1 高さ制限とまちづくり, 2 高層建築物の歴史

歴史的建造物としての東京タワー

■都心に埋没する東京タワー

東京タワーは、首都圏のテレビ局の集約電波塔として1958(昭和33)年に完成した。

東京タワーの高さは、エッフェル塔の高さを上回る333m。この数値はパリのエッフェル塔を超える世界一の高さを目指して決められたとの話もあるが、実際は技術的観点から決定したという。

2010(平成22)年現在、東京タワーは都内で最も高い建造物であるが、近年の都心部における大規模ビルの林立により、その存在は目立たなくなりつつある。

ここで、1968(昭和43)年に出版されたケヴィン・リンチの『都市のイメージ』の巻末に掲載された訳者富田玲子の解説を紹介したい。

そこには、低層の家並みが広がる市街地に東京タワーが屹立する写真が示され、「まわり中に36階建のビルディングが並んだら、ランドマークでなくなるだろう」との文章が添えられている。

この「36階建」とは、100mを超える日本初の高層ビル、霞が関ビルの階数と同じだ。霞が関ビルは、日本語版「都市のイメージ」が出版された年に竣工した日本初の100mを超える高層ビルである。

当時、東京で100mを超える建造物は、東京タワーと霞が関ビルのみであった。そのため、東京タワーはどこからも見えるランドマークとして機能していた。

そして40年後の現在、東京タワーは超高層ビルが林立する都心のスカイラインの中に埋没しており、富田の予想が現実のものとなりつつある(東京都建築統計年報によると、2007年時点での東京都区部における100m超の建築物は計315棟)。

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写真 隅田川からみた東京タワー

 

■文化財としての東京タワー

現在、墨田区押上に高さ634mの東京スカイツリーが建設中であり、2012(平成24)年には開業が予定されている。

本家東京タワーが、視覚的ランドマークとしての役割ばかりでなく、本来の電波塔としての役割も終えようとしている[※ただし、スカイツリーのバックアップとしての役割が残るほか、一部FM放送は引き続き東京タワーから送信されるという。2012年5月28日追記]

一方、近年、小説や映画などでは、昭和の象徴として東京タワーが取り上げられ、懐かしさや郷愁をもたらす存在になりつつあるように見受けられる。

また、東京タワーは、2008(平成20)年に50周年を迎え、文化財保護法に基づく登録有形文化財の登録も可能となった※。

つまり、東京タワーは、「先進性の象徴」から「歴史的な建造物」へと移行する過渡期にあるといえるだろう。

 

※文部科学省が告示した登録有形文化財登録基準には、建築物、土木構造物及びその他の工作物のうち、原則として建設後50年を経過し、かつ、(1)国土の歴史的景観に寄与しているもの(2) 造形の規範となっているもの(3) 再現することが容易でないもの、のいずれかに該当することとされている。

なお、1954(昭和29)年完成の名古屋テレビ塔は、2005(平成17)年に登録有形文化財に指定されている。

また、2012年12月14日、文化審議会が東京タワーを登録文化財にするよう答申を行った[2013年3月28日追記]。

 

<参考>景観施策と東京タワー

東京タワーが位置する港区は、2009年に景観法に基づく景観計画を策定しており、その中には、東京タワーをランドマークとして際立たせるための方針や基準も定めている。

また、景観法では、地域の景観資源となる建造物を保全するための制度として景観重要建造物制度がある。港区景観計画には、景観重要建造物はまだ指定されていないようであるが、今後東京タワーが景観重要建造物として位置づけられることもあるかもしれない。

港区景観計画

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[参考文献]

○INAXギャラリー企画委員会タワー(2006)『内藤多仲と三塔物語』 INAX 出版(INAX BOOKLET)

○ケヴィン・リンチ(2007)『新装版 都市のイメージ』岩波書店