付けられた(ここで言う賑わい機能とは、1階に待ち合わせができるロビー空間やイベントステージ、次世代IT技術を体験できるショールーム等を指す)。

この中間とりまとめを受けて、2007(平成15)年2月に本町三丁目南地区都市再生特別地区が指定された。

当該地区は、淀屋橋地区と同様に、中層部の高さ50mとし、高層部は御堂筋側から20mセットバックさせて140mまで高さを認めるものであった(2010年10月にホテル、商業、オフィスの複合ビルである本町ガーデンシティが開業。最高高さは132m)。

図8 本町三丁目南地区都市再生特別地区における高さ・壁面位置の制限

御堂筋と本町通の結節点に位置する当該敷地の拠点性を活かして、新たなランドマークを創出するという意図があったようであるが、都市計画審議会では、ランドマークとして高さを誇ることが御堂筋の価値に寄与するのかといった点が指摘される等、淀屋橋地区の時と同様に高さの緩和の是非について議論されている(ただし140mという数値自体は議論になっていない)。

また、淀屋橋と本町が「賑わい拠点ゾーン」と位置付けられたことにあわせて、御堂筋地区の地区計画が見直され、淀屋橋地区と本町地区において、壁面位置と建築面積の最低面積の制限が追加された。

御堂筋沿道は4m、本町通りと土佐堀通り沿いは2mと規定したことにより、要綱に基づく4mセットバックの基準が法定計画である地区計画で担保されることになったわけである。

表2 淀屋橋地区・本町三丁目南地区における都市再生特別地区の内容

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5.御堂筋における景観保全・形成の課題と展望

①高層化による街並みへの影響

1995(平成7)年に施行された「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」によって軒高が31mから50mに緩和されてから、今年で17年が経過した。

写真を見てもわかるように、現在、31mと50mのラインが混在する街並みが形成されており、50mのラインで揃うまでにはまだまだ時間がかかるであろう。

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こうした状況の中、仮に御堂筋沿道での摩天楼化を認めたとしても、経済状況や敷地条件等から超高層化が進むのは数棟にとどまるのではないかとも推測される(市長は抜本的な敷地の再編等も視野に入れているのかもしれないが)。

超高層ビルが点在し、ただ分断されたスカイラインだけが残るという可能性があることも考慮する必要があるだろう。

また、御堂筋沿道は、一部を除くと奥行のある敷地が少ないために、高層部を後退させても、その距離には限界がある。

そのため、高層化を図った場合、軒高50mのラインによる街並み景観には大きな影響が出るのではないかと思われる。

淀屋橋地区の都市再生特別地区でも高さ70mであれば影響が少ないとの判断であったのだから、それ以上の高さにしたならばなおさら影響は避けられないのではないか。

②「景観地区」の指定による「大阪美観地区」の継承:高さ制限の法定化

これまで見てきたように、御堂筋の高さ制限は、1969(昭和44)年以来、行政指導(指導要綱)によって運用されてきた(総合設計制度や都市再生特別地区等のいわば個別開発によって担保されてきたケースもある)。

要綱による規制は、一定の効果をあげていると言えるだろうが、あくまでも「要綱」であるために法的根拠はない。

2006(平成18)年12月、大阪市は景観法の規定に基づく「御堂筋地区景観協議会」を設置した。

地権者や学識経験者、まちづくり団体(御堂筋まちづくりネットワーク)等で構成されるこの協議会では、要綱の法定化を議論したいとの意向を市は持っているようである(平成18年度第3回大阪市都市計画審議会議事録による市の発言)。

法定化の手法としては、すでに策定済みである市の景観計画への位置づけ、都市計画である景観地区(かつての美観地区制度)、地区計画等が考えられるが、現在、協議会メンバー間で法定化の合意が図れる状況にはなく、景観協議会は開催されていないという。

法定化は、ルールの実効性確保には有効である一方で、地権者の開発行為に制限を与えることになるため、自らの敷地での開発可能性を考えると、地権者は法定化に二の足を踏んでしまうのであろう。

市側もそのあたりを斟酌して、要綱によって一定の枠をはめつつも、法的拘束力は持たせないことでルールを超えた開発の可能性も保持しておきたいという思惑があるように思われる。

しかし、こうした迷いのあるスタンスが、現市長にはどっちつかずの対応とみなされ、高さ制限の撤廃という発言に結びついているようにも思えるのである。

ここでもう一度、御堂筋が美観地区に指定されていたことの意味を考える必要があるのではないだろうか。

「指定されていた」と過去形で書いたのは、1934(昭和9)年に指定された大阪美観地区は、2005(平成17)年6月1日をもって指定が解除されたからである。

2004(平成16)年に景観法が制定され、従来の美観地区制度は景観地区制度として再編されたが、大阪美観地区では具体的な制限内容を定める条例がつくられなかったために、景観法全面施行に伴って2005(平成17)年6月1日に指定解除となったのである。

美観地区の指定解除と都市再生特別地区における超高層化の推進が同時期に進んでいったことは、「美観地区」としての記憶が徐々に薄れていくことを象徴する出来事と言えるだろう。

やはり、安易な規制緩和へと傾くのではなく、「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」を景観地区として位置付け、「美観地区」としての歴史を継承することが、御堂筋の価値を守り、高めるのではないだろうか。

御堂筋と同様に、シンボル的な街路沿いの街並みを守るために高さ制限を行っている場所として銀座がある(拙稿「銀座ルールから高さ制限のあり方を考える」参照)。

銀座には超高層建築物は必要ないと地元の人が決断し、2006年に高さ56m(屋上工作物を含めると66m)を限度とする「銀座ルール」を定めた。

街路幅員と建物高さの関係のバランスが、「銀座らしさ」を表す指標の一つであると銀座の人々が認識し、法的拘束力の強い地区計画で制限を行っているのである(しかも、総合設計や都市再生特別地区等による高さの緩和も認めていない(一部地区は除く))。

橋下市長の発言は、御堂筋のあり方を議論するきっかけを提供したという点で評価できるだろう。

しかし、高さ制限の撤廃を前提とせず、先人が築き上げてきた御堂筋らしさを継承する方向に議論を進めてもらいたい。

表3 御堂筋における高さ制限に関わる主な出来事

出来事

1919

大正8

4月

市街地建築物法・都市計画法公布

1920

大正9

9月

市街地建築物法施行(建物の高さが住居地域は65尺、その他地域は100尺に制限)

1931

昭和6

12月

市街地建築物法施行令改正によりメートル法導入(65尺は20m、100尺は31mに)

1934

昭和9

11月

御堂筋(淀屋橋―本町間)竣工

12月

美観地区指定(御堂筋、中之島、大阪城周辺(西側・南側)、大阪駅、難波駅等)

1937

昭和12

3月

御堂筋全通

1950

昭和25

5月

市街地建築物法に代わり建築基準法制定

1963

昭和38

7月

建築基準法改正(容積地区制度創設。指定区域内は絶対高さ制限31mが適用除外)

1969

昭和44

4月

大阪容積地区指定(御堂筋は第10種、容積率1000%)(施行は6月)。

6月

大阪容積地区施行。行政指導により軒線31mに制限(御堂筋の景観保持に関する建築指導方針)

1970

昭和45

6月

建築基準法改正(容積制全面導入)

1973

昭和48

8月

新建築基準法に基づく用途地域見直し(容積地区廃止。用途地域ごとに容積率設定)

1992

平成4

10月

大阪市長が「御堂筋まちなみ整備検討委員会」に御堂筋のまちなみのあり方について諮問

1994

平成6

3月

御堂筋まちなみ整備検討委員会が御堂筋のまちなみのあり方に関する提言を大阪市長に答申(31mの制限を軒高50m、最大60mへ緩和等)

11月

市が「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」策定(軒高50m、壁面後退4m等。翌年1月施行)

1995

平成7

1月

「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」施行

2000

平成12

11月

「『新しい時代の御堂筋』協議会」発足(大阪市、国交省、関経連、大阪商工会議所等)

2001

平成13

4月

新しい時代の御堂筋協議会が、「御堂筋活性化アクションプラン」策定(当該地区を「風格と活力あるビジネス空間」と位置付け)

8月

御堂筋地区地区計画策定(パチンコ店、マージャン店、風俗店等の御堂筋にふさわしくない用途を制限)

11月

「御堂筋まちづくりネットワーク」発足

2002

平成14

4月

都市再生特別措置法制定

11月

御堂筋まちづくりネットワークが御堂筋の将来像を示す「御堂筋スタイル創生」 と具体的な規制の考え方である「御堂筋の新しい規制のあり方」を提言

2004

平成16

6月

景観法公布に伴い大阪市が景観行政団体になる

12月

淀屋橋地区都市再生特別地区指定(高さ50mを超える部分のセットバックにより最高高さ70mまで緩和、容積率は1300%)

2006

平成18

2月

大阪市景観計画告示(10月施行。対象区域は市全域)

10月

「御堂筋アクションプラン2008中間とりまとめ」発表(拠点エリアでの高さ制限の緩和等)

12月

「御堂筋地区景観協議会」設置(御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱の適用区域におけるルールのあり方等を検討)

2007

平成19

2月

本町3丁目地区都市再生特別地区指定(高さ50mを超える部分のセットバックにより最高高さ140mまで緩和、容積率は1300%、2010年10月に本町ガーデンシティが開業)

3月

御堂筋地区地区計画見直し(淀屋橋地区、本町地区における最低敷地規模、壁面位置制限の追加)

2012

平成24

1月

橋本徹・大阪市長が、大阪府市の統合本部会議で御堂筋沿道の高さ制限撤廃に言及。

【高さ制限撤廃に関する記事】

○朝日新聞2012年1月25日「御堂筋の高さ制限、橋下市長が撤廃検討を指示」

○読売新聞2012年 1月26日「御堂筋高さ規制見直し」

○朝日新聞2012年1月28日「御堂筋で高さ論争 橋下・大阪市長、高層ビル解禁狙う 「景観崩れる」反対も 」

○毎日新聞2012年2月2日大阪朝刊「大阪・御堂筋:40年後に緑の公園、大阪府がPT 「暮らしの場」へ車道撤廃、心斎橋に小山・ビル上は住居」

【御堂筋における高さ制限等のルール】

○「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」の概要

○「御堂筋沿道建築物のまちなみ誘導に関する指導要綱」本文

○「御堂筋地区地区計画」計画書

○「御堂筋地区地区計画」計画図

○大阪市内における「都市再生特別地区」

高さ制限値45m・60mの由来

高度地区や景観計画で指定された高さ制限値を見ると、15m、20m、31mといった値が多く用いられている。

15mは風致地区でよく使用される数値であり(注1)、20m、31mは1970(昭和45)年の建築基準法改正で容積制が全面導入されるまでの間、用途地域にかけられていた絶対高さ制限値である(注2)。

これらの数値以外にも、主に商業地域の高容積エリアを中心として、45mや60mといった高層建築物を許容する数値を設定している自治体も少なくない。

例えば、45mを見てみると、高度地区では札幌市、山形市、文京区、目黒区、世田谷区、金沢市、名古屋市、大津市等で用いられており、景観計画では、川口市、各務原市、横浜市等で設定されている。なお、京都市では、45mの高度地区が商業地域・容積率700%のエリアにかけられていたが、2007(平成19)年9月の高度地区見直しで廃止され、31mに強化された(注3)。

一方、60mは、札幌市、新宿区、金沢市の高度地区で用いられている(横浜市は、第6種高度地区(高さ20m)の緩和の上限値として60mを設定)。

では、45mや60mという数値は、もともとどのようにして決められたのであろうか。

以下では、それぞれの数値が用いられてきた背景や由来を見ていく。

■45mの由来

45mの数値がはじめて建築法規に登場するのは、1963(昭和38)年の建築基準法改正による容積地区制度導入時である。

この法改正により、容積地区を指定した区域内においては絶対高さ制限ではなく容積率と道路・隣地斜線制限によって制限されることとなり、31mの絶対高さ制限を超える高層建築物の建築が可能となった。

柔構造理論の確立をはじめとする構造・施工技術の進歩によって、31m超の高層建築物の建設が技術的にも可能となっていたが、当時の建築法規は31mの高さをもとに構造基準を設定していたため、高層建築物に対応した構造基準を定める必要が生じていた(注4)。

だが、基準をすぐに設けることは困難であるため、建設大臣が建築基準法第38条の規定に基づいて個別に安全性を確認し、認定する方法がとられることになった。

認定審査の対象となる高層建築物としては、①建築物の高さが31m以上で、その構造形式が現行法規のたてまえによらないもの、②建築物の高さが45m以上のもの、とされた(注5)。

②の45mの根拠は、31mに塔屋部分として建設可能であった12mを加えた数値が45m程度であったことや、当時既に45m程度の高層建築物は建設されておりこれらについては従来の剛構造に基づく構造基準で対応可能であると判断がなされたことが考えられる(注6)。

一方、現行法の基準では対応できない建築物、つまり「柔構造でつくられる高さ31m超の建築物」と「高さ45m超の建築物」については、個別の案件ごとに「高層建築物構造審査会(注7)」の構造安全審査を受けて、建築基準法第38条の規定に基づき建設大臣の認定を得ることとされた。

しかし、法令の構造規定についてはほとんど改正がなされなかったため、1964(昭和39)年に日本建築学会により「高層建築技術指針」が作成された。

この技術指針は、高層建築物の設計、施工の指導書として活用されることとなったが、この指針の対象建築物が45m超の高層建築物であった。

以上から、構造上の基準として採用された45mが、後に1973(昭和48)年の京都市高度地区の都心部の高さ、横浜市高度地区の特例許可による緩和の上限値として用いられ、現在に至るわけである。

■60mの由来

建築基準法においてはじめて60mの数値が見られるのは、1980(昭和55)年7月に公布された改正建築基準法施行令においてである(いわゆる新耐震基準が示された政令)。

45m超の高層建築物については高層建築物構造審査会の構造安全審査を経て、大臣認定が必要であると先に述べたが、この政令改正によって大臣認定が必要とされる高さが45mから60mに引き上げられた。

なお、この規定は、2006(平成18)年の建築基準法改正で法第20条の構造耐力の規定に移されており、60m超の建物の構造計算の方法については国土交通大臣の認定が必要とされている。

1980年の新耐震基準の検討に際して、建設省は「新耐震設計法案」(昭和52年)や「建築基準法施行令・耐震関係規定改訂基準原案」(昭和54年)を作成し、また、学識経験者・構造設計実務家等から構成される「耐震建築基準委員会」を建設省内に設置している。

その議論の中で60mの設定理由について言及されている可能性があるものの、筆者は確認をとっていない。

耐震基準という性質上、60mという数値は、集団規定の観点ではなく構造上の観点から導出されたと推測される。

ただし、1973(昭和48)年に日本建築学会が発行した「高層建築技術指針(増補改訂版)」によると、斜線制限や容積制限の制約から、現実の敷地で建設可能な高さは20階前後にとどまるとの見解が示されていることから、20階×階高3mと仮定すると60mを導き出すことができる。

また、特別避難階段設置が義務付けられる15階に階高を4mと仮定すると、15階×4m=60mになる。

60mの設定根拠としては、以上のような理由が考えられるものの、あくまでも推測に過ぎない。

一方、他法令を見ると、航空法において60mという数値が見られる。

航空法第51条の航空障害等設置義務の規定には、「地表又は水面から六十メートル以上の高さの物件の設置者は、(中略)当該物件に航空障害灯を設置しなければならない。」とある。

この規定は、1960(昭和35)年6月1日改正の航空法改正で追加された条文であるが、一般の建築物ではなく電波塔や発電所・工場等の煙突といった工作物を想定していたものと考えられる。

というのも、当時の建築基準法には、まだ用途地域における31mの絶対高さ制限が残っており、60m超の建築物は国会議事堂を除き存在していなかったのである。

例外許可により建設されていた31m超の建物でも45m程度が限界で、60mには及んでいない。

なお、31mを超える高層建築物の建設が例外許可を要せず建設できるようになったのは、容積制による特定街区制度が創設された1961(昭和36)年の建築基準法改正後である。

[注]

(1)風致政令(風致地区内における建築等の規制に係る条例の制定に関する基準を定める政令)において、風致地区内における高さ制限値は8mから15mの範囲内で定めると規定されている。この15mは、生長した高木によって建物がほぼ隠れる高さとして決められたとされる(神奈川県都市部都市公園課(1994))。

(2)1970年の建築基準法改正まで行われていた用途地域の絶対高さ制限(20m、31m)の由来については、「市街地建築物法における絶対高さ制限の成立と変遷に関する考察-用途地域の100尺(31m)規制の設定根拠について-」(土地総合研究2008年冬号)を参照。

(3)京都市の高度地区については、「京都市における高度地区を用いた絶対高さ制限の変遷」(土地総合研究2010年夏号)を参照。

(4)1962(昭和37)年8月11日に建設省住宅局長から日本建築学会に対して「現行の高さ制限の改廃とそれに伴い必要とする法的措置について」諮問され、同年10月29日に建築学会から建設省に答申された。

それによると、高層建築物については以下のような見解が示されている。

「現行法においてはおおむね現行高さの制限を想定して諸規定が組立てられているので、早急に高層建築物に関する関係規定の整備が必要である。しかし、この種建築物の実例及び施工経験が少ない現段階においては、一般通則的な規定をただちに設定することは困難であると思われるので、当分の間は建築物の設計・施工法につき個々に審査指導する方途を考慮する必要がある。」(「建築物の高さ制限に関する本会の所見発表まで」『建築雑誌1962年12月号』)

(5)梅野(1965)p24

(6)当時の建築基準法第57条第1項には用途地域における絶対高さ制限(31m、20m)が規定されていたが、但し書きとして、「ただし、次の各号の一に該当する場合において、特定行政庁の許可を受けたときは、この限りでない。 一 建築物の周囲に広い公園、広場、道路その他の空地がある場合等であつて、交通上、安全上、防火上及び衛生上支障がないと認める場合」とあり、周辺に空地があれば特例許可により、31m超の建築物の建設は可能であった。

実際に、1953(昭和28)年には大阪第一生命ビル(高さ41.23m、12階)、1954(昭和29)年には渋谷東急デパート(高さ43m、11階)が完成している。

また、同時期に東京駅八重洲口に高さ47.8m、12階の鉄道会館が計画されていたが、なかなか許可が下りず、1954(昭和29)年に6階部分までが完成し開業したが、全体は1968(昭和43)年に竣工している。

(7)高層建築物構造審査会は、1964(昭和39)年9月に建設省に設置されたが、1965(昭和40)年8月に財団法人日本建築センターの設立とともに、審査会は日本建築センターに移管されている。当時の審査会の委員は15名で組織され、毎月1回開かれていたという。個々の審査にあたっては部会が設けられ、その都度専門委員が委嘱されていた。

[参考文献]

○梅野捷一郎(1965)「高層建築物構造審査会報告(その1)」『建築行政14(71)』、建築行政協会、p24‐27

○神奈川県都市部都市公園課(1994)『風致地区のあり方に関する20項目の提言:環境と共生した美しき都市の創造のために』神奈川県

○日本建築学会(1973)『高層建築技術指針 ―増補改訂版』日本建築学会

○大澤昭彦(2008)「市街地建築物法における絶対高さ制限の成立と変遷に関する考察-用途地域の100尺(31m)規制の設定根拠について-」『土地総合研究16(1)』、財団法人土地総合研究所、p51-61

○大澤昭彦(2010)「京都市における高度地区を用いた絶対高さ制限の変遷」『土地総合研究18(3)』、財団法人土地総合研究所、p181-210

芦屋市景観地区における不認定マンション問題のその後 -マンション計画の中止と山手幹線周辺における地区計画の策定ー

大原町地区地区計画の概要芦屋市大原町において、5階建てのマンション計画が景観地区の基準に不適合であるとして景観法に基づく不認定の処分が下された件については、以前の記事で述べた。

その後、不認定マンション計画は中止となり、大原町地区には高さ制限の強化をはじめとする地区計画が策定された。

しかし、この地区計画はマンション問題が直接的なきっかけではなく、市内を横断する山手幹線の整備を契機とするものであった。

そして、大原町だけでなく、山手幹線が貫通する他の地区においても同時的に地区計画の策定が進められていたのである。

そこで今回は、マンション計画が撤回された経緯とともに、大原町地区地区計画を中心に山手幹線周辺における地区計画策定の動向とその特徴について述べてみたい。

「芦屋市景観地区においてマンション計画が不認定に -「高さ」ではなく「ボリューム」が問題に-」

<構成>

■大原町5階建てマンション計画不認定の経緯

■マンション計画の中止とその背景

■大原町地区地区計画策定の経緯

■大原町地区地区計画の概要

■山手幹線沿道における地区計画:道路整備を契機とした連鎖的な地区計画

■地区計画指定後の地価動向:大原町における地価上昇

■まとめ

■大原町5階建てマンション計画不認定の経緯

景観地区不認定問題は、2009(平成21)年秋に、大手マンション事業者が高さ15.45m(5階建て)、長さ41.3mのマンション計画を市に提出したことに始まる。

写真からわかるように、計画用地(敷地面積1,100㎡)周辺は、概ね2階建ての戸建て住宅地であることから、計画建物は周辺の建物に比して、高さ、規模が大きい。

芦屋市景観認定審査会における審議の結果、2010(平成22)年2月5日に、景観地区の基準に不適合であるため不認定処分を下すべきとの判断が示された。

不認定の理由として、「周辺の建築物に比べて著しく大きなスケールとボリュームを有するものである。このため,周辺の建築物や空間の形成するまちなみ景観とは著しく調和を欠く規模,形態であり,配置上も問題があるといわざるを得ない。」と結論付けている。

この景観認定審査会の判断を受けて芦屋市は、2月12日に当該マンションを不認定とする処分を事業者に通知した。

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写真1 不認定処分を受けたマンション計画用地(2011年2月撮影)

■マンション計画の中止とその背景

不認定から約半年後の2010(平成22)年8月18日、市と事業者からマンション計画の中止が公表された。

事業者によると、5月下旬に大阪府内の個人に対してマンション用地を売却したという。また、「景観法を踏まえて市と協議し、建物の規模の縮小も含めて検討した結果、売却を決めた」と事業者はコメントしている(朝日新聞2010年8月19日)。

一方、芦屋市側は、「事業を阻害するつもりは全くなく、周辺の環境と調和した建設計画を出してくれることを期待していた残念だ」と話している(共同通信2010年8月18日)。

事業者がマンション計画を中止し、用地売却を決めた背景には、大原町地区で検討が進められていた地区計画の存在が大きかったと思われる。

不認定の翌月末には、地区計画の地元案がまちづくり協議会において承認されていたことからもわかるように、地区計画の案はマンション不認定の段階で概ね固まっていた。

4月には、地区計画の地元案がまちづくり協議会から芦屋市に提出され、これを受けて市は都市計画決定の手続きを進めている。

つまり、事業者がマンション計画を中止した8月時点では、地区計画の都市計画決定の手続きが行われている段階であった。

■大原町地区地区計画策定の経緯

大原町における地区計画策定の動きは、不認定マンションの計画が市に提出される約2年前に遡る。

後述するように、地区内を貫通する山手幹線の整備によって、周辺の住環境が急変する可能性があったことから、市が地区計画の策定を地元に働きかけた。

これを受けて2008(平成20)年3月に「大原町まちづくり研究会」が設置され、まず初めに地権者に対するアンケートが実施されている。

アンケートの結果、地区独自のルールの必要性が確かめられたことから、2008(平成20)年11月には「大原町まちづくり協議会」が発足し、本格的な地区計画の検討が始まることになる。

その後、役員案の策定、意見交換会の開催、アンケートの実施等を経て、2010(平成22)3月28日に開催されたまちづくり協議会臨時総会において、地区計画地元案が権利者全体の76%の賛成で承認された。

そして、4月20日には地区計画地元案の要望書が市長に提出され、市の都市計画決定手続きを経て、11月22日に「大原町地区地区計画」として告示された。

表1 大原町地区地区計画・不認定マンションに関する出来事

■大原町地区地区計画の概要

大原町地区地区計画は、駅周辺の一部を除く約18.1ヘクタールを対象として、2010 (平成22)年11月22日に都市計画決定された。

戸建て主体の「住宅地区」、後背住宅地との調和を図る「幹線道路沿道地区」、そして周辺の住環境や景観との調和を目指す「近隣商業地区」の3つの地区に区分し、各地区は用途地域と対応している。

住宅地区は第1種中高層住居専用地域、幹線道路沿道地区は第1種住居地域、近隣商業地区は近隣商業地域で、いずれも指定容積率は200%である。

地区計画では、建築物の高さ、用途、壁面位置、敷地分割時の最低敷地面積、緑化率、屋根・外壁の色彩、屋外広告物を規制しており、このうち用途、高さ、壁面位置、最低敷地面積については建築条例に定められており、法的拘束力の強い制限となる。

一方、緑化率、色彩、屋外広告物は条例化していないために、届出・勧告制による規制となるため、強制力は弱い。

具体的な制限内容は、下表のとおりであるが、各制限項目の特徴を簡単に述べる。

表2 大原町地区地区計画の内容

①絶対高さ制限:高度地区の強化(15m→10m・12mへ)

建築物の高さは、住宅地区は10mもしくは12m、幹線道路沿道地区は15mに制限される(近隣商業地区は高度地区による斜線制限のみで、地区計画での制限はない)。

住宅地区は、もともと第2種高度地区によって絶対高さ15mに制限されていたが、地区計画によって高さ10mに強化された。戸建て住宅主体の市街地形成を目指していることから、低層住居専用地域並みの高さ制限値としたわけである。

ただし、大規模な敷地の場合(敷地面積500㎡以上)は4階程度の集合住宅が建設可能な12mに緩和される。

高度地区による絶対高さ制限の場合、階段室等の屋上部分の高さは12mまで建築物の高さに算入されないが(建築基準法施行令2号1項6号ロ)、地区計画の10m、12mの制限には屋上部分の不算入措置はなく、屋上部分も含めた高さが10mもしくは12m以下に制限される。

また、住宅地区では既存不適格建築物の建替えにあたっては、従前の建物高さまでの再築が認められている(この救済措置は、1998年に西宮市の大畑地区地区計画で設けられたのがはじまりであり、芦屋市は隣接する西宮市の例を参考にしたとのことである)。

一方、幹線道路沿道地区は、従来、第3種高度地区により斜線のみの制限であったが、絶対高さ15mの上乗せ規制がかけられている。

先に述べたように、住宅地区では、階段室等の屋上部分の高さは建築物の高さに含められていたが、幹線道路沿道地区では3mまでは算入されない。したがって、屋上部分も含めると15m+3m=18mまでは建築可能となる。

図1 住宅地区における高さ制限の内容

②用途:店舗・ワンルームマンション等の禁止

住宅地区では、閑静な住宅地として環境を守るために、店舗・飲食店等の建築を禁止するほか、1戸当たりの住戸占有床面積40㎡未満の集合住宅、床面積500㎡以上の公衆浴場を規制している。

住戸占有床面積40㎡未満の集合住宅は小規模なファミリー向け住宅やワンルームマンション、また、500㎡以上の公衆浴場はスーパー銭湯を念頭に置いていると思われる。

小規模なファミリー向け住宅やワンルームマンションは賃貸住宅が多く、定住性も低く、地区の活動に参加してもらいにくいことも規制の背景にはあるとのことである。

なお、ワンルームマンション規制は、芦屋市住みよいまちづくり条例(以下、まちづくり条例)で規定されている制限を若干強化し、地区計画で担保したものである。

幹線道路沿道地区と近隣商業地区では、住宅地区と同じく床面積500㎡以上の公衆浴場を禁止とするほか、ガソリンスタンド、葬儀場を制限している。

葬儀場を規制する理由としては、1999(平成11)年に地区内において葬祭会館の建設計画が持ち上がり、住民による反対運動が起こったことが背景にある。

③敷地面積の制限:敷地分割後の最低敷地面積の規制(130㎡・150㎡)

これはいわゆる敷地面積の制限とは異なり、「敷地分割後の最低敷地規模」を規制するものである。したがって、敷地を分割しない場合には適用されない。

住宅地区のみを対象とした制限であり、具体的には、敷地面積2,000㎡の敷地を分割する場合は分割後の最低敷地面積が130㎡、2,000㎡以上の敷地を分割する場合の最低敷地面積は150㎡以上としている。

ただし、敷地面積2,000㎡未満の分割であっても、やむを得ない場合等においては1つの敷地に限って110㎡まで認める緩和措置が設けられている。

この制限は、まちづくり条例で規定されている制限を地区計画で担保するものであるが、地区計画では若干強化されている。

まちづくり条例を見ると、第1種・第2種中高層住居専用地域では、開発区域面積500㎡未満は最低敷地規模110㎡以上、500㎡以上2,000㎡未満は130㎡以上、2,000㎡以上は150㎡以上となっている。

一方、地区計画では、敷地面積500㎡未満であっても、まちづくり条例で規定する110㎡以上ではなく、ワンランク厳しい130㎡以上の規模を求めているわけである。

④壁面位置の制限:隣地境界線からのセットバック(1.0m、1.5m、2.0m)

外壁の後退距離を定める制限であるが、これは道路境界線側からの壁面後退ではなく、隣地境界線からのセットバックである。

これも敷地面積制限と同様に住宅地区のみを対象とした制限であり、敷地規模と高さが大きくなるほど、周辺の住環境への圧迫感等の影響を軽減する必要があることから、敷地規模別・高さ別に後退距離を定めている。

具体的には、敷地面積250㎡以上500㎡未満は1.0m、500㎡以上かつ高さ10m以下の場合は1.5m、500㎡以上かつ高さ10m超の場合は2.0mとなっている。

まちづくり条例では、第1種・第2種中高層住居専用地域における壁面後退を0.7m以上、地上階数が4以上または軒高10m以上の建築物は1.0m以上としていることから、この地区計画の制限はまちづくり条例の担保及び上乗せ規制であることがわかる。

⑤緑地率の制限:緑地率の最低限度10%

緑地率の制限は、住宅地区と幹線道路沿道地区を対象とする規制であり、敷地面積130㎡以上500㎡未満の場合は10%以上の緑化を義務付けている(緑化率には屋上緑化と壁面緑化は含まれない)。

まちづくり条例では、住居系用途地域(低層住居専用地域以外)の緑化率は20%以上としているが、敷地規模500㎡以上が対象となる。つまり、この地区計画では、まちづくり条例の対象外となる500㎡未満についても、条例の半分にあたる10%の緑化を求めることにしたわけである。

なお、130㎡未満については、負担も大きいとの住民からの要望があり、対象外になったという経緯がある。

地区計画における緑化率の制限に法的な拘束力を持たせるためには、都市緑地法第39条に基づく「地区計画等緑化率条例」を別途制定する必要があるが、この地区計画では条例化は行っていない。

⑥色彩の制限:景観地区の上乗せ規制

建築物の屋根と外壁の色彩は、地区計画区域全域が対象であり、芦屋景観地区に定める大規模建築物の色彩基準が適用される。

芦屋景観地区では建築物の規模に応じて基準を設定しており、高さ10m超かつ延床面積500㎡超の建築物を大規模建築物と位置付けている。

大規模建築物の基準は、その他の建築物と比べて厳しく設定されている。

つまり、大原町地区地区計画では、高さ10m以下または延床面積500㎡以下の建築物であっても、芦屋景観地区の大規模建築物の基準を満たすことが求められるわけである。

ただし、この色彩制限は建築条例に位置付けられていないために強制力の弱い緩やかな制限となる。

⑦屋外広告物の制限:県屋外広告物条例の上乗せ規制

屋外広告物の制限も地区計画区域全域でかけられているが、これは兵庫県の屋外広告物条例の規制を強化した内容となっている。

住宅地区である第1種中高層住居専用地域は、県屋外広告物条例では第2種禁止区域に指定されており、自家用広告物の表示面積が計20㎡以下、自家用広告物の枚数が4枚以下等の制限が適用される。

この地区計画では表示面積合計が3㎡以下、かつ、枚数は3枚以下と大幅に強化されている。また、広告物の高さも地上から3m以下に制限されるほか、色彩制限(地色に彩度10以上の色の使用禁止)も加えられている。

また、幹線道路沿道地区と近隣商業地区は、エリアの特性上、屋外広告物の面積、枚数等は制限されず、色彩制限のみ(住宅地区と同じ内容)が規定されている。

山手幹線沿道における地区計画:道路整備を契機とした連鎖的な地区計画

前述のように、大原町地区の地区計画は、不認定マンションの計画が表面化する以前から検討が開始されていた。

つまり、地区計画策定の直接的なきっかけはマンション問題ではないことになる。

それでは、なぜ大原町地区において地区計画が策定されることになったのだろうか。既にふれたように、地区計画策定のそもそものきっかけは、市内を横断する山手幹線の整備であった。

山手幹線は、神戸-尼崎を結ぶ幹線道路であり、1946(昭和21)年に都市計画決定され、65年後の2010(平成22)年10月24日にようやく全線が開通している。

山手幹線の全線開通に伴い、スーパー銭湯、ガソリンスタンド等のロードサイド型の利便施設の立地が予想されたが、道路が市内の住宅地内を貫通することから、周辺の住環境への影響が懸念された。

そこで芦屋市は「芦屋市都市計画マスタープラン」(2005年策定)において、山手幹線周辺のうち、「沿道型住宅地」を「低層又は中層住宅の整った沿道景観の形成」を図る地区とする一方、「中低層住宅地」を「現在の低層戸建住宅中心の居住環境を保全」するために高さ制限や宅地細分化の防止等を行うとし、これらの方針を実現する手段として建築協定や地区計画等の活用を明文化した。

こうした背景から、芦屋市は、山手幹線が横断する地区に対して地区計画の策定を働きかけたのである。

対象エリアは、大原町地区だけではなく、JRと阪急神戸線の間に挟まれた三条町、西芦屋町、月若町、松ノ内町、船戸町、大原町、親王塚町、翠ヶ丘町の8地区が全て対象とされた(図2)。

市の働きかけを受けて、各地区は自治会を単位とするまちづくり協議会を設立し、具体的な地区計画の内容を検討していくことになる。

まちづくり協議会では、地権者等へのアンケートの実施、素案の策定、意見交換会の開催等を経て、地区計画の地元案を確定し、市は地元案に基づいて都市計画決定を行う形で進められている。

2011(平成23)年9月末時点で、8地区中7地区で地区計画が告示済みであるが、概ね協議会設立から約2年程度で都市計画決定に至っている(親王塚町地区では現在、協議会の案が検討中)。

地元案の採決にあたっての同意率(権利者数に占める賛成者の割合)を見ると、市が目安としていた3分の2(約66.6%)の同意率を満たしていることがわかる。

図3からわかるように、権利者数が多いほど同意率が低減しているが、大原町の同意率が権利者数の多さに比べて高いのは、不認定マンション問題の影響と考えられる。

各地区計画の内容を見ると、大原町と制限内容はほぼ共通するが、地区の特性や合意形成を踏まえているため若干の違いは見られる(詳細は、別の機会に紹介したいと思う)。

表3 山手幹線周辺における地区計画の一覧

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図2 山手幹線周辺における地区計画位置図

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図3 地区計画案の同意率と権利者数

■地区計画指定後の地価動向:大原町における地価上昇

2011(平成23)年7月1日時点の都道府県地価調査の結果によると、大原町の地価上昇率(対前年平均変動率)は+1.9%で、全国でも高い上昇率を示している。

グラフから分かるように、兵庫県、阪神南、六麓荘町(いずれも住宅地)の地価変動率が全てマイナスであることを見ても、大原町の伸びが際立つ。

おそらく前年の10月に全面開通した山手幹線の影響が大きいと思われるが、高さ制限の強化を含む地区計画が地価形成に寄与しているとも考えられる。

地価と地区計画との関係を論ずるには、ヘドニックアプローチ手法等による定量的な分析が必要であると思われるため、軽々に判断することは控えるべきであろうが、少なくとも地区計画が地価にマイナスに作用していないとは言えるのではないだろうか。

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図4 対前年比平均地価変動率の推移(各年都道府県地価調査)

■まとめ

芦屋市大原町で不認定となったマンション計画は結局中止となり、その後、高さ制限の強化をはじめとする大原町地区地区計画が策定された。

ただし、この地区計画の策定は、不認定マンションが直接のきっかけではなく、市内を横断する山手幹線の開通を契機としたものであった(もちろん不認定マンションの存在が地区計画策定の推進力にはなったと思われるが)。

山手幹線の整備に伴い、沿道周辺の住環境への影響が懸念がされたことから、市は、山手幹線が貫通する地区に対して、地区計画の策定を働きかけたわけである。

そのため、大原町地区だけではなく、山手幹線周辺の地区においても連鎖的な地区計画の策定が進んでおり、既に計7地区で策定済みである。

山手幹線周辺における地区計画の特徴は、市が地元に積極的な働きかけ、それを受けた地元の協議会が地区計画案を市に提案している点である。

つまり、きっかけは行政からのトップダウンであっても、具体的な内容の検討は地元からのボトムアップということである。

トップダウンだけでは行政の押しつけになりがちとなり、逆にボトムアップによる地元の動きを待つには時間がかかり過ぎる。

その点、芦屋市においては、市と地元の役割分担がうまくいったがゆえに、速やかな地区計画指定が実現したと言えるだろう。

また、地区計画の内容面での特徴を見ると、従来の都市計画規制(用途地域、高度地区)の上乗せ規制であることに加えて、市の自主条例である住みよいまちづくり条例の基準強化及び担保である点が指摘できる。

こうした高度地区やまちづくり条例の運用実績があったからこそ、地区計画による制限強化に対する住民の理解が得られ、複数の地区計画策定を同時的に進めることが可能だったのではないだろうか。

未だに、規制強化は土地利用の足かせとなり、資産価値を損なうとの意見は少なくない。

しかし、先に見た都道府県地価調査の結果からわかるように、地区計画が住宅地の価値を下支えしている可能性は十分にある。

適切なルールの存在は、地域の価値の担保・向上に寄与するのである。

<関連記事>

「芦屋市景観地区においてマンション計画が不認定に -「高さ」ではなく「ボリューム」が問題に-」

<参考資料>

芦屋市における地区計画

芦屋市における景観地区

芦屋市住みよいまちづくり条例

芦屋市都市計画審議会会議録(検討資料も見ることができる)

 

容積率制度の制定経緯について

先日発行された「土地総合研究2011年冬号」で、容積率制度の歴史的経緯に関する論文を執筆しました。

タイトルは、「日本における容積率制度の制定経緯に関する考察(その1) ―容積制導入以前における容量制限:1919年~1950年―」です(土地総合研究19(1)2011年冬号、p83-105)。

この論文は、1919(大正8)年の市街地建築物法(現在の建築基準法の前身)から1970(昭和45)年に現在の容積率制度が確立するまでの約50年間を対象に、建築物のボリュームコントロールに関する制度の変遷とその背景について整理、考察したものです。

3回に分けて掲載を予定しており、今回は、1919年(大正8)の市街地建築物法制定から1950(昭和25)年の建築基準法制定までを扱っています。

この時期には、まだ容積制が導入されておらず、主に絶対高さ制限に基づきボリュームコントロールが実施されていました。

しかし、この時代の規制内容は、後の容積率制度の内容に多大な影響を与えることから、詳細に整理しております。

その2では、戦後復興から高度成長期に向かう1950年代を対象に、絶対高さ制限の見直しや容積制導入に向けた議論が活発化していく過程を追っていきます。

さらにその3では、1961(昭和36)年の特定街区制度創設、1963(昭和38)年の容積地区制度創設を経て、1970(昭和45)年に容積制が全面導入されるまでの過程を見ていきます。最後に、容積率制度の制定経緯の整理から明らかとなった容積制の課題と今後の展望についてもまとめる予定です。

以下、論文執筆の背景を簡単に記しておきます。

 

■容積率制度が有する課題

容積率制限は、建築物の床面積と道路・下水道等の公共施設の容量との均衡を図ることを目的とした都市の密度規制の一手法で、1970年の建築基準法改正で現在の容積制の枠組みが確立されました。

しかし、ここ数十年に渡る容積率の規制緩和の結果、容積率はある種の経済価値を表す指標としての意味合いが強くなり、本来の目的を見失っているように見受けられます。

 

現在、国は「集約型都市構造の実現」を標榜し、いわゆるコンパクトシティを望ましい姿として位置付けているようです(国土交通白書平成21年度版)。

集約型都市構造を前提に容積計画を考えると、都心の密度を高める一方で、郊外部の容積を抑えることが必要です。

しかし、現実には、現状の容積率が既得権益化し、現状の指定容積率を下げることは難しいと言われています。

また、容積率の緩和制度が、周辺市街地の形態から大きく乖離した高層建築物の建設を可能とし、全国各地において建築紛争を招いています(高度地区や景観計画を活用した絶対高さ制限導入の動きは、こうした容積制の欠点を補完するための取り組みと言えるでしょう)。

その一方で、斜線制限や狭小化した敷地等においては、指定容積率が十分に消化できないために、都心の高密化が進まないという現状も指摘されています。

 

なお、容積率制度の課題については、西村幸夫・東京大学教授が、「都市計画 根底から見なおし新たな挑戦へ」(学芸出版社)の中で明快に整理されておりますので、是非ご参照下さい。

■人口減少時代に向けた容積制のあり方を考えるために

容積率制度自体は、市街地の拡大や人口増加を前提とした時代に作られた制度です。

本格的な人口減少社会を迎える今、容積率制限はどうあるべきなのか、その必要性も含めて議論をする時期にあると思われます。

容積制のあり方、ひいては市街地の形態・密度のあるべき姿を考える前提として、現在の容積制が成立した背景を再確認する必要があるのではないでしょうか。

今回の論文がその一助となれば幸いと考えております。

 

【追記】論文のPDF版を土地総合研究所のホームページから見ることができます。下記URLからご覧下さい。

その1:http://www.lij.jp/html/jli/jli_2011/2011winter_p083.pdf

その2:http://www.lij.jp/html/jli/jli_2011/2011summer_p046.pdf

なお、その3については執筆中です。

その1からその3までの内容は、拙書「高さ制限とまちづくり」の「第1章 高さ制限の歴史的変遷」の中でもまとめています。

よろしければご一読ください。

「高さ制限とまちづくり」学芸出版社、2014年