1 高さ制限とまちづくり, 3 景観まちづくり, お知らせ

広島市景観シンポジウム:原爆ドームの眺望景観保全について

現在、広島市は、原爆ドームを望む眺望景観の保全に取り組んでいます。

平和記念公園の景観的な骨格は、平和記念資料館~原爆死没者慰霊碑~原爆ドームを一直線で結ぶ南北軸です。

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平和記念資料館から南北軸を望む(2013年8月6日撮影)

 

軸線上から原爆ドームを眺めた時、その背後に見える商工会議所のビル等が景観を損ねているとの指摘は以前からありました。

しかし、南北軸の景観保全の機運が高まった直接的なきっかけは、2016年5月のオバマ米大統領(当時)の広島訪問です。

慰霊碑と原爆ドームをバックにスピーチをするオバマ大統領の映像は、世界中に発信されました。ところが、原爆ドームの背後に建物が大きく写り込んでいたことが市議会で問題視されたのです。

その後、世界遺産にふさわしい景観のあり方が検討されることとなり、原爆ドームを望む眺望景観を守るために建築物の高さ制限が実施されることになりました。

原爆ドームの眺望景観保全の方向性が固まったことを受けて、2019年2月9日(土)に景観シンポジウムが開催されます。

私もパネルディスカッションに登壇します。

興味のある方は是非ご参加ください。

シンポジウムの概要は以下のとおりです。

○広島市ホームページ

http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1389745071418/index.html

○景観シンポジウムのチラシ

クリックしてshinpojiumuchirrashi.pdfにアクセス

 

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広島市景観シンポジウム9 『広島の景観 これまでとこれから』

主 催:広島市

日 時:平成31年(2019年)2月9日(土)13:30~16:00(パネル展示は13:00~16:30)

場 所:広島平和記念資料館東館(広島市中区中島町1-2)地下1階 メモリアルホール

参加料:無料 先着300名

申込方法:お名前、連絡先(電話番号、FAX番号、E-mailアドレスなど)を次の方法でご連絡ください。

※シンポジウム中は手話通訳者が配置されます。

※特別な配慮を必要とする方は、合わせてお知らせください。

・Eメール(urban-d@city.hiroshima.lg.jp)

・FAX 082-504-2512

・TEL 082-504-2277(8:30~17:15)

プログラム(敬称略):

《第1部》 プロローグ(景観施策紹介)「『原爆ドーム及び平和記念公園周辺の眺望景観のあり方』など」

萬ヶ原 伸二 (広島市都市整備局都市計画担当部長)

 

《第2部》 基調講演「『聖地都市』としての広島」

杉本 俊多 (広島大学名誉教授)

 

《第3部》 パネルディスカッション「広島の景観 これまでとこれから」

・パネリスト

森保 洋之 (広島工業大学名誉教授)

大澤 昭彦 (高崎経済大学准教授)

松井 一實 (広島市長)

・コーディネーター

渡邉 一成 (福山市立大学教授)

1 高さ制限とまちづくり, 1-2 景観計画の事例, 3 景観まちづくり

「高さ」から見た広島の新サッカースタジアム問題

広島市でサッカー専用スタジアムの建設が計画されているが、その場所がなかなか決まらない。

新スタジアムを利用する予定のJリーグのサンフレッチェ広島は、市中心部の広島市民球場跡地を要望しているが、広島県、広島市、商工会議所は、市南部に位置する「広島みなと公園」で建設を進めたいようだ。

利便性を考えれば、市中心部から7km離れた「広島みなと公園」ではなく、繁華街に近い市民球場跡地の方が適切であろう。

そもそも、サンフレッチェ広島のホームスタジアムである「エディオンスタジアム広島(広島ビッグアーチ)」のアクセスが悪いことも、新スタジアム建設の機運が高まった一因になっているのだ。

□広島市民球場跡地案が難しい理由

ところが、行政側は市民球場跡地案に難色を示している。どうやら、さまざまな開発利権が絡んでいるようであるが、正確なことは知りようもないので、この点にはふれない。

行政側が作成した「サッカースタジアムに係る事業の実現可能性調査」によると、市民球場跡地案の問題点の一つが、建築物の高さ制限に対応するために事業費がかさんでしまうことであるようだ。

仮に国際大会を誘致するために必要な3万人規模のスタジアムをつくろうとすると、市民球場跡地の周辺でかけられている高さ制限がネックとなる。高さ制限を満たすためには、地面を掘り込んで、地上に出る部分をできるだけ低く抑える必要が出てくるわけだ。

その掘り込み費用に99.4億円かかり、総建設費が約260億円に跳ね上がるという。広島みなと公園案での建設費が約180億円であるから、80億ほど高くなる計算だ。なお、今年完成したガンバ大阪の本拠地「吹田スタジアム」の総建設費140億円と比べると、ほぼ倍である。

ここで気になることが2点ある。

市民球場跡地でのスタジアム建設の障壁の一つになっているという建築物の高さ制限とは何か。もう一つは、掘り込む作業に100億円もの費用がかかるのだろうかという点である。

□広島市の高さ制限とは?

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市民球場跡地の南側に、原爆犠牲者を鎮魂する平和記念公園が位置する。公園内には被爆や平和のシンボルともいえる原爆ドームがあり、1996年にユネスコの世界文化遺産に登録された。

世界遺産に登録されると、登録資産である原爆ドームの保存はもちろん、その周辺環境(バッファー・ゾーン=緩衝地帯)も守ることが求められる。原爆ドームのバッファー・ゾーンは、平和記念公園の周辺約50mまでが指定されており、その中に市民球場跡地の一部も含まれる。

このバーファー・ゾーンに、市民球場跡地一帯を加えたエリアで、前述の高さ制限が指定されている。市が策定した「景観法に基づく届出等に係る事前協議制度に関する取扱要綱」を根拠とするものだ(1)。

高さ制限は、20m、25m、37.5m、50mの4種類。市民球場跡地には、20mと25mの制限がかけられている。

跡地は原爆ドームに近接しているため、その高さ25mを超えないように制限し、原爆ドームの存在を際立たせようとしているわけである。

世界遺産を中心とする景観は、広島市だけでなく、世界にとっての大きな共有財産である。その財産を守るための制限は、必要なものといえるだろう(2)。

原爆ドーム周辺高さ制限図
平和記念公園周辺の高さ制限図(出典:広島市資料)

□高さ制限はスタジアム建設を妨げるのか?:マインツ・コファス・アレーナの例

それでは、25mという高さ制限は、スタジアム建設の支障になるのだろうか。

行政側が示した市民球場跡地でつくった場合のスタジアム案の地上高さは25m。高さ制限の範囲内に抑えられている。その分、7.3m掘り込むことで、3万人の規模を確保している。その掘り込み費用が約100億円と試算されていることは先に述べた。

この100億円という額は妥当なものなのか。

海外の事例ではあるが、ドイツ・ブンデスリーガのマインツの本拠地、コファス・アレーナ(Coface arena)を紹介したい。

改めて説明するまでもないと思うが、マインツは、昨年まで岡崎慎司が所属し、現在は武藤嘉紀が主力選手として活躍していることで知られる。

コファス・アレーナは、2011年に完成したサッカー専用スタジアムである。収容人数は3万4千人。広島が想定する規模よりやや大きいが、ほぼ同程度といってもよい。スタジアムの一部を掘り込んでいるために、地上高さは30mに抑えられている。

昨年、現地に行ったのだが、スタジアムの中は高さ(深さ)を感じるものの、外から見ると圧迫感は少ない。

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ここで注目したいのが、建設費用だ。

コファス・アレーナの建設費は6000万ユーロ。1ユーロ120円で換算すると約72億円となる。当然ながら掘り込むための費用も含まれる。

もちろん、コファス・アレーナと広島を単純には比較できないだろう。例えば、コファス・アレーナと異なり、市民球場跡地は既成市街地の中にある。それゆえ、地中埋設物の移設・撤去等の費用を要するだろうし、河川沿いにあるために地盤も緩く、基礎工事費用がかさむのかもしれない。

様々な検討を重ねた上での100億円なのだろう。だが、コファス・アレーナの例を見てしまうと、さすがに100億円は高すぎるのではないかと感じてしまう。何とか安くする工夫の余地はないのだろうか。

一人のJリーグサポーターとしては、もし掘り込む費用に100億円もかからず、費用面の問題が解決可能であれば、市民球場跡地での建設を望む。景観にも配慮したスタジアムは、平和記念公園一帯の価値向上にも寄与するに違いない。

「サッカー観戦」とは、試合を見ることだけではなく、スタジアムやそれを取り巻く街全体を体感することでもある。都市の中心部にスタジアムがあることは、サッカー観戦の満足度を飛躍的に高めてくれるだろう。

市民球場跡地にスタジアムがつくられれば、今後計画される全国のサッカー専用スタジアムの立地に大きな影響を与えるはずだ。

言い過ぎかもしれないが、この広島の新スタジアム計画には、Jリーグの未来もかかっているのである。

【注】

(1)この要綱は、もともと1995年に「原爆ドーム及び平和記念公園周辺建築物等美観形成要綱」として策定された。なお、要綱に高さ制限が追加されたのは2006年。マンション問題を契機に実施されることになった。

(2) この高さ制限は、「要綱」である。つまり、法的根拠がないため強制力はない。あくまで行政が事業者等に基準の遵守を「お願い」するだけのものである。本来であれば、景観法に基づく景観計画や景観地区、都市計画法に基づく高度地区といった法的手法で担保すべきであるが、高さ制限のような権利制限が強い規制の場合、地権者間の合意形成が難しい。かつて、市は要綱の高さ制限を景観計画に移行させようとしたが、地元地権者の反対が強く、案を撤回した経緯がある。

【参考資料】

・サッカースタジアム実務者検証作業部会(広島県、広島市、広島商工会議所)「サッカースタジアムに係る事業の実現可能性調査」2016年4月20日

http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/1460547263945/simple/jitugenkanousei.pdf

・藤江直人「どうなる広島の新スタジアム問題」2016年4月24日 ※問題点が簡潔に整理されていて大変参考になる。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160423-00000001-wordleafs-socc

・コファス・アレーナに関する各種ホームページ

http://www.worldfootball.net/venues/coface-arena-mainz/1/

http://www.gvg-mainz.de/stadion/ (ドイツ語)

1 高さ制限とまちづくり, 1-3 海外における高さ制限, 2 高層建築物の歴史, 3 景観まちづくり

世界遺産サンクト・ペテルブルクにおける超高層ビル論争 ~国家的プロジェクトと景観問題~

今回は、ロシアのサンクト・ペテルブルクで起きた超高層ビル論争を紹介したい。

サンクト・ペテルブルクは世界遺産に登録された歴史地区を有する古都として知られる。

その歴史地区の近接地に計画された高さ396mの超高層ビルが、歴史的景観にそぐわないとして問題となった。

ところが、この超高層ビルは、プーチンやメドベージェフら新旧大統領が大きく関わる政府系企業・ガスプロムネフチの本社ビルとして計画されていた。いわば「国家プロジェクト」ともいえる超高層ビル開発だったことから問題は複雑化した。

以下で、その経緯や問題の論点を見ていきたい。

■サンクト・ペテルブルクの歴史地区と世界遺産登録

サンクト・ペテルブルクは18世紀初頭から1917年のロシア革命まで、ロシア帝国の首都であった。
ソ連時代にレニングラードと改称されたが、1991年のソ連崩壊後、元の名前に戻された。

市中心部の歴史地区には、ピョートル大帝(位1682~1725年)がイタリアなどの建築家を招いてつくった宮殿や教会等の壮麗な建築物群が残されている。

その歴史的な価値が認められ、1990年には世界遺産に登録された。

地区内の景観を保全するため、地区内の建物は、世界三大美術館の一つ、エルミタージュ美術館(冬の宮殿)の高さを超えないように規制されている。

その結果、歴史地区では整然とした街並みが保たれてきた。

■政府系企業による高さ396mの超高層ビル開発

2006年、その歴史地区の景観を大きく揺るがす超高層ビルの計画が明らかとなった。

ロシアの政府系天然ガス企業「ガスプロム」がサンクト・ペテルブルク市と共同で高さ396mの「ガスプロム・シティ」の建設を発表したのである。

当時、ガスプロムは、世界的な石油・天然ガス価格の高騰によって業績を拡大させていた。

その傘下企業、ガスプロムネフチの本社機能ビルとして計画されたのが、この超高層ビルだった。

サンクト・ペテルブルクは、ウラジミール・プーチン大統領の出身地である。そのため、このビルは「プーチン・タワー」とも揶揄されることとなる。

市の全額負担による建設への反発

建設計画が明らかになると、建設費用の捻出方法が問題視された。

サンクト・ペテルブルク市が建設費用を全額拠出し、完成後、ガスプロムネフチの所有になると発表されたため、世論の不評を買った。

市としてみれば、国内有数の企業を受け入れることで、税収の増加や再開発による経済効果を見込んだのだろう。

しかし、市の財源を一企業のために利用することへの反発は大きかった。

そこで、2007年6月、市の全額出資ではなく、ガスプロムネフチが51%、市が49%に変更された。

さらに、プロジェクトの名称も、一企業の名を冠した「ガスプロム・シティ」から、開発予定地の地区名である「オフタ・センター」へと変更されることとなった。

高層ビルが与える歴史的景観への影響

だが、問題はそれだけにとどまらなかった。

計画区域が世界遺産の歴史地区に隣接しており、高層ビルが歴史的景観に与える影響が懸念されたのである。

市内の高い建物といえば、ペトル・パウェル大聖堂(122.5m)や聖イサク聖堂(101.5m)などの歴史的建造物のほか、ソ連時代の1966年に建設されたサンクト・ペテルブルク・テレビ塔(高さ310m)くらいしかなかった。

このことからも、396mのオフタ・センターの大きさがわかるだろう。

さらに、ビルの高さだけでなく、場所も問題視された。

オフタ・センターは中心部からは約5キロ離れているものの、ネヴァ川を挟んで歴史地区に接している。

しかも、ロシア革命時に武装蜂起の作戦本部が設置された「スモーリヌイ」の対岸に位置していた。

象徴的な場所に隣接していたことが、反発をより助長したのである。

■ユネスコによる警告と高さ制限の強化

世界遺産登録を行ったユネスコは、高層ビル計画が歴史地区に隣接していることを懸念した。

そこで、2007年にバルボサ・ユネスコ事務局次長が、オフタ・センターの計画を進めるのであれば危機遺産リストへの登録も辞さないと警告した。

こうした動きを受け、2009年3月には市が建設予定地周辺に高さ100mの高さ制限をかけた。

この数値は、歴史地区のシンボルの一つである聖イサク大聖堂(高さ101.5m)の高さを超える建物を認めないことを意味する。

■一転、建築許可へ:プーチン、メドヴェージェフの庇護を受けた「国家プロジェクト」

ところが、同年9月、市の土地利用・建設委員会が、例外的に高さ403mまで認める決定を行い、翌10月にはマトビエンコ市長が建築を許可した。

当初の高さは396mであったことから、最終的に高さが17m上乗せされたことになる。

許可にあたって市側は、タワーは市中心部から離れた世界遺産区域外であるために景観上の影響は少なく、市の発展に必要な開発であると主張した。

なお、計画を許可したマトビエンコ市長はプーチンのKGB人脈に連なる人物である。

2008年に大統領に就任したドミートリー・メドヴェージェフも、プーチン同様にサンクト・ペテルブルク出身で、さらにプーチン大統領時代(一期目)にガスプロムの会長を務めたこともあった。

つまり、オフタ・センターはプーチン、メドベージェフといった強力な権力者の庇護のもとで推進されていた国家的プロジェクトだったのである。

■世論の反発とユネスコの勧告

しかし、世論を無視して高さ制限の緩和が強引に進められたことが一層の批判を呼ぶことになる。

まず、ロシアのアレクサンドル・アヴデーエフ文化相が、市長の建築許可を違法としたロシア文化財保護監督局の決定をサンクト・ペテルブルク検察に送付した。

同じ頃、建設に反対する市民約3000人が抗議デモを行い、世論調査でも建設反対が66%と全体の3分の2を占めた(賛成は20%)。

また、ユネスコもオフタ・センターの建設中断と代替地の検討を勧告する決議を行った。

■オフタ・センター開発地の移転決定、高さが463mへ

これらの反発を無視できなくなったのだろう。開発の動きに変化が生まれる。

2010年10月、当時のメドヴェージェフ大統領が「スモーリヌイの隣に建てる必要はあるのか」と開発場所に疑問を呈し、さらに、ユネスコとの協議が完了してから建設を開始すべきとの見解を示した。

この発言が影響したのか、12月には、マトビエンコ市長がオフタ・センターの建設地を移転させることでガスプロムと合意したと発表した。

この計画変更については、市民や国際社会との対話協調路線を志向するネドベージェフが大統領になったからこそ実現したとの見方がある一方、2012年の大統領選に向けたパフォーマンスと捉える意見も少なくなかった。

その後、建設予定地が、市西部のフィランド湾沿いに面したプリモルスカヤ地区ラフタ(14ha)に変更、2012年8月に市当局によって建設の許可が下ろされた(同年5月にプーチンが大統領に就任(二期目))。

移転地はサンクト・ペテルブルクの中心部から約9キロ離れているが、移転に併せて高さが60m上積みされて463mとなった。

この計画地の移転や高さの変更に関して議論が尽くされていないことへの批判も見られ、景観論争は未だくすぶったままとなっている。

このサンクト・ペテルブルクの景観論争は、世界遺産に登録されたからといって、国がその歴史的環境を守ってくれるとは限らないことを示している。

その意味で、このケースは、神宮外苑の風致地区における新国立競技場の建設問題と類似しているかもしれない。

<参考資料>

オフタセンター公式ホームページ  http://www.ohta-center.ru/en/ ※リンク切れ

服部倫卓(2011)「ガスプロムとペテルブルグの特殊な関係」『ロシアNIS調査月報56(4)』

毎日新聞東京朝刊2007年6月12日「古都に「ガスプロム」巨大タワー計画 揺れる世界遺産の街」

読売新聞2008年10月28日「[明日へ]世界遺産を守る(6)再開発と歴史の調和を」(東京夕刊)

朝日新聞 2009年10月12日 「400メートルのビル計画、世界遺産のロシア古都大揺れ」

共同通信 2009年10月10日「超高層ビル承認で論争、ロシア 世界遺産のサンクト市」

時事通信 2009年10月11日「高層ビル計画に抗議デモ=世界遺産が危機-サンクトペテルブルク」

東京新聞 2009年12月27日「 『プーチン・タワー』計画 揺れる古都 市民反発 市は強硬姿勢」

時事通信 2010年12月10日「摩天楼建設場所の変更決定=景観に懸念-サンクトペテルブルク」

読売新聞2010年12月14日「超高層ビル「やっぱりダメ」 サンクトペテルブルク市長」(東京朝刊)

1 高さ制限とまちづくり, 1-3 海外における高さ制限, 3 景観まちづくり

世界遺産・ケルン大聖堂と超高層建築物を巡る景観論争

世界遺産である原爆ドームのバッファーゾーンにおいて、高層マンション建設を契機に高さ制限の強化の動きがあるが、同様のケースがドイツ・ケルン大聖堂においても起きている。

高さ156mのケルン大聖堂は1996年に世界遺産に登録されているが、その周辺で計画された超高層ビルが大聖堂を取り巻く景観を損なう可能性があるとして、2004年に危機遺産に登録された。

■危機遺産登録の背景 ―ケルン大聖堂周辺における超高層建築物の建設

もともとユネスコの世界遺産委員会は、1996年の世界遺産登録時の段階で、ケルン市に対してバッファーゾーンの指定を要請していた。

しかし、市はバッファーゾーンの指定を十分に行わないまま、ライン川を挟んだケルン大聖堂の対岸において再開発コンペを実施し、2001年に5つの高層建築物(高さ100mから130m)を含むプロジェクトを選定した。

プロジェクトは大聖堂周辺の景観に影響を与えるとして、ドイツ・イコモス国内委員会等は反対したものの、市は2003年に2棟の高層ビル計画を許可したのである。

また、その計画の南側では、ラインラント地域連合(Landschaftsverband Rheinland)が別の高層ビルを計画し、特に市への相談もないままに建設が開始され、こちらはそのまま完成する。

これら一連の開発によってケルン大聖堂の景観的価値が損なわれると判断した世界遺産委員会は、2004年にケルン大聖堂を危機遺産リストに登録した。

■高層ビル推進派と景観保全派との論争

危機遺産登録を受け、ケルン市長をはじめとする高層ビル建設推進派と景観保全派との間で論争が続くことになる。

製造業をはじめとする地場産業が低迷し、失業率が10%を超えていたケルン市にとって、高層ビルによる再開発は経済活性化の起爆剤になることが期待されていたのである。

しかし、ビル建設による経済活性化よりも、世界遺産登録抹消と観光客減少によるマイナス面の方が深刻であると市は判断し、2005年末に2棟の高層ビルの計画を一時停止するとともに、高層建築物の建設可能地域の見直しを行うことを決めた。

2006年春に市はバッファーゾーンの見直しを行い、同年7月に危機遺産リストから外れたものの、対岸のドゥーツ歴史地区がバッファーゾーンの区域外のままである等の問題を抱えている。

■ケルン大聖堂のケースから学ぶ点

広島の原爆ドームのバッファーゾーンでは景観法に基づく景観計画で高さ制限をかけることを検討しているが、地元地権者を中心に反対意見もあり、現在計画策定には至っていない。

ケルンでは高層建築物の推進派と反対派が議論をつくした末に、ケルン大聖堂周辺の景観を損なう高層建築物は必要ないとの結論を導き出している。

広島においても、原爆ドームを含む周辺エリアの景観的・文化的価値や広島中心部の活性化、既存不適格マンション住民の居住権など、様々な観点から議論を重ねた上で、世界遺産・原爆ドーム周辺のあり方を示すことが求められているのであろう。

※原爆ドーム周辺における高さ制限については、下記の記事を参照。

○世界遺産・原爆ドーム周辺における景観保全のための高さ規制 -美観形成要綱から景観計画へ

https://aosawa.wordpress.com/2009/12/10/

○原爆ドーム周辺における高さ制限が当面見送りへ

https://aosawa.wordpress.com/2010/12/16/

[参考文献]

○Machat, Christoph (2006), The World Heritage List – German Conflicts related to Buffer Zones and nomination areas of wide extention: Cologne Cathedral and Dresden Elbe Valley

 http://www.law.kyushu-u.ac.jp/ programsinenglish/hiroshima/machat.pdf

○朝日新聞2006年7月7日記事「独・ケルン大聖堂、周辺の高層ビルで世界遺産抹消論議」

○NPO法人世界遺産アカデミーホームページhttp://www.sekaken.jp/whinfo/images/kikidatu_04.pdf

1 高さ制限とまちづくり, 1-2 景観計画の事例, 3 景観まちづくり

世界遺産・原爆ドーム周辺における景観保全のための高さ規制 -美観形成要綱から景観計画へ

広島市が、世界遺産・原爆ドーム周辺において景観法に基づく高さ制限を検討し、2008(平成20)年7月に「原爆ドーム及び平和記念公園周辺地区景観計画(素案)」を公表した。しかし、地権者・住民の合意形成が思うように図れず、法定計画に基づく高さ制限の実施には至っていない。

■高層マンション問題

高さ制限のきっかけは、2005(平成17)年に原爆ドーム付近で着工された高さ約44mの高層マンションである。

原爆ドーム(高さ約25m)を見下ろす建物はふさわしくないとして、「世界遺産『原爆ドーム』の景観を守る会」や「日本イコモス国内委員会」が工事中止や計画の見直すよう業者に求めるとともに、広島市長に原爆ドームの景観を守るように要請した。

■美観形成要綱による高さ制限

原爆ドーム周辺は、1996(平成8)年に世界遺産に登録され、原爆ドームと平和記念公園の周辺50mは、世界遺産を保全するためにバッファーゾーン(緩衝地帯)に指定されている。

世界遺産登録にあわせて広島市は「原爆ドーム及び平和記念公園周辺建築物等美観形成要綱」を作成したものの、あくまでも要綱であるため法的拘束力はない。また、高さに関する規定も盛り込まれていなかったため、高さ44mのマンションは建設されることとなった。

その後、2006(平成18)年11月29日にイコモスが「原爆ドームに関する勧告」を採択。世界遺産を保護するために、高さ制限を含む拘束力のある規制が必要であるとの見解を示した。

同日、広島市は美観形成要綱を改正し、20m、25m、37.5m、50mの4段階の高さ制限値を設定した。

■高さ制限強化への反発

2004(平成16)年には景観法が制定されたこともあり、広島市は、上記の要綱による高さ制限を法に基づく景観計画として位置づけ、法的根拠のある規制を実施することを決めた。

その景観計画が、冒頭で述べた「原爆ドーム及び平和記念公園周辺地区景観計画(素案)」である。

ところが、規制により既存不適格になるマンションの住民や地権者が反発した、

住民や地権者で構成される「バッファーゾーンを考える住民の会」は、2008(平成20)年11月に景観計画(素案)の白紙撤回を求める公開質問状を市に提出。

翌2009(平成21)年2月には、住民と行政の間の議論が不十分なまま行政主導で計画が策定されるのは不当として、広島市議会に対して計画の白紙撤回を求める請願書を提出し、同年7月に採択された。

9月には4度目の公開質問状が市に提出され、市は同月に開催予定であった景観計画素案の公聴会の開催を延期している。

また、2009(平成21)年11月には、世界遺産登録の審査やモニタリング活動を行っているイコモス(国際記念物遺跡会議)のグスタボ・アローズ会長が現地を視察し、世界遺産の保全により、世界平和の願いを次世代に伝えることができるとして、高さ制限強化の必要性を広島市に訴えた。その一方で、アローズは、住民との開かれた民主的な議論が必要であるとも述べている。

■「景観計画」が適切か?

今回のケースは、世界遺産の保全(広域の利益)が地元住民の生活(地域の利益)と相反する例の一つといえる。

合意形成は難しいと思われるが、守るべき価値の共有と保全手法の検討について、市と地元が対話を重ねるしかないだろう。

ただ、景観計画の高さ制限はあくまで「勧告」による規制であり、強制力は決して強くはないという問題がある。

仮に景観計画が策定されても、再び高層マンションの建設問題が起こる可能性がある点には留意する必要がある。

もちろん、景観計画による高さ制限に意味がないというわけではない。法的根拠のある手法であるため、要綱より実効性は上がるだろう。

しかし、原爆ドーム周辺のように、開発圧力の高い中心部で、かつ法的拘束力のない要綱から強制力のある規制への移行を考えているのであれば、景観計画の策定にあわせて、高さ制限については景観地区、高度地区といった都市計画手法を選択することが望ましいのではないか。

今後、市と住民との間で高さ制限の実施が合意された時には、本当に景観計画が高さ制限の手法として適切であるのかについて再度検討すべきと思われる。

【※2010年12月16日追記】

2010年12月15日、市は、地元の理解が得られないとして、景観計画による高さ制限の実施の見送りを表明している。

○中国新聞2010年12月16日付記事「ドーム周辺の高さ制限見送り」

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201012160023.html

○原爆ドーム周辺における高さ制限が当面見送りへ

https://aosawa.wordpress.com/2010/12/16/

[参考文献]

○「原爆ドーム及び平和記念公園周辺地区景観計画(素案)」

http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1218203210799/index.html

○「原爆ドーム及び平和記念公園周辺建築物等美観形成要綱」

http://www.city.hiroshima.jp/www/contents/0000000000000/1120118525425/index.html

○イコモスによる「原爆ドームに関する勧告」(2006年)

http://www.law.kyushu-u.ac.jp/programsinenglish/hiroshima/Hiroshima_Recommendation_Japanese_English_final.pdf

※世界遺産周辺における高層建築物を巡る問題は、ドイツ・ケルン市のケルン大聖堂周辺においても起きている。

表1 原爆ドーム周辺の高さ制限の経緯

年表

表2 「原爆ドーム及び平和記念公園周辺地区景観計画(素案)」における高さ制限値(素案を元に作成)

景観計画素案高さ制限値