高度地区の変遷について

2012年度の都市計画学会学術研究論文発表会で、高度地区の歴史に関する論文を発表します。

タイトルは、「高度地区指定による高さ制限の変遷に関する研究」です。

 

■高度地区制度とは?

高度地区制度は、建築物の高さの最高限度や最低限度を定めることができる制度で、都市計画法・建築基準法に基づく制限手法です。

用途地域では、低層住居専用地域(高さ10m・12m)を除くと絶対高さ制限はかかっていないため、現行の用途地域を補完する役割を担っています。

この高度地区制度は、もともと1920(大正9)年に施行された市街地建築物法施行令に規定された建築物の高さの最低限度の制限に由来します。当初は、駅前等の高度利用が求められる場所での土地の有効利用や美観形成を意図して、一定以上の高さの建物を誘導する制度として始まりました。

1931(昭和6)年の施行令改正で高さの最高限度も定めることが可能となり、1938(昭和13)年の市街地建築物法改正によって、「高度地区」という名称で制度化されました。

その後、1968(昭和43)年の新都市計画法制定、1970(昭和45)年の建築基準法改正によって、現在の制度が確立され、現在では住環境や景観の保全・形成を目的として、絶対高さ制限や斜線制限を高度地区によって実施する自治体が増えています。

■論文の主旨

この論文では、1920年の制度創設から現在までの高度地区の法律上の位置づけや実際の運用がどのように変遷してきたのかを分析し、高度地区が時代によって、その目的や制限内容を変化させてきたことを明らかにしています。

論文については、下記のホームページで確認できます。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalcpij/47/3/47_211/_article/-char/ja/

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高さ制限値45m・60mの由来

高度地区や景観計画で指定された高さ制限値を見ると、15m、20m、31mといった値が多く用いられている。

15mは風致地区でよく使用される数値であり(注1)、20m、31mは1970(昭和45)年の建築基準法改正で容積制が全面導入されるまでの間、用途地域にかけられていた絶対高さ制限値である(注2)。

これらの数値以外にも、主に商業地域の高容積エリアを中心として、45mや60mといった高層建築物を許容する数値を設定している自治体も少なくない。

例えば、45mを見てみると、高度地区では札幌市、山形市、文京区、目黒区、世田谷区、金沢市、名古屋市、大津市等で用いられており、景観計画では、川口市、各務原市、横浜市等で設定されている。なお、京都市では、45mの高度地区が商業地域・容積率700%のエリアにかけられていたが、2007(平成19)年9月の高度地区見直しで廃止され、31mに強化された(注3)。

一方、60mは、札幌市、新宿区、金沢市の高度地区で用いられている(横浜市は、第6種高度地区(高さ20m)の緩和の上限値として60mを設定)。

では、45mや60mという数値は、もともとどのようにして決められたのであろうか。

以下では、それぞれの数値が用いられてきた背景や由来を見ていく。

■45mの由来

45mの数値がはじめて建築法規に登場するのは、1963(昭和38)年の建築基準法改正による容積地区制度導入時である。

この法改正により、容積地区を指定した区域内においては絶対高さ制限ではなく容積率と道路・隣地斜線制限によって制限されることとなり、31mの絶対高さ制限を超える高層建築物の建築が可能となった。

柔構造理論の確立をはじめとする構造・施工技術の進歩によって、31m超の高層建築物の建設が技術的にも可能となっていたが、当時の建築法規は31mの高さをもとに構造基準を設定していたため、高層建築物に対応した構造基準を定める必要が生じていた(注4)。

だが、基準をすぐに設けることは困難であるため、建設大臣が建築基準法第38条の規定に基づいて個別に安全性を確認し、認定する方法がとられることになった。

認定審査の対象となる高層建築物としては、①建築物の高さが31m以上で、その構造形式が現行法規のたてまえによらないもの、②建築物の高さが45m以上のもの、とされた(注5)。

②の45mの根拠は、31mに塔屋部分として建設可能であった12mを加えた数値が45m程度であったことや、当時既に45m程度の高層建築物は建設されておりこれらについては従来の剛構造に基づく構造基準で対応可能であると判断がなされたことが考えられる(注6)。

一方、現行法の基準では対応できない建築物、つまり「柔構造でつくられる高さ31m超の建築物」と「高さ45m超の建築物」については、個別の案件ごとに「高層建築物構造審査会(注7)」の構造安全審査を受けて、建築基準法第38条の規定に基づき建設大臣の認定を得ることとされた。

しかし、法令の構造規定についてはほとんど改正がなされなかったため、1964(昭和39)年に日本建築学会により「高層建築技術指針」が作成された。

この技術指針は、高層建築物の設計、施工の指導書として活用されることとなったが、この指針の対象建築物が45m超の高層建築物であった。

以上から、構造上の基準として採用された45mが、後に1973(昭和48)年の京都市高度地区の都心部の高さ、横浜市高度地区の特例許可による緩和の上限値として用いられ、現在に至るわけである。

■60mの由来

建築基準法においてはじめて60mの数値が見られるのは、1980(昭和55)年7月に公布された改正建築基準法施行令においてである(いわゆる新耐震基準が示された政令)。

45m超の高層建築物については高層建築物構造審査会の構造安全審査を経て、大臣認定が必要であると先に述べたが、この政令改正によって大臣認定が必要とされる高さが45mから60mに引き上げられた。

なお、この規定は、2006(平成18)年の建築基準法改正で法第20条の構造耐力の規定に移されており、60m超の建物の構造計算の方法については国土交通大臣の認定が必要とされている。

1980年の新耐震基準の検討に際して、建設省は「新耐震設計法案」(昭和52年)や「建築基準法施行令・耐震関係規定改訂基準原案」(昭和54年)を作成し、また、学識経験者・構造設計実務家等から構成される「耐震建築基準委員会」を建設省内に設置している。

その議論の中で60mの設定理由について言及されている可能性があるものの、筆者は確認をとっていない。

耐震基準という性質上、60mという数値は、集団規定の観点ではなく構造上の観点から導出されたと推測される。

ただし、1973(昭和48)年に日本建築学会が発行した「高層建築技術指針(増補改訂版)」によると、斜線制限や容積制限の制約から、現実の敷地で建設可能な高さは20階前後にとどまるとの見解が示されていることから、20階×階高3mと仮定すると60mを導き出すことができる。

また、特別避難階段設置が義務付けられる15階に階高を4mと仮定すると、15階×4m=60mになる。

60mの設定根拠としては、以上のような理由が考えられるものの、あくまでも推測に過ぎない。

一方、他法令を見ると、航空法において60mという数値が見られる。

航空法第51条の航空障害等設置義務の規定には、「地表又は水面から六十メートル以上の高さの物件の設置者は、(中略)当該物件に航空障害灯を設置しなければならない。」とある。

この規定は、1960(昭和35)年6月1日改正の航空法改正で追加された条文であるが、一般の建築物ではなく電波塔や発電所・工場等の煙突といった工作物を想定していたものと考えられる。

というのも、当時の建築基準法には、まだ用途地域における31mの絶対高さ制限が残っており、60m超の建築物は国会議事堂を除き存在していなかったのである。

例外許可により建設されていた31m超の建物でも45m程度が限界で、60mには及んでいない。

なお、31mを超える高層建築物の建設が例外許可を要せず建設できるようになったのは、容積制による特定街区制度が創設された1961(昭和36)年の建築基準法改正後である。

[注]

(1)風致政令(風致地区内における建築等の規制に係る条例の制定に関する基準を定める政令)において、風致地区内における高さ制限値は8mから15mの範囲内で定めると規定されている。この15mは、生長した高木によって建物がほぼ隠れる高さとして決められたとされる(神奈川県都市部都市公園課(1994))。

(2)1970年の建築基準法改正まで行われていた用途地域の絶対高さ制限(20m、31m)の由来については、「市街地建築物法における絶対高さ制限の成立と変遷に関する考察-用途地域の100尺(31m)規制の設定根拠について-」(土地総合研究2008年冬号)を参照。

(3)京都市の高度地区については、「京都市における高度地区を用いた絶対高さ制限の変遷」(土地総合研究2010年夏号)を参照。

(4)1962(昭和37)年8月11日に建設省住宅局長から日本建築学会に対して「現行の高さ制限の改廃とそれに伴い必要とする法的措置について」諮問され、同年10月29日に建築学会から建設省に答申された。

それによると、高層建築物については以下のような見解が示されている。

「現行法においてはおおむね現行高さの制限を想定して諸規定が組立てられているので、早急に高層建築物に関する関係規定の整備が必要である。しかし、この種建築物の実例及び施工経験が少ない現段階においては、一般通則的な規定をただちに設定することは困難であると思われるので、当分の間は建築物の設計・施工法につき個々に審査指導する方途を考慮する必要がある。」(「建築物の高さ制限に関する本会の所見発表まで」『建築雑誌1962年12月号』)

(5)梅野(1965)p24

(6)当時の建築基準法第57条第1項には用途地域における絶対高さ制限(31m、20m)が規定されていたが、但し書きとして、「ただし、次の各号の一に該当する場合において、特定行政庁の許可を受けたときは、この限りでない。 一 建築物の周囲に広い公園、広場、道路その他の空地がある場合等であつて、交通上、安全上、防火上及び衛生上支障がないと認める場合」とあり、周辺に空地があれば特例許可により、31m超の建築物の建設は可能であった。

実際に、1953(昭和28)年には大阪第一生命ビル(高さ41.23m、12階)、1954(昭和29)年には渋谷東急デパート(高さ43m、11階)が完成している。

また、同時期に東京駅八重洲口に高さ47.8m、12階の鉄道会館が計画されていたが、なかなか許可が下りず、1954(昭和29)年に6階部分までが完成し開業したが、全体は1968(昭和43)年に竣工している。

(7)高層建築物構造審査会は、1964(昭和39)年9月に建設省に設置されたが、1965(昭和40)年8月に財団法人日本建築センターの設立とともに、審査会は日本建築センターに移管されている。当時の審査会の委員は15名で組織され、毎月1回開かれていたという。個々の審査にあたっては部会が設けられ、その都度専門委員が委嘱されていた。

[参考文献]

○梅野捷一郎(1965)「高層建築物構造審査会報告(その1)」『建築行政14(71)』、建築行政協会、p24‐27

○神奈川県都市部都市公園課(1994)『風致地区のあり方に関する20項目の提言:環境と共生した美しき都市の創造のために』神奈川県

○日本建築学会(1973)『高層建築技術指針 ―増補改訂版』日本建築学会

○大澤昭彦(2008)「市街地建築物法における絶対高さ制限の成立と変遷に関する考察-用途地域の100尺(31m)規制の設定根拠について-」『土地総合研究16(1)』、財団法人土地総合研究所、p51-61

○大澤昭彦(2010)「京都市における高度地区を用いた絶対高さ制限の変遷」『土地総合研究18(3)』、財団法人土地総合研究所、p181-210

庭園からの眺望景観保全(その1) -旧古河庭園周辺における絶対高さ型高度地区について―

2011(平成23)3月10日、ジョサイア・コンドル設計の洋館や庭園等で知られる旧古河庭園(国の名勝指定)周辺エリアに、絶対高さ型高度地区が指定された。

この高度地区は、庭園からの眺めや周辺の住環境を守るために、庭園周辺の建築物の高さを35mに規制するものである。

○北区ホームページ http://www.city.kita.tokyo.jp/docs/inform/638/063811.htm

また、旧古河庭園の近くには、JR駒込駅を挟んで文京区側に六義園(国の特別名勝指定)がある。

六義園周辺においても、同じく庭園からの眺望景観保全を目的に絶対高さ型高度地区がかけられており、こちらは2004(平成16)年に指定されている。

旧古河庭園と六義園の高度地区はともに、庭園からの眺望景観保全を意図したものであるが、こうした高さ制限を実施する背景にはどのような理由があるのだろうか。また、具体的にどのような制限を行っているのだろうか。

本稿では、3回にわけて、周辺を対象とした絶対高さ型高度地区の内容を概観し、庭園から眺望保全のための高さ制限の特徴と課題について考えてみたい。

1.旧古河庭園周辺における絶対高さ型高度地区(北区):その1

2.六義園周辺における絶対高さ型高度地区(文京区):その2

3.旧古河庭園と六義園周辺の高度地区の比較:その3

1.旧古河庭園周辺における絶対高さ型高度地区(北区)

■旧古河庭園について

現在の旧古河庭園は、もともと1917(大正6)年に古河家(古河財閥)の邸宅としてつくられたものであり、1956(昭和31)年に都立公園として一般に公開されている。

この庭園は、武蔵野台地の地形の高低差を活かしたつくりとなっており、台地の突端に建てられた洋館の前面に、階段状の洋風庭園が斜面に沿って配置され、さらに低地部分に日本庭園が配されており、地形差が開放的な眺めをつくりだしている点が特徴的である。

洋館と洋風庭園は、日本近代建築の礎を築いたイギリスの建築家ジョサイア・コンドルが設計したものであり、日本庭園は小川治兵衛の作庭による(写真1)。

写真1 旧古河庭園(左:洋館、中:洋風庭園、右:日本庭園)

■絶対高さ型高度地区指定の背景

高度地区指定のきっかけは、「旧古河庭園周辺が東京都景観計画による文化財庭園等景観形成特別地区に指定されたこと」と「高層マンションによる近隣紛争が発生していたこと」の2点が挙げられる。

①東京都景観計画による文化財庭園周辺の景観誘導

東京都景観計画で旧古河庭園周辺が文化財庭園等景観形成特別地区に指定されたことが高度地区指定のきっかけとなった(平成20年4月の景観計画改定で追加指定)。

文化財庭園等景観形成特別地区とは、「国際的な観光資源としてふさわしい庭園からの眺望景観を保全し、歴史的、文化的景観を次世代に継承する」ことを目標に、庭園を含む周辺エリアを地区指定し、庭園の周りに立地する建築物や広告物の規制・誘導を行うものである。

現在の計画では、旧古河庭園のほか、浜離宮庭園、芝離宮庭園、新宿御苑、六義園、旧岩崎邸庭園、小石川後楽園、清澄庭園といった8箇所の都立庭園や国民公園を文化財庭園等景観形成特別地区に指定されている。

○東京都景観計画(文化財庭園等景観形成特別地区)

http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/kenchiku/keikan/keikaku13.pdf

写真2 洋館前から庭園全体を望む

<旧古河庭園周辺の景観形成基準の特徴>

高さ20m以上の建築物等は景観法に基づいて都知事に届け出る必要があり、「配置」「高さ・規模」「形態・意匠・色彩」「公開空地・外構等」「屋根・屋上」の5項目の景観形成基準を満たすことが求められる(また、高さ20m以上の部分に設置する屋上広告物の設置は禁止されている)。

これらの基準のうち、高さ・規模については、「庭園内部の主要な眺望点からの見え方をシミュレーションし、庭園からの眺望を阻害する高さや規模とならないように配慮する」「庭園外周部と隣接している敷地においては、庭園外周部の樹木の高さを著しく超えることのないよう計画する」と規定されている。

この基準の特徴は、1)数値基準ではなく、文言による定性的な基準であることであり、また、2)庭園内部から「見えない」ように高さを抑えるのではなく、眺望を阻害しない高さとすることを求めていること、の2点にあると言えるだろう。

そのため、高さ以外の要素、例えば、隣棟間隔の確保による開放感の維持や壁面の分割による圧迫感の軽減等の基準を併せて設置することにより、眺望を阻害しない見え方のコントロールを行っているわけである。

<東京都景観計画の問題点>

しかし、東京都景観計画の制限では十分な眺望景観の確保が難しいとの判断※2に加えて、「北区都市計画マスタープラン2010」においても、旧古河庭園周辺では建物高さの規制・誘導により庭園からの眺望景観の保全を行うと位置づけていたことから、北区は高度地区の指定に踏み切ったのである。

東京都の制限が十分でないと北区が判断した理由は大きく2つが考えられる。

一つは、景観形成基準が基本的に定性的な内容であり、庭園からの眺めを阻害しない高さが明示的ではないことである。

二つ目は、景観法に基づく景観計画はあくまでも届出・勧告制であるため、建築基準法に基づく建築確認のような法的拘束力は弱いという欠点があることによる。

より実効的な眺望保全を行うには、数値基準による強制力のある手段による制限が求められたわけである。

※注2 第20回東京都北区都市景観づくり審議会(2009年8月20日開催)におけるまちづくり部参事の発言

http://www.city.kita.tokyo.jp/docs/service/065/atts/006536/attachment/attachment_1.pdf

②高層マンションによる近隣紛争

高度地区指定のもう一つの背景には、旧古河庭園周辺で高層マンションの立地が進み、近隣紛争が起きていたことである。

旧古河庭園が面している本郷通り沿道は、商業系用途地域で指定容積率が400・500%と開発ポテンシャルが高いエリアであるが、写真を見てもわかるように、基本的には低中層の建物が建ち並んでいる(写真3)。

写真3 旧古河庭園周辺における本郷通りの現状(左:近隣商業地域・容積率400%、右:商業地域・500%)

しかし近年、13階、14階程度の高層マンションが増えつつあり、現在、10階建て以上のものは5棟あり、さらに2つの高層マンション計画が進行中である(2011年9月時点)(注1)。近隣紛争が起きていた(写真4)。

本郷通りの後背地(主に第1種中高層住居専用地域で容積率150%)は、ほぼ2階建ての戸建て住宅地が広がっているために、高層マンションは日照条件や圧迫感等を悪化させるとして、近隣住民から反対の声が聞かれるようになったのである(写真5)。

例えば、旧古河庭園入口近くに建つマンションは、当初14階建てで計画されていたが、住民の反対もあり、13階建てに変更されている。

こうした高層マンションを巡る紛争は、庭園からの眺望景観の阻害というよりは、周辺住環境への影響が問題視されており、商業地域と後背の住宅地域との指定容積率のギャップが紛争を招いていたと言えるだろう。

写真4 本郷通りで近年建設された高層マンション

写真5 本郷通りの後背地の状況

(左:近隣商業地域・容積率300%、右:第1種中高層住居専用地域150%)

(注1)2件のうち、1件は13階建・39.93m、もう1件は11階建・34.96mである。前者の高さが35mを超過しているのは、この物件が絶対高さ型高度地区決定前に建築確認申請されたことによる。

■旧古河庭園周辺高度地区の内容

2011(平成23)年3月10日、東京都景観計画で位置付けられた旧古河庭園からの眺望景観保全と本郷通り沿道の後背地における住環境の悪化の防止等を目的として、本郷通り沿道の約5.2haを対象に35mの絶対高さ型高度地区が指定された。

なお、北区内では、絶対高さ型高度地区の指定以前から、住居系用途地域や一部の近隣商業地域等において北側斜線制限による高度地区が指定されている。

今回の35m高度地区の指定区域は、この斜線型の高度地区が指定されていなかったエリアである。

35m高度地区区域 <参考>35m高度地区の周辺区域
高度地区 35m高度地区(絶対高さ型) 第2種高度地区(斜線型) 第3種高度地区(斜線型)
用途地域 商業地域 近隣商業地域 第1種中高層住居専用地域 近隣商業地域
指定容積率 500% 400% 150% 300%

①本郷通り沿道の商業系のみの指定

35m高度地区の指定区域は、旧古河庭園周辺のうち、本郷通り沿いの商業地域(容積率500%)、近隣商業地域(同400%)に限っているため、東京都景観計画の景観形成特別地区のエリアの一部のみとなっている。

エリアを限定した理由は、周辺区域は、指定容積率が150%のエリアが大半であり、既に斜線制限による高度地区や日影規制によって、そもそもあまり高いものが建設されないとの判断に基づくものである。

とはいえ、区の都市計画審議会では、指定エリアが限定されている点を疑問視する意見も出されていた。

それに対して、区は、旧古河庭園周辺のみではなく、全域的な指定も視野に入れていると回答している。

区の展望としては、まず1)景観形成特別地区内で絶対高さ制限をかけてから、2)飛鳥山公園前をはじめとする本郷通り全体に拡大し、3)区の基本的な考え方を固めた上で全域的に指定していく、といった段階的な絶対高さ型高度地区の指定意向を持っているようである(六義園周辺にスポット的な絶対高さ型高度地区を指定している文京区は、区全域に絶対高さ制限区域を拡大する予定であるが、それについてはその2で説明する)。

○第87回北区都市計画審議会議事録(2011年2月2日開催)

http://www.city.kita.tokyo.jp/docs/service/005/atts/000561/attachment/attachment_1.pdf

②高さ制限値35mの理由

<「35m」の設定根拠>

高さ制限値は、区域一律で35mとしている。

この数値は、1)庭園からの眺望が保全される高さ、2)既存の建物の高さ、3)指定容積率が消化可能な高さ、4)隣接区における制限値といった要素を考慮しながら設定したとのことである。

隣接区における制限値とは、文京区の六義園周辺に指定された高度地区の制限値35mである。

区によると、制限値の検討にあたっては、写真によるシミュレーションを行っており、35mラインでの眺望への影響を確認しているとのことである。

シミュレーションの結果、35mラインでは、庭園の樹木の高さを超えて見えることになるが、指定容積率が400、500%と高い区域であり、都市計画マスタープランにおいても「本郷通り沿道は沿道建物の耐震化と一定の高度利用を図る区域」と位置付けていることを鑑みて35mに決定したわけである。

規制前には、14階程度(約45m)のマンションが建設されていたことから、規制がない時に比べると眺望への影響は軽減されるだろう。

例えば、写真6は、洋風庭園から洋館を望む眺めであり、洋館の右奥に13階建てマンション(約40m)が見える。

35mの高さ制限がかけられたことで、洋館と樹木がつくるスカイラインが著しく損なわれる懸念がなくなったと言えるだろう。

また、庭園内の展望台(あずまや)から南側を眺めると、15階建のマンション(約45m)の8階から15階までの部分が庭園の緑の背景に見えるが、35m制限によって、緑から突出して現れる部分が減少することが期待できるだろう。(写真7)。

写真6 洋風庭園から洋館を望む

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真7 庭園内の展望台付近の眺め(15階建マンションの8層分が庭園の緑から突出して見える)

<「35m」制限の問題点>

しかし、35mの制限がかけられていても、場所によっては、庭園からの眺望に大きな影響を与えることが想定される。

例えば写真8は洋館前の芝生の広場から北側を眺めたものである。

庭園入口前に建つ13階建のマンションはヒマラヤ杉に隠れて見えないが、沿道のその他の敷地で35mの建物が建ち並んだ場合、庭園の背景に建物が大きく視野に入ってくることは避けられないと思われる(洋館とヒマラヤ杉の間に建物が見えてくることが想定される)。

その際、東京都の景観計画が定める「庭園からの眺望を阻害する高さや規模とならないように配慮する」「庭園外周部の樹木の高さを著しく超えることのないよう計画する」といった定性的な基準との関係をどのように判断するのであろうか。

つまり、高度地区の定量的基準(35m)は満たすが、景観計画の定性的基準は満たさないと思われるケースに対して、どう対応すべきかといった問題が生じる可能性がある。

写真8 芝生の広場から北側を望む(13階建のマンションはヒマラヤ杉の背景に隠れて見えない)

③高さ制限の例外規定の設置

35m高度地区の指定に際しては、高さ制限の適用除外を認める例外措置の規定も設けられている。

主なものは、既存不適格マンションの建替救済措置と地区計画・景観地区区域内の適用除外措置の2つである。

<既存不適格マンションの建替救済措置>

この絶対高さ制限によって3棟のマンションが既存不適格となっているが、建替えを行う場合は、現在の高さまでつくることを可能としている。

こうした既存不適格建築物の建替え救済措置は、近年絶対高さ型高度地区を導入している自治体の大半が設置しているが、その背景には、分譲マンションの所有者の財産権への配慮や建替えが進まないことによる建物の不良ストック化を防ぐねらいがある。

<地区計画・景観地区区域内の適用除外措置>

また、それ以外の例外措置としては、地区計画・景観地区指定区域における適用除外が規定されている。

地区レベルの詳細なルールを定めるツールである地区計画や景観地区において高さの最高限度を定めた場合は、地区計画や景観地区の制限内容が優先されるという意味である。

つまり、地区計画で35mより高い数値を設定すれば、高度地区の制限が緩和されることになり、逆に高度地区より低い数値を設定した場合は、その厳しい制限値が適用されるわけである。

ただし、庭園からの眺望景観保全という趣旨からすると、35mの数値を緩和する地区計画や景観地区が指定される可能性はほとんどないと言えるだろう。

■旧古河庭園周辺高度地区の特徴

旧古河庭園周辺高度地区の特徴をまとめると、以下のように整理できる。

1)東京都景観計画に旧古河庭園からの眺望景観保全が位置づけられ、計画で規定された定性的基準をより強制力のある手法で担保するために、高度地区が指定された。

2)高度地区指定の目的には、眺望景観保全だけではなく、高層マンションによる後背住宅地の住環境の悪化を予防する意図もあった。

3)高度地区の指定エリアは、特に高層建築物の建設が想定される本郷通り沿いの高容積が指定された商業地域・近隣商業地域に限定しているが、今回のスポット的な指定をきっかけとして、周辺エリアもしくは区全域への拡大も視野に入れていること。

4)35mという数値は、庭園からの眺望景観保全という観点では必ずしも十分とは言えないが、都市計画マスタープランに本郷通り沿道が高度利用を図るエリアとして位置付けられているため、一定の高度利用を許容する必要から導かれた高さであった。

5)高度地区の定量的基準(35m)を遵守する建物であるが、東京都景観計画による定性的基準(例:庭園外周部の樹木の高さを著しく超えない)を満たさない場合はどのように判断されるのかといった課題があると思われる。

古都大津の歴史的景観を守るための高さ規制 ―その1 1973年と2004年の高度地区指定―

2010(平成22)年3月、大津市の「市街地の高度利用のあり方検討委員会」が、古都大津にふさわしい高さ規制のあり方に関する提言書「近江新八景ルール」を目片信・大津市長に提出した。

「近江新八景ルール」とは、地域ごとにメリハリのある高さ制限(高度地区)をかけることにより、古都大津の景観と都市の賑わい・発展との調和を目指すものである。

これまで大津市では、1973(昭和48)年に住居系地域を中心に絶対高さ型高度地区を指定しており、2004(平成16)年にも石山寺周辺地域における追加指定を行っている。

では、従来の高度地区と「近江新八景ルール」による高さ制限との違いはどこにあるのだろうか。

そこで、今回はまず従来の大津市における高度地区の内容を紹介し、それを踏まえた上で、次回「近江新八景ルール」による高さ制限の特徴を見ていく。

■1973年高度地区:住居系地域・琵琶湖周辺を対象とした高度地区の指定

①1973年高度地区の指定理由・目的

大津市では、1970年に改正された建築基準法に基づき、1972(昭和47)年に用途地域を全面的に見直している。

しかし、従来の絶対高さ制限(住居地域20m、住居系以外31m)が廃止されたことにより、高層建築物による日照、通風、電波障害等の問題とともに、高層建築物と低層建築物の混在による市街地景観の混乱が問題となっていた。

そこで、1973(昭和48)年12月15日に、1)住環境の保全、2)自然環境と歴史的景観との調和を目的として、住居系用途地域全域に3種類の絶対高さ型高度地区が指定された。

1970年代初頭と言えば、全国的に日照紛争が社会問題化していた時期である。

そのため、この時期に高度地区を導入した他都市の多くは、日照・通風等の確保目的として、「絶対高さ型」ではなく「北側斜線型」を採用していた(北海道、東京都、千葉県、大阪府、兵庫県、福岡県内の各都市)。

しかし、大津市は絶対高さ制限と北側斜線制限を併用した絶対高さ型高度地区を導入した(京都市、横浜市、川崎市、名古屋市も絶対高さ型を指定)。

その理由は、大津市の場合、日照、通風等の確保による住環境の保全とともに、琵琶湖や比叡山、比良連峰等をはじめとする古都の豊かな自然環境と歴史的景観の保全も主要な目的の一つであったためである。

具体的には、以下の3つの眺望景観の確保を目指して高度地区が指定された。

1)琵琶湖上から湖岸を眺めた時に市街地の建物越しに山腹の歴史的建築物を望見できること(湖から山への見上げ景)、

2)東海道自然歩道から、市街地の建物越しに琵琶湖の湖面と対岸の山並みの緑を望見できること(山から湖への見下ろし景)、

3)市街地から比叡山と比良連峰を望見できること(市街地から山への見上げ景)、

②1973年高度地区の制限内容

この時指定された高度地区は第1種10m、第2種15m、第3種20mの3種類であり、いずれも北側斜線制限も併用されている(表1)。

第1種高度地区は、主に第1種住居専用地域や琵琶湖の湖岸エリアを対象に、絶対高さが10mに制限された。

ただし、第1種住居専用地域(現在の低層住居専用地域に該当)には、既に10mの制限がかかっているため、高度地区の指定は北側斜線制限の強化を目的としたものである(第1種住居専用地域の北側斜線は立ち上がり5m+勾配1:1.25)。

第2種高度地区は、絶対高さが15mに制限され、主に第2種住居専用地域(現在の中高層住居専用地域に該当)に指定されている。

第3種高度地区は、絶対高さが20mで、主に住居地域に指定された。これはいわば旧建築基準法の住居地域における20mの高さ制限を継承した規制といえる。

この時の高度地区は、住居系用途地域が対象であり、商業系・工業系用途地域は除外された。

そのため、上述した眺望景観(見上げ景景、見下ろし景)を確保するには十分ではなく、高さ136.7mの大津プリンスホテルが1989(平成元)年に竣工した際は、景観論争を呼んだ。

 表1 1973年高度地区の内容

高度地区種別

絶対高さ

北側斜線

指定範囲

第1種高度地区

10m

立ち上がり5m

勾配1:0.6

・ 第1種住居専用地域(現在の低層住居専用地域)・  琵琶湖沿いの湖岸エリアの第2種住居専用地域(現在の中高層住居専用地域に該当)や住居地域

第2種高度地区

15m

立ち上がり7.5m

勾配1:0.6

・  主に第2種住居専用地域

第3種高度地区

20m

立ち上がり10m

勾配1:0.6

・   主に住居地域

■2004年高度地区追加指定:石山寺周辺の商業地域を15mに制限

①高度地区拡大の背景

<石山寺参道で発生したマンション問題>

伽藍山と瀬田川に挟まれた石山寺周辺は、石山寺と瀬田の唐橋は歌川広重の浮世絵「近江八景」に描かれた景勝地として知られる(写真1・2)。

京阪電車(石山坂本線)の石山寺駅から石山寺の山門までの参道には、古くから参詣客のための旅館が軒を連ねている(写真3)。

1999(平成11)年に旅館の一つが廃業し、その跡地(敷地面積約2,000㎡)が競売にかかると、不動産業者が2003(平成15)年5月に落札した。

不動産業者が高さ10階建てのマンション建設を計画していることが明らかになると、周辺住民から近江八景に数えられる歴史的景観を後世に残していくべきとして反対の声が上がり、 同年6月26日には、石山観光協会と石山学区生活環境整備促進協議会が、高さ制限の実施を求めて、大津市に要望書を提出した。

 

<景観形成専門委員会の提言>

2003(平成15)年6月26日(上述した要望書の提出と同日)、大津市都市計画審議会の景観形成専門委員会が、石山寺周辺の商業地域に高さ15mの高度地区を指定し、歴史的景観と調和したまち並み景観を保全・形成することが必要であるとの提言を行った(表2)。

この景観形成専門委員会は、もともと古都保存法に基づく古都指定を目指して設置された委員会である。

石山寺周辺のマンション問題に先立つ2002(平成14)年末には、第一次報告書を提出し、大津市を古都保存法に基づく古都に指定するよう国に要望することを提言していた。

第一次報告書の提言では、市内4区域を古都保存法の歴史的風土保存区域に指定する動きが進んでおり、マンション問題が起きた石山寺・瀬田川周辺も指定区域の一つとして検討されていた。

つまり、歴史的風土保存区域の指定が検討される中、偶然高層マンション問題が重なり、その結果、石山寺周辺の歴史的景観保全の重要性や緊急性が強く認識され、高度地区の指定が推し進められることとなった。

表2 大津市都市計画審議会景観形成専門委員会第二次報告(抜粋)

大津市都市計画審議会景観形成専門委員会第二次報告―古都指定に備えた風致景観の保全等について(平成15年6月26日)

3.石山寺周辺地域における風致景観の保全

「伽藍山と瀬田川に挟まれた、都市計画道路石山寺辺南郷線沿道は、現在商業地域(建蔽率80%、容積率400%)が指定されており、低層の宿泊施設や商業施設が建ち並び風格があるまち並みが形成されている。この地域は、背後の伽藍山と前面の瀬田川が織り成す自然景観、これと一体となり石山寺を中心に形成される歴史的景観の一部を成す、まち並み景観を保全することが求められる。そのため、都市計画道路石山寺辺南郷線沿道(商業地域)のうち、伽藍山風致地区に接する地域において、建物高さの最高限度を15mとする高度地区を指定することにより、高層建築を規制するとともに、歴史的景観と調和したまち並み景観を保全・形成することが必要である。また、高度地区の指定に併せて、現在指定されている商業地域の容積率の見直しについても検討することが必要である。」

②石山寺周辺地区高度地区の内容

大津市は、景観形成専門委員会の提言を受けて、2004(平成16)年3月に伽藍山風致地区と瀬田川風致地区に挟まれた石山寺周辺地区の商業地域(容積率400%)の一部を第4種高度地区(15m)に指定した。

高さ制限値15mは既存の第2種高度地区と同じ高さであるが、北側斜線制限はなく、絶対高さのみである。

この数値は、既存不適格建築物が出ない高さと旅館の機能が確保できる高さから導かれたものであるが、大津市内の風致地区における高さ制限値が15mであることも関係していると思われる。

また、第4種高度地区の指定にあわせて、指定区域の容積率が400%から300%にダウンゾーニングしている点も大きな特徴である。

以前の建築基準法では、商業地域において指定可能な容積率の下限は400%であったために、石山寺周辺の商業地域も400%に指定されていたと思われるが、1992(平成4)年の建築基準法改正により、200%と300%のメニューが追加された。

こうした法改正も踏まえて、石山寺周辺においても、高度地区の高さ制限とバランスのとれた指定容積率の再設定を行ったと思われる。

以上、住居系用途地域における広域的な高度地区指定と、石山寺周辺における景観保全を目的とした高度地区の指定の動きを見てきた。

いわば、1973年高度地区は広域的な一般規制であり、2004年高度地区はスポット的な景観規制といえる。

この一般規制と個別規制の二段階の考え方は、実は「近江新八景ルール」の高さ規制の考え方に活かされているわけであるが、その内容については次回紹介する。

表3 2004年高度地区追加指定を巡る動き

出来事

1999年秋 料理旅館「三日月楼」廃業
2002年末 大津市都市計画審議会景観形成専門委員会第一次報告
2003年5月 不動産会社が旅館跡地を落札。10階建てマンションを計画。
2003年6月26日 大津市都市計画審議会景観形成専門委員会第二次報告石山寺沿道の商業地域を高さ15mの高さ制限を実施するように提言。

同日

石山観光協会と石山学区生活環境整備促進協議会が高さ制限の早期実施を求める要望書を大津市に提出。
2003年10月 大津市が古都に指定される
2004年3月15日 大津市が石山寺周辺の商業地域に高さ15mの高度地区を指定。

[参考資料]

○大津市資料「高度地区の指定について」(※1973年指定)

大津市における高度地区(大津市ホームページ)

○大津市都市計画審議会景観形成専門委員会第二次報告―古都指定に備えた風致景観の保全等について(平成15年6月26日)

近江新八景ルール(大津市ホームページ)

高層建築物としての天守閣の意味について(その3)戦後復興期~現在(城下町の高さ制限)

■戦後復興のシンボル

第二次世界大戦時の米軍による空襲により、多くの天守閣が消失した。

戦後、昭和30年代前半に各地で天守閣の復元が進み、『昭和築城ブーム』と呼ばれることになる(表1)。

これは1956(昭和31)年の経済白書に「もはや戦後ではない」と記された時期と重なり、再建された天守閣は復興を遂げた町のシンボルなった。

ちなみに、天守の復元とはオリジナルに忠実に再建するものを指し、オリジナルと大きく異なるものは「復興天守」、天守がなかった場所につくられたものは「模擬天守」と呼ばれる。

復興天守閣はRC造のものが大部分であることに加え、本来存在しなかった展望台が設置されるケースもあったことから、史実に反するとして批判されることもあった。

しかし、再建された城は、「敗戦後の城下町住民に精神的な拠り所を提供し、かつ観光資源として経済的効果を生み出す」ことが期待され、市民や地元の商工関係者から歓迎されたという。

その後、昭和50年代以降においても、城の再建を目指す市町村が増えていったが、昭和30年代初頭の「昭和築城ブーム」と異なる点があった。

それは、RC造ではなく木造により復元するものが多かったことと、観光振興にとどまらず、景観整備により町の質の向上を目指したことであった。

■天守閣の景観保全

城周辺の景観整備の手法として、近年、天守閣への眺望や周辺の景観を保全するために高さ規制をする例がある。

江戸時代から天守閣が残る12城(松本城、犬山城、彦根城、丸岡城、姫路城、松江城、丸亀城、備中松山城、松山城、宇和島城、高知城)のうち、7つの城下町において、高度地区もしくは景観法に基づく景観計画により建物の高さを規制している。

現在、高度地区による規制の例としては、松本市、丸亀市、小田原市、高知市、唐津市、諏訪市(高島城)等があり、景観計画としては、松本市、彦根市、犬山市、姫路市等が見られる。

また、天守閣は現存しないが、城跡の景観保全を目的とした高さ制限の例としては、佐賀城公園(佐賀市)、鶴岡城址公園(鶴岡市)、金沢城周辺(金沢市)における高度地区の指定がある。

<松本市における高度地区・景観計画による高さ制限>

松本市では、2001(平成13)年に、国宝の松本城とその背景の北アルプス等の山並みへの眺望を保全するために、城周辺の約32.6haを法的拘束力のある高度地区に指定している。

さらに、2008(平成20)年4月からは景観法に基づく景観計画を策定し、ほぼ市全域を対象に高さ制限を行っている。

用途地域にあわせて10m、12m、15m、20m、25m、29.4mの6段階の高さ制限を行っているが、この29.4mは松本城の天守閣の高さであり、市の象徴である松本城を超える建物が建たないように規制しているわけである。

 

以上、3回に分けて天守閣の意味について見てきたが、高層建築物としての天守閣は、権力の象徴、軍事的機能から、戦災復興の象徴、景観・観光資源へと、その意味・役割を変遷させてきた。

また、従来は天守閣単体の保全・再建が中心であったが、近年の景観規制に見るように、天守閣を含めた一体的な町の景観保全へと考え方が拡大してきている点が特徴といえるだろう。

高層建築物としての天守閣の意味について(その1)近世における天守閣

高層建築物としての天守閣の意味について(その2)徳川幕府瓦解~戦前にかけての天守閣

[参考文献]

藤尾直史(2006)「天守の復元とその周辺」鈴木博之編『復元思想の社会史』建築資料研究社

木下直之(2007)『わたしの城下町:天守閣からみえる戦後の日本』筑摩書房

藤岡通夫(1988)『城と城下町』中央公論美術出版

鹿児島市城山周辺地区における高度地区の拡大 :その2 2010年の高度地区見直しについて

前回(その1)では、1991年に指定された城山周辺地区での高度地区の経緯を概観したが、今回は、2010年に実施された高度地区区域の拡大の背景とその特徴を見ていきたい。

鹿児島市城山周辺地区における高度地区の拡大 -その1-

■高度地区拡大の背景 

①鹿児島市景観計画(2008年)との整合

高度地区拡大の背景の一つは、2008(平成20)年に策定された鹿児島市景観計画の中で、城山周辺の「歴史と文化の道地区」が、景観形成に重点的に取り組む「景観形成重点地区候補地」に選定されたことである。

もともと城山周辺の国道10号沿道においては、1987(昭和62)年度から1991(平成3)年度にかけて、「歴史と文化の道整備事業」が実施され、石張舗装やイヌマキの植栽、ガス灯設置、花壇整備、親水水路整備や錦鯉の放流など、主に公共施設の整備により歴史的な佇まいを持つ沿道景観の形成が図られてきた(写真1)。

写真1 歴史と文化の道

写真1 歴史と文化の道

一方、道路のハード整備だけではなく、1991(平成3)年には国道10号線の西側では、「城山周辺地区景観風致保全指導要綱」が策定され、高さ20mの制限をはじめとする景観形成基準により沿道の建築物が誘導されることになった(詳細はその1参照)。

うち高さについては都市計画法に基づく高度地区に移行し、法的拘束力を持つ規制となっている。

しかし、「歴史と文化の道」を一体的な通り景観として形成するためには、国道10号線の西側だけではなく、東側も含めて建築物を誘導する必要が生じてきた。

そこで、景観計画の中で歴史と文化の道地区が景観形成重点地区候補地に位置付けられたわけだが、まだ具体的な地区指定の動きがないことから、まずは高度地区のエリアと歴史と文化の道地区のエリアとの整合を図るために高度地区の拡大が行われることになった。

②高度地区周辺における高層建築物(裁判所)の建設

高度地区拡大のもう一つの背景には、周辺における高層建築物の増加も挙げられる。

2003(平成15)年、高度地区が指定されていない国道10号線の東側の街区において、鹿児島地方裁判所の庁舎が地上6階、20mを超える建物に建替えられた。

地区の大部分は官公庁施設であるものの、財政難の折、公有財産の有効活用が全国的な潮流としてあるため、官庁施設の高度利用もしくは民間への売却による高層建築物の建設が進む可能性がある。

国道10号線の東側で高層建築物の立地が進むと、「歴史と文化の道」の一体的な通り景観が損なわれてしまうことが懸念され、国道10号線の東側における高さ制限が喫緊の課題になっていた。

 

■高度地区拡大の内容

新たにつくられた景観計画との整合及び高層建築物の増加に対処し、「歴史と文化の道地区」のまとまりのある通り景観を形成することを目的として、城山周辺地区高度地区が拡大されることになった。

新たに拡大する高度地区の区域は、国道10号線の東側の街区約8haであり、従前の区域(約17ha)と併せると計約25haとなる。また、高さ制限値は従来と同様の20mである。

現在、都市計画決定の手続き中であり、3月に告示予定とのことである。

 

■今回の高度地区拡大の特徴 

景観まちづくりの先導的な役割としての高度地区

前述のように、「歴史と文化の道地区」は、あくまで景観形成重点地区の「候補地」である。

市の景観行政の基本スタンスは、住民主体のボトムアップによる計画策定であるため、今後、地元住民と行政が地区指定に向けて協議を行っていくことになる。

しかし、現時点では具体的な地区指定の動きがないため、まずは喫緊の課題であった高さについては高度地区拡大という形で行政が先手を打ち、それを契機に地元の意識を喚起させ、地区指定の機運を盛り上げていきたいという市のねらいもあったようである。

もちろん良好な景観は高さのコントロールだけでは実現できないが、まずできることから積極的に行政が働きかけ(高度地区の拡大)、次の展開(景観形成重点地区の指定)へと繋げていこうとする鹿児島市の姿勢は、他都市においても参考になると思われる。

 

景観まちづくりは地元が主体となって決めていくことが望ましいが、建築紛争といったきっかけがなければ、住民に危機意識が生まれないのも実態である。

したがって、地元の動きを待つだけではなく、必要に応じて地元への働きかけを行うことがこれからの行政には求められると思われる。

※なお、鹿児島市景観計画においては、城山展望台から桜島を望む眺望景観と錦江湾から城山を望む眺望景観を保全するために高さ制限が実施されているが、この内容については後日紹介する。

<参考文献>

鹿児島市景観計画

 

鹿児島市城山周辺地区における高度地区の拡大 :その1 1991年の高度地区指定について

鹿児島市のランドマークである城山の周辺では、城山の緑地への眺めや旧鶴丸城跡をはじめとする歴史的・文化的環境を保全するために、高さを20mに制限する高度地区が指定されている。

そして、2010(平成22)年には、景観計画に位置づけられた「歴史と文化の道」エリア一帯の景観保全を目的として、高度地区の指定区域が拡大されることになった。

以下では、2回に分けて鹿児島市高度地区について紹介する。

その1では1991(平成3)年に指定された高度地区(以下、1991年高度地区)の指定の経緯を、その2では2010(平成22)年に予定する高度地区拡大(以下、2010年高度地区)の内容や背景を見ていく。

■城山地区の概要

①城山について

鹿児島市の中心に位置する城山は、都心における貴重な自然を有する標高107mの小高い山であるとともに、西南戦争の最後の激戦地としても知られ、1931(昭和6)年には国の史跡及び天然記念物に指定されている。

城山の展望台からは、鹿児島のシンボルである桜島や錦江湾、鹿児島市街地を一望することができることから、多くの市民や観光客が訪れる場所となっている(写真1)。

貴重な自然的・歴史的な資源である城山は、鹿児島市を代表するランドマークとして市民に親しまれる存在となっている。

城山展望台

写真1 城山展望台から桜島を望む

 

 

 

 

 

 

 

 

②城山周辺エリアについて

城山の麓の城山周辺地区には、主に官公庁施設や教育・文化施設が立地している(写真2)。

南北に走る国道10号線の西側(城山側)には、旧鶴丸城跡、県立博物館、市立美術館、かごしま近代文学館・メルヘン間、県立図書館といった歴史・文化施設が集積するとともに、閑静な住宅地が存在している。また、国道10号線の東側には裁判所、市役所、小学校等の公共施設が多く立地している。

城山周辺地区

写真2 城山周辺地区(左側の緑が城山)

 

■1991年の高度地区指定の経緯

①高さ60mのマンションを巡る紛争と景観風致保全指導要綱の策定

1991(平成3)年7月1日、城山と国道10号線に挟まれた地区約17haにおいて、高さ20mの高度地区が指定された。

高さ制限のきっかけは、同年1月に、高さ61.9m、18階建てマンションの建設計画が明らかになったことである。

城山の斜面緑地への眺めが阻害されるとして、地元住民から反対の声が上がったことから、鹿児島市は「城山周辺地区景観風致保全指導要綱」を2月に施行した。

要綱は、建物の高さを20mに制限するとともに、景観形成基準を位置づけたものであった。

高さ制限値20mの根拠は、1)当時、地区内の最も高い建物が20.49m(県立図書館の視聴覚センター)であったこと、2)地区は住居系用途地域であり、旧建築基準法の住居地域における絶対高さ制限が20mであったこと等であった(現在、地区の用途地域は、第2種住居地域で容積率200%及び300%)。

反対運動を受けて、マンション事業者は、高さ14階、50mに計画変更をしたものの、要綱による高さ制限が実施されることになったため、翌3月、開発計画を白紙撤回し、紛争はひとまず収束した。

②要綱から高度地区への移行

マンションの白紙撤回という形で問題は解決したものの、現行の規制のままでは、今後も同様の問題が起こる可能性があった。

そこで鹿児島市は、要綱の対象エリアを都市計画法に基づく高度地区に指定する必要があると判断し、4月に住民説明会を開催する。

高度地区原案の内容は、要綱と同じく建物の最高限度を20mに制限するものであった。

その後、都市計画決定の手続きが進み、6月12日に県都市計画地方審議会で原案どおり可決され、同月26日には県知事も承認した。

可決にあたって、県都市計画地方審議会からは「当該地域に権利を有する住民の理解と協力が得られるよう今後とも十分話し合いをすること」との要望が出され、県土木部長から市長宛にも同様の要望が通知された。

こうした要望を受け、同月27日に市は地元住民に対し「お知らせ会」を開催している。

しかし、出席した地権者からは、「市は住民の意向を聴かずに地区指定を進めた」として、高度地区指定に反対する意見が多数出された。

賛否は分かれたものの、市は高度地区の必要性を強調し、1991(平成3)年7月1日に、高さを20mに制限する城山周辺高度地区17haが告示された。

翌1992(平成4)年5月に、市はマンション用地跡地を購入し、跡地にはかごしま近代文学館・メルヘン館を建設している。

このことから、マンション事業者が建設を断念した背景には、規制の強化ばかりでなく、市による用地購入が前提にあったのではないかとも思われる。

表 鹿児島市城山周辺地区高度地区指定の経緯

鹿児島市高度地区年表

 

■1991年高度地区の特徴

①エリアを限定した高さ制限(スポット的な高度地区の指定)

城山周辺地区(17ha)のみに指定したスポット的な規制である点が特徴である。

現在は、松本城周辺(01年)、丸亀城周辺(02年)、佐賀城公園周辺(02年)、岐阜市金華山周辺(03年)、諏訪湖周辺(05年)、高知城周辺(06年)等、歴史的・自然的景観保全を目的としたスポット指定の高度地区は増えているものの、この時点でのスポット指定は、伊勢市(39年)、函館市(91年)などわずかであった。

②法的拘束力のない要綱から強制力を持つ高度地区への移行

行政の対応の早さも1991年高度地区の特徴である。

マンション問題が持ち上がってから、僅か1ヶ月で要綱を作成し、さらに半年弱でより強制力のある高度地区に移行している。

しかし、対応の早さと裏腹に、住民との話し合いが不十分であったため、高度地区の決定時には賛否が分かれた。

高さ制限は、住民が望んだ規制でもあったはずなのだが、その一方で住民は地権者でもあることが、賛否がわかれた理由として挙げられる。

周辺に高層マンションが建つのは反対だが、高さ制限により自らの権利を制限されたくはないという地権者が少なくなかったのである。

住民は良好な住環境を享受する主体であると同時に、土地を活用した経済活動を担う主体でもある。ここに高さ制限の困難さがあるといえるだろう。

マンション問題が、高度地区指定前に、事業者による白紙撤回という形で解決してしまったために、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ではないけれども、高さ制限が「環境を守る手段」ではなく、「権利を奪う規制」としての側面が強く住民に認識されてしまったのかもしれない。

住民の合意形成に苦労した例ではあるものの、実効性のある紛争抑止には、要綱ではなく高度地区のような強制力のある高さ制限が必要であると認識し、早期段階から積極的に行動した市の姿勢は評価されるのではないか。

 

次回は、2010(平成22)年に予定されている高度地区拡大の経緯と内容について詳しく紹介する。

鹿児島市城山周辺地区における高度地区の拡大 -その2 2010年の高度地区見直しについて-

 

[参考文献]

○南日本新聞(1991年から1992年にかけての関連記事)

○鹿児島市高度地区関連資料